ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権148~ナショナリズムの展開

2015-05-11 06:37:25 | 人権
●ナショナリズムの各国での展開

 次に、ナショナリズムの歴史的な展開を、各国別に見ていこう。以下の記述は、先に書いた国民国家の各国史的展開を補足するものとなる。
 まずイングランドのナショナリズムは、前例のない先発的なナショナリズムであり、国家形成段階では、市民革命型である。国王に権力が集中し、身分制議会で国王を中心としたエスニックな意識が成長してきたところで、17世紀にヨーマンリー(独立自営農民)やジェントリー(郷紳)が市民階級を形成して議会に進出した。市民革命は、近代的なネイションを形成する政治的な運動ともなった。自由と権利を得た市民が参加した議会は、国民の実質化を促し、ナショナリズムを国内に推進する機関としても機能した。国家発展段階では、対外拡張型のナショナリズムが諸大陸に展開された。北米、アジア、アフリカ等に広大な植民地を獲得し、有色人種を支配・搾取した。
 フランスのナショナリズムは、先進国イギリスを前例とする次発的なナショナリズムである。フランスはイギリスに政治・経済・思想等を学び、これを摂取してイギリスに対抗した。身分制議会である三部会に参加した第三身分(農民・市民)が政治権力を求めて革命を起こした。1789年7月三部会は憲法制定国民議会と改称され、封建制の廃棄を宣言して、人権宣言を採択した。国民の議会が人権を宣言したのである。自由と権利の確保・拡大と、国民国家の形成が同時に進んだ。ナポレオンによる民法典等で国民の権利が法制化されるともに、対外戦争によってナショナリズムが高揚した。イギリス同様に植民地を獲得し、有色人種を支配・搾取した。そのナショナリズムは市民革命型であり、また対外拡張型だった。
 アメリカ合衆国のナショナリズムは、本国イギリスからの独立を求める独立建国型のナショナリズムだった。一つのネイションの中で、植民地人民が独立した。独立後、連邦政府のもとで、新大陸に別のネイションの形成がされた。国家発展段階では、まず北米大陸の開拓を進めた。その後、太平洋へと対外拡張を図った。
 ラテン・アメリカのナショナリズムも、独立建国型のナショナリズムである。スペイン・ポルトガルを本国とする植民地で本国の支配に抵抗して独立が主張された。植民地で生まれ育った白人種の子孫であるクレオールの現地官僚が中心となって独立を目指した。本国によって区画された非主権的な行政機構をもとに、多数の国家が独立し、新たな国家権力のもとで国民の形成がされた。
 ドイツ・イタリアのナショナリズムは、西欧における後発的なナショナリズムである。ドイツ語を話すエスニック・グループが多数の諸邦に分かれている状態を、ナポレオンのフランスに支配された。そこからの自由と統一を求める民族統一型のナショナリズムだった。先発的・次発的なナショナリズムの主体である先進国に、後進国として追い付こうとした。
 ロシアのナショナリズムは、非西欧における後発的なナショナリズムである。東方に位置し、イギリス、フランス等から政治・経済・思想等を学んで摂取して、追いつこうとした。皇帝の政府が前近代的な帝国を国民国家に改造しようとした。政府主導型のナショナリズムであり、また上からの近代化だった。国家発展段階では、広大な領域で多民族を統合しつつ、ユーラシア大陸の内陸部から対外的な拡張を図った。
 日本のナショナリズムは、非西欧における後発的なナショナリズムである。欧米列強による侵攻・支配の危機に直面し、エスニック・グループが近代的な中央集権国家を建設して、ネイションに成ろうとした民族統一型のナショナリズムである。封建制を打破しようとした市民革命型の要素も持つ。アジアにおいて、欧米諸国の植民地とされることなく、近代国家を建設することに成功した。国家発展段階では、東北アジアにおける対外拡張型ともなった。
 以上のような世界システムの中枢部(欧米)及び半周辺部(独伊露日)のナショナリズムは、多くの場合、対外拡張型となって周辺部の支配を進めた。そのうち中枢部における国民の自由と権利の発達は、周辺部における自由と権利の抑圧または剥奪と並行して進んだ。中枢部では国民の権利が人権として理念化され、周辺部では人間が家畜のように使役され、奴隷化された。中枢部では人間がより人間的になり、周辺部では人間がより非人間的にされた。人権の発達と抑圧が、上層と下層で対照的に並行して進んだ。
 これに対し、周辺部に位置するアジア・アフリカの諸社会が白色人種の植民地から独立したのは、20世紀半ば以降となるので、本章の範囲を超えるが、ここで触れておくと、そのナショナリズムは、有色人種による独立型のナショナリズムである。植民地からの独立において、統治の枠組みは外来の支配者によるものだった。この枠組みで国境が画定された新興独立国家には、その国家に対応するエスニック・グル―プが必ずしも存在しなかった。独立後、政治権力をめぐって民族間・部族間の激しい対立・闘争が展開された場合が少なくない。

 次回に続く。