60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
●漫画・・ 「我ら九人の甲子園」..(1)
「我ら九人の甲子園」は双葉社発行の青年誌、「週刊漫画アクション」の70年代末頃から80年代前半に掲載された、青春野球劇画です。おおまかに言えば、甲子園を目指す高校生たちの青春を描く、野球スポーツ漫画。ただ、それまでの、例えば「巨人の星」を代表とするような、いわゆる“スポ根漫画”とはちょっとテイストが違う、高校スポーツ漫画でしたね。何て言うんだろう、登場人物たちが、それまでの青春熱血感動スポーツ漫画みたく、“真面目”ではない。あからさまに“不良”でもないし、まあ、「力が抜けている」というか。それまでにあった、このジャンルの作品の雰囲気で言うと、中でも近いのは「男どアホゥ甲子園」とか、かな。テイスト的に近いのは。まあ、藤村甲子園が入学した高校は、札付きの不良高校、南波高校だったけど、「我ら九人の甲子園」のメンバーの高校生選手たちは、一見不良ぽい雰囲気もあるけど、特に不良じゃない。ヤンキーというのでもない。普通に高校生で、自由な気風の、みんなちゃんとした若者だ。どっちかというと自分を持ったしっかりした若者で、何者にも縛られない自由感を大いに持ってる雰囲気だよね。で、きっちり九人しか居ない高校野球部。補欠も居ない、その九名だけで甲子園を目指す。主人公の小林投手のみがずば抜けた才能を持つ剛腕ピッチャーで、後の仲間は、最初は素人に近いようなドングリの集まり、という設定は、最近ではTBS系で2008年に放送され、09年に映画化もされた、高視聴率青春学園ドラマ、「ROOKIES -ルーキーズ-」にも似てますね。勿論、「我ら九人の甲子園」の方が、20年以上も先ですけど。「ROOKIES -ルーキーズ-」も原作は、少年ジャンプ掲載の漫画作品ですけど。「ルーキーズ」では、熱血教師が一方の主人公だったけど、「我ら九人の甲子園」には、特に教師に、主人公クラスの登場人物は居なかったように思うけど。主人公・小林投手の脇を固める、八人の野球部の面々には、個性的な登場人物が揃っていた。
「我ら九人の甲子園」が連載されていた頃は、「週刊漫画アクション」の黄金期ですね。まあ、青年漫画誌「週刊漫画アクション」の黄金期とは、70年代と80年代でしょうけど。僕には、「我ら九人の甲子園」が連載されていた当時が、「週刊漫画アクション」が一番面白かった時期だという気がする。僕自身が、自分のこの半生で一番、「青年コミック」に熱中していた時代、だったということもあるけど。多分、「我ら九人の甲子園」は後に、アクションコミックスで全編、読み通してると思うけど、連載は毎回毎週、雑誌で読んでましたね。記憶にある限りで、この当時の「週刊漫画アクション」のラインナップを挙げて行くと、「ケイの凄春」「乾いて候」「じゃりん子チエ」「博多っ子純情」「60センチの女」「星を間違えた女」「日本柔侠伝」「ルパン三世」「僕たちの疾走」「我ら九人の甲子園」「九番目の男」「嗚呼・花の応援団」「カニバケツ」「無礼ボーイ」「蜃気郎」‥。みんな懐かしい、僕には懐かし過ぎる、当時の傑作漫画ばかり。この当時の「週刊漫画アクション」には、よく、デビュー仕立てから注目を浴び始めた頃の、大友克洋さんの短編が掲載されてましたよねえ。漫画で日本SF大賞取った、「童夢」もアクション連載か。
作画担当のかざま鋭二さんの絵柄も好きでしたけど、原作担当の、1978年に「九月の空」で芥川賞を取って、メディアに颯爽と登場した高橋三千綱さんには、当時、僕には強い憧れがありましたねえ。高校生の頃に剣道と空手をやり、どちらも有段者という、高橋三千綱さんは、青年時代、アメリカ留学で三年間の米滞在経験を持ち、芥川賞受賞後のエッセイや対談なんかでよく、海外生活のことなんかも書いていて、あの時代、僕には、相当カッコ良いナイスガイに映ってた。当時20代の僕は、「九月の空」は受賞作発表号の「文藝春秋」で読んで、その後の小説や特にエッセイ集を好んで読んでいた。懐かしいなあ。
年代的に漫画アクション連載の「無礼ボーイ」は70年代前半ですね。「カニバケツ」はアクションではなくて週刊大衆の70年代後半の連載。
※ この「Kenの漫画読み日記。」タイトル「我ら九人の甲子園」..(1)は、タイトル「我ら九人の甲子園」..(2)へと続きます。では、また「我ら九人の甲子園」..(2)で。