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●漫画・・ 「ぼっけもん」

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 僕は小学館の青年漫画誌「ビッグコミック・スピリッツ」を創刊第1号から読み始め、創刊号から連載が続いた「めぞん一刻」が終了するまで、いや、その後も「YAWARA!(ヤワラ)」が好きだったから、もっと、90年頃まではずっと購読し続けた。ビッグコミック・スピリッツは最初、月刊誌で創刊は80年の10月。「めぞん一刻」の終了が1987年。スピリッツが週刊誌になったのが86年。「YAWARA!」の終了が93年。やっぱり、80年から90年頃までは、僕は「ビッグコミック・スピリッツ」を毎号欠かさず購読してますね。勿論、その10年間に掲載されていた、膨大な漫画作品を全部、憶えている訳がありませんが、当然、印象に残った作品は記憶にあります。僕はだいたい、僕の少年期・青年期に大好きだった漫画作品は、雑誌連載で読んでいても、後にコミックスで再読しています。まあ、申し訳ないんだけど、この漫画作品は連載当時は毎号読んでましたが、コミックスでの再読は果たしていない。

 「ぼっけもん」を読んでいたのは僕が20代後半に入った頃で、掲載誌のビッグコミック・スピリッツは月二回刊の隔週刊誌でした。「ぼっけもん」がスピリッツに連載され始めたのって、83年頃だろうか。「ぼっけもん」は1985年に小学館漫画賞を受賞している。当時の僕は所属する企業の転勤で、東京の中央の営業所から群馬や埼玉奥の小さな営業所に飛ばされた後で、同じ群馬の支店下の職域で後輩となる、同僚の若者のアパートに泊めて貰ったとき、部屋にスピリッツが何冊も積んであったので、「どの漫画が好きか?」と訊いたら、彼が「ぼっけもん」と即答したのをよく憶えてます。正直、申し訳ない、現在、その彼の名前を忘れてしまっているのだが、容貌や雰囲気は今でもよく覚えています。良いヤツでした。「ぼっけもん」は鹿児島から上京して来た一人の若者が、大都会の人間模様の中の生活で、苦闘しながらも、鹿児島の方言で“ぼっけもん”と呼ばれるタフな気質をフルに活用して、自分の人生を切り開いて行く、というと大袈裟か、まあ、その人生を戦い抜く、等身大の人生模様漫画ですね。青春群像、といっても良いかな。失敗も裏切りも、恋も友情も、挫折も復活も‥、という若者生き様ストーリー。だったよーな。若き青年時代の、直情的な行動と青春の試行錯誤と成長。みたいな等身大頑張りコミック。

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 「ぼっけもん」作者や関係者の方に大変失礼ですが、僕は毎号毎号掲載漫画を読んで行ってましたが、そこまで大好きな漫画でもなかったかな。だいたい僕は、コミックは大きく事件性があるものか、爆笑するギャグ・コメディーが好きなもので。僕のコミックの趣味は、言ってみれば、日常を大きく離れた世界観の作品ですね。もろSFとか、殺し屋が出て来るとか、国際的な陰謀とか、犯罪組織に戦争・兵器とか‥。少なくとも、等身大の日常生活から大きく離れた物語。だいたい僕の好みはそっち系かな。あとは、等身大でも「めぞん一刻」みたいな笑えるコメディー。「ハード&ルーズ」や「事件屋稼業」みたいなハードボイルド系も好きですね。そこに、失敗や苦闘や悲しみや憎しみや、友情や愛や復活劇が描かれていても、生身といっていい等身大の人間の生活を描いた人間ドラマは、僕は読まなくはないけど、それ程好きな作品ではない。そういう作風は、僕は、あんまし趣味じゃない方。でも、「ぼっけもん」は細部は忘れているけど、作品はよく覚えています。頑張り抜く主人公に感情移入して、当時「ぼっけもん」を、手に汗握って読んだファンも多かったでしょうね。

