ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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西欧発の文明と人類の歴史78

2008-09-01 10:55:56 | 歴史
●第2次世界大戦の世界的な意義

 第2次世界大戦は、人類がかつて経験した最大の戦争であり、そして最後としなければならない世界戦争である。
 第2次世界大戦には、いくつか重要な意義がある。私は、人類史的意義、文明論的意義、国際関係論的意義の三つを挙げたいと思う。

 第一に、第2次大戦の持つ人類史的意義とは、人類史の大きな区切りとなったことである。私は、1945年(昭和20年)以降を現代と呼んでいる。
 第2次大戦での死者は5000万人を超え、なかでも民間人の犠牲者数は3400万人に達したといわれる。それほどの犠牲者を生んだのは、この大戦は第1次大戦以上の総力戦となったからである。高度な総力戦では、相手国の生産力や国民の士気を奪うことが重要となる。爆撃機による無差別攻撃で多くの一般市民が犠牲となった。またこの大戦は、科学技術を大幅に発達させた。科学技術の発達が陸海空の兵器の破壊力を増大させ、犠牲者数を増した。レーダー、航空母艦、ミサイル等が開発され、実戦に使用された。その中でも突出した威力を持つものこそ、原子爆弾である。
 原子力の開発・利用によって、人類は新たな歴史の段階に入った。自然に内在する巨大なエネルギーを人間が使用できるようになったことで、人類は飛躍的に発展することもできれば、核戦争によって自滅することもありうる。そういう段階に、人類は入ったのである。それゆえ、私は、人類史の大きな区切りとして、1945年(昭和20年)以降を現代と呼ぶ。

 第二に、第2次大戦は、文明論的意義を持つ。大東亜戦争は、アジア・太平洋の広域に繰り広げられた、「文明の挑戦と応戦」の一大ドラマだった。白人種の文明と有色人種の文明という異質な文明同士の激突だった。そして、日本の近代化や日露戦争に見られるように、世界の中心が西洋から東洋へと移行していく「時」の流れを、そこに見ることができる。
 その「時」の流れを巨視的に洞察していた大塚寛一先生は、日本が欧米との戦争に踏み込むことなく、厳正中立・不戦必勝の対策を提示された。ところが、当時の日本の指導者は、日本とアジアの発展の時を見誤って、戦う必要のない無謀な戦争に突入してしまった。東条英機らが描いた大東亜共栄圏構想は、花に例えれば、人工的に早咲きさせようとして、かえって花を散らせてしまったようなものである。西洋文明が産んだ独伊のファシズムを模倣して、力づくで無理矢理に進めたため、自然の法則に外れ、狂い咲きとなってしまったのである。これは誠に残念なことだった。
 しかし、その半面、時の勢いはすでにアジアに向かっていたから、大東亜戦争は、アジア諸民族の独立・解放のきっかけとはなった。20世紀後半から21世紀にかけて人類が目の当たりにしているアジアの興隆は、第2次世界大戦で欧米諸国が互いに傷つけ合い、日本が白人種による植民地支配を突き崩し、アジア諸民族が独立運動を行ったことに始まる。わが国が大東亜戦争をアジア解放の戦いとしたことは、その点で意味がある。だが、だからといって、独伊との同盟を正当化することはできない。

 第三に、第2次世界大戦には、国際関係論的意義がある。第2次大戦は、国際社会の構造に大きな変化をもたらした。大戦後の国際秩序は、米英ソ参加国の首脳によるヤルタ会談とポツダム会談によって、大枠が決められた。それゆえ、ヤルタ=ポツダム体制と呼ぶことができる。
 米英ソの連携を支持する者は、第2次大戦を「民主主義対ファシズムの戦い」とする。しかし、ソ連は全体主義であって、自由民主主義ではない。米英とソ連を結んだのは、思想・体制ではなく、主権国家としての利害関係である。第2次大戦は、同盟国群の間の戦争であって、「連合国対枢軸国の戦い」としか言えない。
 「連合国対枢軸国の戦い」とは、近代世界システムの中核部における覇権争いである。その争いにおいて、日独伊は惨敗し、英仏蘭等は後退し、米ソが躍進した。戦後、アジア、ついでアフリカでは、抑圧されていた諸民族の多くが独立した。
 国際社会は、軍事的には、連合国が国際機構に再編され、いわゆる国際連合が国際秩序の要となった。やがて安保理常任理事国の五大国による核の寡占管理体制が形成されていった。
 一方、経済的には、大戦前の数カ国の列強による分割支配・ブロック経済は、大戦後、米ソ二大国の系列支配・体制圏経済に移行した。資本主義対共産主義、自由主義対統制主義の対立が構造化された。資本主義・自由主義の体制圏では、アメリカを中心とする国際経済体制が構築された。ブレトン・ウッズ体制がそれである。共産主義・統制主義の体制圏では、ソ連を中心とする国際経済体制が構築された。こちらでは、共産党による計画経済が試みられた。
 第2次世界大戦は、戦争という破壊によって、こうした新しい国際社会の構造を生み出した。そこに国際関係論的意義がある。

 現代の世界については、改めて書くことにして、いったん本稿をこれで閉めたい。(了)