ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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アイヌ施策推進法3~左翼は先住民族や国連を利用している

2019-05-15 12:49:19 | 時事
(3)先住民族の権利に関する国連宣言(続き)
 国連宣言は、先住民族に関して、自己決定権、自治権、国政への参加と独自の制度の新設、奪われた権利の賠償、土地・領土・資源の返還等を認めるべきことが書いてある。
 アメリカ、カナダ、オーストラリアなどは、国連宣言に反対した。彼らはインディアンやアボリジニーの土地を奪って大量虐殺している。この宣言を認めれば、どれほどの賠償金や広大な土地返還が要求されるかわからない。だから、反対した。日本はこの国連宣言に賛成した。アイヌは日本人であり、先住民族と見ていなかったからである。
 宣言が採択された後、平成19年10月3日、福田康夫首相は衆院本会議の答弁で、「(国連)宣言には先住民族を定義づける記述がなく、アイヌの人々が同宣言にいう先住民族であるかについては結論を下せる状況にはございません」と述べている。
 この政府の見解通り、国連宣言には、先住民族とは何かという明確な定義はない。
 ただし、宣言の全体を読むと、ここにいう先住民族とは、大体次のようなものと理解できる。すなわち、15世紀以降、白人が世界各地に進出した過程で、植民地化され、人権や基本的自由を剥奪された民族を指しており、また、独自の文化・伝統を持ち、侵略者によって集団的に虐殺されたり、文化を奪われたり、差別された人々である。アメリカのインディアンやオーストラリアのアボリジニーは、まさにこれである。だが、アイヌは、違う。これには当てはまらない。
 後に詳しく書くが、アイヌは700~800年ほど前から和人との交流を持ち続け、混血が進んだ。明治政府によって保護され、自ら日本語を学んで同化した。他の少数民族のように強制的に同化されたのではない。多数のアイヌが自分たちは日本人だと認識し、日本国民全体もまたアイヌも同じ日本人だと認識してきた。
 ところで、先住民族とは、ある地域に、いつの時点で、誰と比べて先住していた民族をいうのだろうか。白人種は15世紀以降、地理上の発見によって、南米・北米・アフリカ・オーストラリア等を植民地にした。その白人種がそれらの土地に上陸した時点で、先住していた民族を先住民族と呼ぶのであれば、話は15世紀以降に限定される。
 ところが、ある民族が他の民族が居住する地域に侵攻し、これを征服・支配した時点で先住した民族をすべて先住民族と呼ぶとすれば、話はいくらでもさかのぼり得る。
 人類は、先史時代から抗争と融和を繰り返しながら、文明を発達させてきた。日本においては、大和朝廷が日本列島を平定した過程が、『古事記』『日本書紀』に記されているが、そこには、大和朝廷の勢力に抵抗した各地の豪族があったことが書かれている。熊襲、隼人、蝦夷、土蜘蛛等がそれである。だが、彼らは抗争の後に服属したり融和したりしながら、言語・文化・宗教等をともにするようになり、日本民族が形成され、発達してきた。その結果として、現在の日本がある。
 白人種についても、4~6世紀にゲルマン人が東方からヨーロッパに侵入した際、アルプス以北には同じインド=ヨーロッパ語族のケルト人が先住していた。ローマ帝国の支配を受けて独自性を失い、ゲルマン人に圧迫されて、アイルランドやスコットランド、ウェールズなどの一部に残るだけになった。このケルト人をヨーロッパの先住民族とみなすならば、ゲルマン人の子孫は、ケルト人の先住民族としての権利を認めなければならないことになる。
 同様のことが、インドであれば、紀元前1500年頃、アーリヤ人が侵入した時点で、ドラヴィダ人ないしドラヴィダ人につながる民族が先住していた。彼らは、現在も南インドを中心に居住している。これを先住民族とみなすならば、アーリヤ人の子孫はドラヴィダ人に対して、先住民族としての権利を認めなければならないことになる。
 こうした歴史を際限なくさかのぼり、その時点での先住民族の権利を主張するならば、あらゆる文明・文化をひっくり返すことになる。それゆえ、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、解釈の仕方によっては、人類の歴史における抗争を掘り起こし、収拾のつかない混乱を広げるものとなる。そして、国際的な左翼は、それを狙っているのだろう。既成の秩序は、歴史的に作られたものである。国際的な左翼は、その秩序を覆し、自分たちの目指す社会を実現するために、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」や国連という組織そのものを利用していると私は考える。

 次回に続く。