 僕は「ぼっけもん」がスピリッツで終了した後に、この作者先生の他の作品を読んでいません。だから、「ぼっけもん」の後に、どんな作品を発表して来たかを知りません。「ぼっけもん」の作者、岩重孝さんは、88年からペンネームを「いわしげ孝」氏に変更されて、「ぼっけもん」で小学館漫画賞を取った後も、メジャー誌に次々と作品を発表されて、精力的に漫画家生活を送っていたようです。だから、僕は雑誌掲載で、「ぼっけもん」以外に、いわしげ孝氏の作品を多分、読んではいる筈なのですが、大変申し訳ありません、記憶してませんでした。スピリッツで「ぼっけもん」終了以降に連載されてた、「ジパング少年」も多分雑誌で読んでる筈なのだが‥。申し訳ない。

 いわしげ孝先生の訃報には驚きました。58歳の年齢で鬼籍入り。若い。若過ぎる。昔からよく、漫画家の人はあんまり長生きしない、とか言われていましたけど、確かに次々ヒットを飛ばして来た売れっ子漫画家先生で、60代くらいで亡くなられた先生もけっこう居ます。しかし、58歳は若死に過ぎますね。勿体ない。2008年から小学館ビッグコミックで連載されていたという、「上京花火」は未完の絶筆になったようですね。2013年3月6日、58歳病死。ご冥福をお祈りいたします。プロの漫画家という職業は、売れっ子になると不規則な生活で慢性的な睡眠不足を強いられ、とても身体に悪いハードな重労働の仕事で、売れなければ全く食べて行けないという難しい職業です。漫画家という職業は、明日の保証など全くない不安定極まりない仕事ですしね。

 僕の20代後半、群馬の支店下で後輩同僚の一人で、良いヤツだった、ごめんなさい名前を忘れてしまっています、コミック「ぼっけもん」が好きだった彼、何々さん、前日シコタマ飲んで、彼の部屋に泊めて貰った折、ビデオ録画して貰ってた「俺たちひょうきん族」のスペシャルを、飲んだ翌朝の、彼の部屋のTVで見せて貰った記憶がある。また、当時、僕が引き受けた仕事で、埼玉奥の山地の、高い山の峰にTV塔が立つので、それの部品機械を会社のセールス車バンの荷台に積んで、山道の悪路をチャーターで運んだ折、勤務する営業所が違うのに手伝って貰って、助手席に乗って貰い、一緒に現場まで持ってった記憶もある。僕の運転するバンが何度か、狭い山道の切通しでガードレールもなく、崖に落ちそうになった。あの時は隣の彼は怖かったろうなあ。懐かしい思い出だ。酒を飲んだ折、僕が15歳で破産して大貧乏だった家庭の話をしたら、彼の家も貧乏だったという話をしていた。北海道の出身で、親父さんが樵を生業としているとか話していた。まあ、いくら貧乏しても、父親がちゃんとしている分だけ良いけど。これが僕の、「ぼっけもん」で想起される思い出でした。少年期・青年期に読んだ昔の漫画作品も、流行歌と同じ効果で、曲を聴いたりタイトルを聞いたり読み返したりすると、懐かしい昔の思い出が頭によみがえって来る。懐かしいね。

※(2013-8/13)追記
 小学館発行の「現代漫画博物館」が出て来たので、パラパラ見てると、「ぼっけもん」の項があり、読むと、「ぼっけもん」の雑誌初出はビッグコミックスピリッツ81年2月号で、連載は85年23号まで、となっていますね。そして、これは僕も知らなかったのですが、その前にビッグコミックの79年19号から80年16号、となっています。つまり、漫画作品「ぼっけもん」のそもそもの新連載はビッグコミックで、途中から連載がスピリッツに移動した、ということですね。それから、この本の口絵グラビアに「ビッグコミックスピリッツ-創刊号」の表紙絵が載っているのですが、表紙をよく見ると、「岩重孝-ぼっけもん」とあります。あれ?おかしいな。スピリッツ創刊号は80年11月号です。スピリッツは創刊当時は月刊誌でしたからね。「ぼっけもん」は創刊号から掲載されてたんだ!
 「ぼっけもん」は、鹿児島から夜間大学に通うために上京した主人公の青年が、昼間働く書店で同僚アルバイトになる同級生の女の娘と恋愛し、やがて卒業と同時に女子は東京で就職し、主人公青年は自らの故郷の夢を実現するため、鹿児島へ戻る。…といったストーリーを本筋とした青春群像劇ですね。僕はスピリッツ連載時は毎号欠かさず読んでますが、後でコミックスでまとめて読む、ということはやってないです。

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