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掛川殺害 - 喜三太さんの記録

(庭に鉢入りツバキが一輪咲いた)

いよいよ2時間ドラマのテーマ音楽が聞こえてきそうな話である。掛川の古文書解読講座では時間切れで、解読が割愛された部分である。自分で予習したもので、読み違いもあるかもしれないが、以下へ読み下し文を示す。

掛川殺害
嘉永五年子三月五日夜、尾州様、掛川宿御旅宿の所、同宿仲間二文字屋十蔵、倅並び嫁、六日明け方、殿様御立ち前に、殺害致され即死いたし候、同町嶋屋亀と申す者も、三十方にて、持仏の前に切られ居り候、これは浅手ゆえ直に療治いたし候えども、同日夜半死去いたし候、

大切の御泊り、殊に御本陣近所といゝ、殿様御立前の事にて、大騒動いたし候、壱尺七寸ばかりの脇差、末四寸計り折れ候が、背戸に捨てありしかば、右脇差より段々詮義いたし候ところ、掛川様御家中のうちより、右脇差を嶋屋亀に売り候と申す事にて、売り人よりその筋へ申し上げ、それより段々御詮義に相成り候ところ、全く嶋屋亀と申すもの、両人を殺害いたし逃げ去るつもりのところ、自身も衣類は血にそまり、裏道はなし、往還は問屋場近所にて人多く、夜は明けかゝる、逃れ難く思いて自殺と申す事にて積りに御評義の上、江戸御窺い(うかがい)と相成り申し候、
※ 背戸 - 家の裏口。また、裏門。

掛川殿様にても、大切の御旅宿の折柄にて、殊の外御心配と申す事に候、落着の義驚き相成候や、いまだ相分らず候、過去これ無き宿業にて非業の死をとげ候事、是非なき事ながら、残る親子の心中思い遣るだに、いと痛ましき事に候
   三月廿八日の記


尾張様が宿泊中、起きた殺人事件で、記述が舌足らずでわからない点が多い。嶋屋亀を犯人とするに、しばらく生きていて見つかった嶋屋亀の自供が得られたのか。殺害に及ぶ動機は何であったのか。嶋屋亀が見つかった場所は「持仏の前に」というが、同じ二文字屋内の仏間で見つかったのか。凶器が背戸に棄てられていたのはなぜか。嶋屋亀が自殺なら、そのそばにあるのが当然であろう。

どうやら犯人は別に居て、嶋屋亀は犯人に仕立て上げられたのではないだろうか。凶器は出入りを察知して嶋屋亀が持ち込んだが、返り討ちにあった。三人殺害の手口が鮮やかで、田舎の町人の手によるものとは思えない。嶋屋亀は犯人の名前を役人に言ったのであろうが、役人は諸般の判断で取り上げなかった。もっと悪く言えば、口封じまでしたのかもしれない。

掛川の役人が犯人と言い立てることが出来ない人間とすれば、犯人は御本陣に宿泊中の尾張様御家中の人間であったと想像される。尾張様旅の途中、宿場の人間と金銭トラブルが起き、その談判の席に嶋屋亀は立会いに来た。尾張様の家中から縄付きを出すことは出来ないから、掛川殿様もこのような判断にせざるをえなかった。もちろん、犯人の処罰は尾張様へ任せることにしたのである。犯人は後日切腹を申し付けられたはずである。

最後の、「江戸御窺い(うかがい)と相成り」という処置が、そんな背景を感じさせる。宿中で起きただけの事件ならば、掛川藩内で処置できたはずだから。
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