ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

平和安全法案成立! 次は憲法改正へ

2015-09-19 09:45:30 | 時事
 平和安全法案が参議院で可決、成立しました。中国・北朝鮮の侵攻から日本を守り、日本人自らの手で日本を再建するための重大な一歩です。次は、本来の課題である憲法改正に向けて頑張りましょう。
 来夏の参院選が天下分け目の戦いとなります。偏向したマスメディアの世論操作や中韓朝の反日工作を押し返して、日本人の魂の覚醒を呼びかけてまいりましょう。


人権201~カント以後のドイツ哲学の展開

2015-09-19 08:56:18 | 人権
●カント以後のドイツ哲学の展開

 カントは、感性界と叡智界、自然と自由、実在と観念を厳然と区別した。断絶をつなぐもの、根源的なものが探求されてはいるが、その哲学は結論の出ないままに終わった。彼の哲学に不満を持つ思想家たちは、自我を中心とした一元論による形而上学的な体系を樹立しようとした。そのうちの一人が、アルトゥル・ショーペンハウアーである。
 ショーペンハウアーは、現象界と叡智界に二分するカントの思想を継承して、世界は表象であるとしたが、カントの物自体とは意志であるとする独自の説を唱えた。人間だけでなく動植物・無機物も「生きんとする意志」の表れだとし、意志による一元論を打ち出した。20代からインド哲学や仏教の影響を受けたショーペンハウアーは、この衝動的な盲目の意志を否定することで、解脱の境地へと達することができるという思想を説いた。ショーペンハウアーは、意志という概念で無意識の領域を示唆した。また霊魂との交流やテレパシーの可能性を認めることにより、脱キリスト教的な心霊論哲学の可能性を開いた。ショーペンハウアーは、同時代のヘーゲルと対立したが、後代のニーチェ、フロイト、ユング等に大きな影響を与えた。また欧米における東洋思想への関心を高め、また理解を助ける役割をした。本稿の主題である人権に関して言うと、ショーペンハウアーは、キリスト教的な人間観・世界観を相対化することによって、東西の対話と相互理解を促進することに貢献したと言える。
 ショーペンハウアーとは異なる仕方で、自我を中心とした一元論による形而上学的な体系を樹立しようとした思想家たちがいる。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらである。カントから彼らの思想への系譜をドイツ観念論という。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの思想は、それぞれ主観的観念論、客観的観念論、絶対的観念論と呼ばれる。フィヒテとシェリングは、カントが斥けた知的直観を認め、中世キリスト教教学的な知性を復権させ、個性的な思想を創造した。ヘーゲルは、彼らが開拓した観念論の可能性を最大限に追求し、壮大な哲学体系を築いた。
 英仏に比べて近代化の遅れていたドイツでは、後進的であるがゆえに、個我の解放は個人主義ではなく能動的自我の絶対化を目指すものとなり、キリスト教批判は無神論ではなく汎神論に傾き、市民社会の建設は革命による実現ではなく理念化された道徳や法の哲学の構築へ向かった。
 ドイツ観念論は、人権の発達史において重要な役割を果たした。その哲学的展開から、マルクス主義とナショナリズムの思想が登場したからである。マルクス主義は、ヘーゲルの観念論への批判からマルクスの唯物論が誕生した。ナショナリズムの思想は、カント哲学の批判的継承の中から生み出された。

●フィヒテとシェリングの観念論哲学

 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、カント哲学から、一切の人間の行為の必然性を人間の意志の自由によって根拠づけ、そこから説明しなければならないという考えを学んだ。その考えを進めるため、カント哲学をさらに展開して体系化することを試みた。フィヒテは、フランス革命に感激し、ルソーの『社会契約論』を読んで思想・表現の自由と革命権の擁護を説いた。そして、自由への思いをカントの実践理性に託して、能動的自我を絶対化する思想を構築した。自我の内に非我もまた定立されるとし、「絶対我は、我と非我とを内に含み、しかもこれを超越するところのものである」とし、一切の存在者は純粋な絶対我が自ら定立した非我を通じて自己を展開する事行(Tathandlung)に他ならないと説いた。
 このようにしてフィヒテは、自我の外に物自体を残す二元論を、自我の一元論に統合しようとした。その際、フィヒテは、カントが認識能力の一つとしていた構想力を、すべての認識能力に通底する根源的な機能とした。構想力は、自己を越えていこうとしながら障害にぶつかって折れ曲がることを余儀なくされる自我の活動であるとして、構想力から直観、悟性、判断力、理性という認識諸能力を導出し、同時に、実践能力の根底にあるものともした。
 その哲学はまさに主観的観念論だったが、同時に行動の思想でもあった。フィヒテは、ドイツがナポレオンに占領されると、「ドイツ国民に告ぐ」と題した講演を行い、ドイツの独立と統一を達成するため、国民的自覚を高める教育の重要性を訴えた。この講演によって、フィヒテは、ナショナリズムの思想を樹立した。フィヒテ哲学のその部分及びナショナリズム思想については、マルクス主義の後に別項目として書く。
 フィヒテは、自然を他我とみなして、原理的に哲学の対象とみなさなかったが、フリードリヒ・シェリングは、自然に対して深い関心を示した。シェリングは、自我と自然の相互浸透を論じる自我哲学と、有機体を自然の最高形態と見なす自然哲学を説いた。また、「人間の意識も自然も同じ『世界精神』の現れであり、この絶対者は芸術的、知的直観によってとらえられる」として、神と人間、絶対者と有限者は「あらゆる媒介なしに根源的に一つである」とする同一哲学を説いた。ヘーゲルは、『精神現象学』(1807年)で、「すべての牛を黒く塗りつぶす闇夜」として、シェリングの思考の無媒介性を批判した。無差別の絶対者からどうして人間や自然という有限者が生まれるのか、分離された瞬間、絶対者は有限者となってしまう。この点を掘り下げたシェリングは、『人間的自由の本質』(1809年)で、神の実存と実存の根拠を分け、実存の根拠を「神のうちの自然」と定義し、諸事物は神の実存の根拠から生成するとした。そして、人間の自由に悪を行う可能性があるのは、神の実存の構造に基づくとした。
 1830年代のシェリングは、従来の哲学は「あるものが何であるか」に関わるのみで、「有るとはどのような事態であるか」について答えていないという。そして、事物の本質を論じるだけの理性の哲学を消極哲学として、これを批判し、事物の実存を解明する積極哲学を標榜した。シェリングの思考は、理性に定位するドイツ観念論を抜け出るものであり、20世紀に入って、ハイデッガー、ヤスパース等によって再発見されることになった。彼らの系譜による実存の哲学は、世界戦争と核の時代において、人間の実存を問い、自由と人間性の発展を求めるものであり、今日の人権の思想に影響を与えている。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権――その起源と目標」第2部は下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm