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雨乞い - 喜三太さんの記録

(相良梅園の白梅)

当地も長い間、雨が降らなくて我が家の井戸も枯れてしまい、水道に切替えた話はすでに書いた。

ようやくこの数日でまとまった雨が降り、乾燥していた大地が少し潤った。農家で無くても、雨乞いをしたくなる気持はよくわかった。喜三太さんが住んでいた江戸時代の終わりごろ、雨が降らないのは今以上に深刻なことであった。掛川には、大井川のような大きな河川が無くて、いっそう影響が大きい。今でこそ、大井川用水が山を越して掛川方面にも送られて、水不足になることはなくなったが、「記録」には雨乞いの記事が何度か出てくる。この記事では雨乞いの方法が具体的に記されていて、興味を引かれた。

雨乞い
嘉永五子年春以来、天気がちのところ、五月に相成り候ても、五月半ばと申す程の長湿もこれ無く、植え付け出来兼ね候村、当国の内も少なからず、五月十一日より十二日へ大雨降り候えども、浜辺は降り申さず、横須賀様御領分の内、五、六千石も植え付け出来申さざる所、これ有り、掛川様も右同様の事にて、存外の事には、原野谷川通り、森川通りなどは、水沢山にて植付滞りなく出来候えども、天気相続き、畑作いたみ候に付、村役人相談の上、六月一日、氏神八幡宮へ雨乞い奉り、信心いたし候、もっとも原川一同なり

※ 五月半ば - 旧暦では梅雨になる頃である。「植え付け」はもちろん田植えのことである。

傘ぼこ(鉾)吹ぬきなど、権現堤まで出居り候て、原川村役人待ち合わせ、一同氏神様へねりこみ申し候、但し当村役人は、尺(釈)明寺に待ち合わせ居り申し候、それより先例のごとく、仙太郎(金物事)上下(かみしも)着用にて、のりと(祝詞)を申す
  小笠山のあたりへ。からかさ(唐傘)ふと(太)なる雲がうえ(上)へ。
  松ヶ谷なんとて浪かこつ(託つ)。岡津山へ雨つなげ。
  海には龍神。河には水神。あめ

ここで文が切れているが、もう少し後へ続くように思う。
※ 傘ぼこ - 祭礼の飾り物で、大きな傘の上に鉾・なぎなた・造花などを飾りつけたもの。
※ 吹きぬき - 吹き流し

喜三太さんの村、各和村の南に原川村がある。この雨乞いは原川村と一緒に執り行なった。「原川一同なり」はそれを言っている。「尺明寺」はおそらく「釈明寺」だろうが、どこにあったお寺なのかは不明。「仙太郎」さんはおそらく神主かその代りを出来る人なのだろう。国学を勉強していたような人なのかもしれない。「金物事」が何を意味するのか判らない。

祝詞は大変に興味深いけれども、もう一つ意味がわからない。小笠山は南に見える広い丘陵である。岡津山は北東にある丘陵である。小笠山から雨雲が出て岡津山へと雨雲をつなぎ、その間にある当地へ雨を降らすように、海の龍神、河の水神へ雨乞いをする祝詞なのであろう。「松ヶ谷なんとて浪かこつ」が、意味不明である。民間習俗の一端を知ることが出来て、大変面白い。
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