平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
1995年、韓国岳登山の記録
今日も朝と午後に霧島連峰新燃岳が二度噴火して、空振によりふもとのホテルなどで分厚いガラスが割れるなどの被害が出た。立入禁止区域は周囲3キロから4キロへと拡大された。霧島連峰には1995年、出張の帰りにY氏と韓国岳に登った。その話はすでにこのブログで書いているが、噴火のニュースで改めてあの当時の記録を読んでみた。
宿泊したのは、国民宿舎新燃(にいもえ)荘で、新燃岳にもっとも近い宿だったと思う。今は立入禁止の地域に入ってしまっているのだろうか。次のように記録している。
新燃荘は国民宿舎というが、谷川沿いに建てられた古い湯治場で、ネクタイをして降りたことが随分場違いに感じた。谷川に沿って大きな浴場があった。予約した際、民宿のようなものと想像していたからラッキーである。部屋は大浴場を見下ろす2階の角の部屋で『かえで』の間であった。さっそく浴衣に着替え、別棟の大浴場への石段を降りる。大変強い硫黄泉で、組み上げた岩の上方にある噴泉口から湯が吹き出ている。湯の流れる岩は盛り上がるように付着した硫黄で青みを帯びた黄色になっている。かっては男女混浴だったのだろうが、今は見えそうで見えない簡単な仕切りで分けられている。白濁した湯は白骨温泉のように真っ白ではないが、硫黄分はかなり強そうである。この温泉は皮膚病への薬効は相当なもので、水虫やアトピーに良いといい、ファンも多いようだ。夕食には大浴場の上の段にある生簀で飼っている鯉や鱒の料理が出た。鯉の洗い、鱒の塩焼、とんこつ、山菜、こんにゃくなど山の料理である。食後もう一度温泉に行く。
翌日朝早く、韓国岳登山口までタクシーで行き、韓国岳に登った。
韓国岳山頂に着いた時には、雲の上に一際高く、高千穂の峰が見えたが、すぐに雲に隠れてしまった。手前には大きな御鉢をみせる新燃岳が見えたが、それも休憩を取る間に立ち上がる霧に隠れてしまった。新燃岳と言えば、昨日の鹿児島のテレビで、火口でダイナマイトを使い人工地震を起こし、マグマの所在のチェックをしたという。今でも時々噴く山である。
山頂で寛ぐ青年に頼んで、韓国岳の標識を背に記念写真を取ってもらう。縦走を目指しているという中年男女数人のグループが登って来た。リーダーの男性は雲がどんどん立ち昇って来るのを見て、「今日は途中で下るようになるかもしれない」とつぶやく。桜島の方向を尋ねると意外にも新燃岳の方角を示し、「いつもなら良く見えるのだが」と残念そうに言う。かなり自分の方向感覚が狂っていた。
このグループはその後、新燃岳の縁を通って、高千穂岳の方へ縦走して行ったのであろう。自分たちは韓国岳から下山した。霧島連峰で最も若い新燃岳で、このような大規模な噴火が起きるとは、当時は想像も出来なかった。
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