ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権253~個別的人権条約の必要性

2016-01-17 08:44:42 | 人権
●個別的人権条約の必要性

 特殊志向的な人権条約には、地域的人権条約とは別に個別的人権条約がある。国連は総会が採択した国連憲章と世界人権宣言のもとに、漸次国際人権法の拡大をはかり、個別的条約を制定してきた。個別的人権条約には、ジェノサイド、人種差別、アパルトヘイト、女子差別、拷問等の特定の行為や慣習を禁止する禁止条約と、難民、子ども、障害者、移住労働者、先住民族等の特定の集団の権利を保護する保護条約がある。
 国際人権規約はまず抽象的な人間一般の権利を保障する。人権が単純に普遍的・生得的な「人間の権利」であれば、その点を定めさえすればよい。だが、それだけでは広く権利を実効的に保障できない。個々の具体的な人間は、男または女、大人または子どもであり、多数者または少数者等の集合に属する。そこで、規約はそれまで人権保障の薄かった集団を考慮し、権利関係における劣位者の権利の保護に意を用いるものとなっている。もっとも普遍志向的な条約の上で権利を認めるだけでは、実際の社会における権利の享有には十分でない。現実の社会には、権利をよく保障されず、また侵害されやすい人々がいる。歴史的・社会的・文化的な事情によって、弱い立場に立たされた人々の権利をどのように保障するかについて、国際社会はしだいに認識を深めるようになった。普遍的な人権を基礎におきつつも、特定の立場に置かれた人々の具体的な問題に対応した権利を保障することが重要な課題となった。そこで既存の普遍志向的な人権基準に加えて、特殊志向的な基準を作る必要性が出てきた。その結果作られたのが、人種差別、女性、子ども、障害者等に関する個別的な人権条約である。
 各種の個別的な人権条約の実現を推進したのは、世界人権宣言の場合と同じく、経済社会理事会に属する旧人権委員会だった。旧人権委員会は、1965年の人種差別撤廃条約、79年の女性差別撤廃条約、89年の子どもの権利条約等を起草した。
 個別的な人権条約には、まず個別的な対象や行為等に関する人権基準を示す宣言が出され、その後、条約に具体化されたものが多い。宣言から条約へという展開は、世界人権宣言から国際人権規約への展開と同じである。宣言は理念を打ち出す道徳的なものだが、条約はその思想を法律へと具体化する。ただし、罰則がなく、各国の国内法のような強制力を欠く。その点では不完全な法である。国際法には、この不完全性がつきまとう。

●最初はジェノサイド条約・難民条約・無国籍者条約

 国連は創設以来、個別的な人権の保障を目的とした条約を数多く採択している。広範な問題についておよそ80件の条約や宣言が国連の枠組みの中で締結されてきた。こうした条約の中で最も早い時期に結ばれたのが「集団殺害罪に関する条約」「難民の地位に関する条約」「無国籍者の地位に関する条約」である。
 第2次大戦後、戦争による惨禍を振り返る中で、ユダヤ人への迫害、大量殺戮、多数の難民の発生等が国際社会で大きな問題となった。それらの問題に対処し、ユダヤ人への迫害・殺戮を防止し、難民を救済することが求められた。これをユダヤ民族という特定の民族だけでなく、他の民族にも適用・拡大する形で、ジェノサイド条約、難民条約、無国籍条約が制定された、と私は考える。
 個別的人権条約は、すべてが世界人権宣言に触発されて成立したのではない。世界人権宣言は、1948年12月10日に国連総会で採択されたが、その前日の12月9日に「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」すなわちジェノサイド条約が成立している。世界人権宣言で普遍的な人権基準を定める前に、また特定の事案について宣言という理念的な打ち出しを経ることなく、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約が締結された。世界人権宣言の起草・協議が進められ、まだ総会で採択される前に、この条約は先行して実現したのである。ここに、第2次世界大戦後の人権保障におけるユダヤ人を主な対象としたジェノサイドへの対応の重要性が現れている。ジェノサイド条約は、1951年に発効した。
 集団殺害は、第2次世界大戦がはじまる前から、ナチスによって行われていた。ナチスによるユダヤ人への迫害は、戦争が原因ではない。平時から行われていた。ジェノサイド条約は、集団殺害罪を国民的、人種的、民族的、または宗教的な集団を破壊する意図を持って行われる行為であると定義付け、それを犯した者は法に照らして処罰することを国家に義務付けるものである。
 2010年末現在で141カ国が加入している。わが国は締約していない。

 次に1951年に、「難民の地位に関する条約」すなわち難民条約が、国連総会で採択され、1954年に発効した。難民は refugees の訳であり、refugeesは亡命者とも訳す。難民条約は、難民の権利、特に迫害の恐れのある国へ強制的に送還されない権利を定めており、また労働、教育、公的援助よび社会保障の権利や旅行文書の権利など、日常生活のいろいろな側面について規定している。これも主にユダヤ人難民への対応を目的とし、それを他の民族に拡大したものである。ただし、ここにはイスラエルの建国とパレスチナ難民の問題が絡んでいる。
 1947年11月、国連はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家と国連永久信託統治区に分割するパレスチナ3分割案を可決した。だが1948年、ユダヤ人は国境を明示しないままイスラエルの独立を宣言した。それに抗議する周辺アラブ諸国との間で、第1次中東戦争が起こったが、イスラエルの圧倒的な勝利に終わり、49年休戦協定では、イスラエルは国連分割案が示す範囲を超えて、パレスチナ全土の80パーセントを支配した。分割案から休戦協定までの間に、パレスチナ人130万人のうち100万人が難民となったとされる。ユダヤ人は一方で難民として国際社会で救済されながら、一方ではイスラエル建国を通じて他民族に難民を生み出している。背景には、ユダヤ民族を神に選ばれた民とし、他民族を蔑視する選民思想があり、この宗教思想が複雑な民族問題を醸成している。
 1967年には、「難民の地位に関する議定書」が採択され、同年発効した。条約は本来第2次世界大戦による難民を対象にしたものだったが、この議定書によって条約の適用範囲が拡大され、戦後に生じた難民にも適用されるようになった。
 2010年末現在で、147カ国が条約と議定書のいずれか、もしくは双方に加入している。わが国は条約に1981年(昭和56年)に加入し、1982年(昭和57年)1月1日に発効した。議定書は82年に締約した。難民及びこれに準ずる国内避難民は、現在世界で4,300万人ほどいるといわれている。

 1954年には「無国籍者の地位に関する条約」が国連総会で採択され、60年に発効。1961年には「無国籍の減少に関する条約」が採択され、75年に発効した。これらも私は主にユダヤ人を対象とし、それを他の民族に拡大したものと見ている。これらの条約の締約国は、他の主な個別的条約に比べ、半分以下と少ない。

 次回に続く。


■追記
 本稿を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」は下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm