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秋葉山御開帳 その2 - 喜三太さんの記録

(秋葉杉の根っ子 -「記録」には記述がないが、
往時は立派な樹勢をなしていたはず-2009年9月撮影)

秋葉山御開帳に合わせて、喜三太さんは秋葉山へ詣でる。昨日に続いてその後半である。秋葉山は御開帳に備えてお堂の改修を行い、寄進された幕などで飾られている。読み下した文を示す。

権現様、観音様、御堂御修覆儀に、善つくし美尽くし、結構言葉に述べ難く候、京都よりは女御殿はじめ宮様方の御寄進、九條殿よりは綾誂え(あやあつらえ)御紋付の幕、御寄進なり、御本丸よりも御戸帳紫御紋付の幕水引御寄付なり、その外諸家様方よりの御寄附、あげてかぞえ難し、万燈、御神楽殿、方丈、その外寮まで、みな紫の幕を張らざる所もなく、玄関には緞子にて五色の竪幕なり
※ 戸帳(とちょう)-帳台の上を覆う布、また神仏を安置した厨子(ずし)や龕(がん)の前などにかける小さなとばり。金襴(きんらん)・緞子(どんす)・綾(あや)・錦(にしき)などで作る。
※ 幕水引(水引幕) - 劇場で、舞台最前部の上方に、間口いっぱいに横に張った細長い幕。


御宝物の数々寛々(ゆるゆる)拝見いたし候、天狗の爪、■(一字不明)石、掛物類、刃類には粟田口の短刀、太閤御寄進の御太刀、信玄勝頼御寄進の政宗の刀二タ振り、仙台公よりの御寄進、荒金作の御差し添え、その外中々覚え難き事に候

※ 差し添え - 刀に添えて腰に差す短刀。脇差。

寛々拝見いたし、四ツ半頃、うんな(雲名)に下り候ところ、参詣人数多きにより、朝の間に舟五拾艘も出で候に付、右舟登り来ぬうちは出舟これ無しと申し候に付、千草越を二又(二俣)へ出、漸々(ようよう)夕方に片瀬まで出、その夜は大工次郎九方に泊り申す、七日四ツ頃立ち出で、溜り屋へ立寄り八ツ辺りまで居り、夕方帰宅いたし候、当村なども家々参詣にまいらざるものは少なく候、川西辺り、所々接待駕または酒など出し候村もこれ有り候て、大きに賑わい申し候
※ 溜り屋 - たまり場、仲間などがいつも集まっている場所や店。(と解釈してみた)
※ 接待駕 - 参拝客へのお接待として、無料で駕籠を提供した。

講師の話。もともと、秋葉山の霊験は、剣難、火難、水難の三難除けとしてされていた。戦国時代には特に剣難避けとして、戦国大名などに信奉され、秋葉山の宝物に刀剣類が多いのはそのためである。江戸の平和な時代になって、剣難避けは必要がなくなり、代って、火防の神様として、庶民にまで信仰が広がり、現代にも続いているという。

50艘あった舟も出払うほど、ここでも賑わいが知れる。喜三太さんはおそらく雲名から舟で二俣まで出ようと思ったのだろう。天竜川を池田まで下ってしまうと行き過ぎである。二俣に上がって帰途に付く予定だったが、おかげで峠を越えてかなりの山道を歩くことになった。小弥太は先に帰して、溜り屋にちょっと寄って帰る辺り、独り者の気楽さであろうか。
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