ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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教育基本法の改正14~宗教教育

2006-05-02 06:48:54 | 教育
 自公の改正案に対し、教改委・民間臨調・日本会議等から、三点の修正要求が出されている。「愛国心」について積極的な表現に変えること、「宗教的情操の涵養」を盛り込むこと、教育は「不当な支配に服することなく、」の主語を教育行政に変えること。以上の三つである。私は、これらは最低限の要求として支持する。
 今回はこのうち「宗教的情操の涵養」に関わる宗教教育についてである。現行法は、宗教教育について、次のように定めている。

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●現行法
第九条(宗教教育)
 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
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 これに対し、自公案は、第一項に「宗教に関する一般的教養」という文言を加筆する。第二項は現行法と同じである。

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●自公案(H18.4.28現在)

(宗教教育)
第15条 宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
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 ここで「宗教に関する一般的な教養」と同じく尊重されねばならないとされるのは、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位」である。これらと同格で、「宗教に関する一般的な教養・・・は尊重されなければならない」と表現したのでは、この一文はほとんど意味をなさない。
 たとえば、「教育上、宗教の社会生活における地位が尊重され、宗教に関する寛容の態度及び宗教に関する一般的な教養が培われなければならない」とでも直さないと、言葉の羅列に終わる。
 そもそも「宗教に関する一般的な教養」は、「宗教的情操の涵養」を行なうことによって培われるものだろう。「一般的な教養」を言う前に、「宗教的情操の涵養」を条文に盛り込む必要がある。
 「情操」とは、「感情のうち、道徳的・芸術的・宗教的など文化的・社会的価値を具えた複雑で高次なもの」(『広辞苑』)を意味する。また「涵養」とは、「自然に水がしみこむように徐々に養い育てること」(同左)を意味する。
 幼いときから「情操の涵養」を行なうことによって、より客観的な知識としての「一般的な教養」が形成されるのである。
 教改委は、この点、以下のような提案をしている。

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●教改委案

第十六条(宗教教育)
一 宗教に関する教育は、宗教への理解と寛容の態度を養うことが重視されなければならない。
ニ 宗教的情操の涵養は、道徳の根底を支え人格形成の基盤となるものであることにかんがみ、教育上特に重視するものとする。
(三 国及び地方公共団体が設置する学校においては、特定宗教の信仰に導き、またはこれに反対するための教育を行ってはならない。)
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 大変よい内容だと思う。ただし、一般に、先に目的を書いて、次に目的達成の方法ないし方針を書くという順序がよいので、第一項と第二項の順序を入れ替えたい。
 第二項については、「特に重視する」とあるが、これは「重視する」で十分だと思う。基本法には、他にも重視するものがあるが、そのうちで一番重視するとまで定める必要はない。公教育においては、その目的と役割から言って、愛国心の涵養や公共意識の育成がもっと重要だからである。
 第三項について、私は必要な条項だと思う。この条項を定めることにより、「宗教的情操の涵養」の規定に反対する人々の懸念を払うことができるだろう。

 国際社会の平和と発展に寄与できる日本人を育てるためには、世界の様々な文化を理解する力を養わなければならない。国際的な相互理解において、宗教に対する理解と寛容の態度を身に着けているかどうかは、時に決定的なほど重要である。
 こうした理解と態度を養うには、まず自国の伝統や文化の一部となっている宗教について、理解と経験を持つことが基礎となる。たとえば、学校で食事の際に「いただきます」と言う習慣とすることは、仏教に導くことにはならない。伝統に基づく礼儀作法を身に着けることである。子供を地域の秋祭りに参加させることは、神道に導くことにはならない。地域社会の活動に参加する社会学習である。こうしたことが行われてこそ、宗教的情操が、自然にまた徐々に養われていく。
 そして、それが基礎となって、宗教に対する一般的な教養が培われ、また世界の諸宗教に対する理解と、宗教的寛容の態度が形成されることと思う。

 以下に私案を示す。教改委案の第一項と第二項の順序を入れ替え、第三項を採用したものである。

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◆ほそかわ案

(宗教教育)
第十五条 宗教的情操の涵養は、道徳の根底を支え人格形成の基盤となるものであることにかんがみ、教育上重視するものとする。
2 宗教に関する教育は、宗教への理解と寛容の態度を養うことが重視されなければならない。
3 国及び地方公共団体が設置する学校においては、特定宗教の信仰に導き、またはこれに反対するための教育を行ってはならない。
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