goo

●漫画・・ 「赤き血のイレブン」

Photo_21

Photo_22  トヨタ提供FIFAクラブワールドカップの2006日本大会もいよいよ佳境、残るは後、3位決定戦、決勝戦となりましたが、ロナウジーニョのボールを操る技術はすごいですねえ。正にあれこそサッカーに於ける神業なんでしょう。魔術師の異名で称されたりしていますが、見ていて驚きのボール操りの手品師です。今回は6大陸から各トップのクラブチームが出て来て、クラブ世界一を競っているようですが、アジアナンバー1の韓国全北は5位に着いたようです。日本人岩本選手が居るオセアニア代表オークランドチームは6位。昔は確か、ヨーロッパ代表対南米代表の決戦のみでしたよねえ、トヨタカップって。代表というか、欧州ナンバー1チーム対南米ナンバー1チームの一騎打ちのみ。僕はサッカーはてんで詳しくなくて、よく知らないんですけど、いつ頃から各大陸代表決戦形式になったんでしょう?僕は知りません。僕はJリーグが出来てからもサッカーはまるで知りませんでした。2002年の日・韓共同開催FIFAワールドカップの時に俄かファンになって、オリンピック気分で日本代表チームを応援していただけです。日本が負けたら興味失くして、後の試合はTVでも見てません。その後も、プロ野球に比べれば、サッカーはあまり興味は無い方ですね。僕らの世代まではまだ野球でしょう。一般的にサッカーファンて、僕らの世代よりも、どんどん若くなるに連れて増えて行っていると思う。(無論、僕らと同世代や上の世代でも、大のサッカーファンという人も、当然居ると思いますけど。)

Photo_23  漫画作品ですとね、サッカー漫画は何てったってやっぱり「キャプテン翼」でしょうが、実は僕は、このサッカー漫画の名作を読んだことありません。アニメ放送も一度も見たこともありません。これだけで、サッカーファンからは国賊のように思われるんじゃないかと心配になりますが、「キャプテン翼」はすごい作品らしいですねえ。少年ジャンプ黄金期の連載漫画もコミックスもさることながら、そのアニメは世界制覇。アニメ作品は世界中で放映され、「キャプテン翼」に子供時代に影響されてプロ選手になったというヨーロッパの名手など、世界各地にそういうプロ選手が居るという程だというから、もうびっくりです。無論、漫画やアニメの「キャプテン翼」に影響されて、サッカーを始めた日本人もワンサカ居ることでしょう。漫画作品としての「キャプテン翼」も長大なシリーズになっていて、各シリーズブロックとなっているようです。最初のオリジナル作品の初期シリーズは、週間少年ジャンプに1981年から88年まで連載が続き、ジャンプコミックスで全37巻。何でも、小学生編、中学生編、ジュニアユース編から成っているそうです。作者は東京都出身で60年生まれの高橋陽一さん。デビューが、ジャンプ誌掲載の「キャプテン翼」の読みきり作品だったそうです。

 僕でも、昔から、「キャプテン翼」の名前と絵柄くらいは知ってましたけどね。「キャプテン翼」について調べると、拡がりが厖大できりがないので、もう、いろんなパートを詳しく紹介するのは止めときます。ただ、アニメ放送も何回もされて、映画化も何度もされて、ゲームソフトもいっぱい作られて、漫画作品も何シリーズにも渡っています。21世紀に入ってからもシリーズが断続的に、ヤングジャンプ誌で連載されています。とにかく漫画史に残るものすごいスポーツ成長ドラマ漫画ですね。僕は恥ずかしながらも、解りません、「キャプテン翼」の世界。サッカーもよく知りません。サッカーというスポーツが、世間的に知られ始めて来たのは、昭和40年代ですよね。確か僕が小学校高学年の時には、もう、学校のグランドでボールを蹴っていたように思う。高校生の時の冬の体育の授業は毎回サッカーをやってた。僕は身体が大きいとただそれだけで、キーパーをやらされてました。僕が初めて触れたサッカー漫画は、1970年の週間少年キング連載の、「赤き血のイレブン」でした。

Photo_24  僕らの世代まではまだまだ野球の世代です。少年時の僕たちには、サッカーというスポーツ主題のスポ根漫画は新鮮でした。「赤き血のイレブン」は、少年キングの70年2号から71年21号まで連載。作画は園田光慶、原作は当時のスポ根漫画ストーリーの王者、梶原一騎です。貸本劇画出身で、さいとうたかをプロダクションでも仕事をしていたことのある、園田光慶氏は劇画タッチの絵のうまい漫画家でした。「アイアン・マッスル」という作品の劇画描写が、当時のプロの漫画家や漫画研究家に衝撃を与えたのは、有名な話となっています。梶原一騎は言わずと知れた、この時代の漫画原作の帝王ですね。まだサッカーは早かったんだろうなあ、この時代には流行というまでは火が着きませんでした。この頃、少年漫画誌では俄かにサッカー漫画が増えたんですけどねえ。少年サンデーの「くたばれ涙くん」、少年画報の「サッカー番長」、少年チャンピオンの「雲を蹴飛ばせ」だとか。それでもぼつぼつサッカーに興味を持つ少年達は出て来ていて、少しづつは増えて来てたんでしょうけどねえ。

Photo_25  「赤き血のイレブン」はアニメでTV放映もされました。1970年の4月から71年4月まで日本テレビ系列で放送されています。僕は、漫画もキング誌上で時々読んで、このアニメ放送を見ていました。アニメ主題歌やエンディングの歌が大好きでした。エンディングの歌「我が友玉井真吾」は軽妙なメロディーで、ちょっと演歌調子で詩もよく、鼻歌に軽々出るような良い歌でしたねえ。でも何故か、ドラマ内容はあまり記憶にないんですよねえ。主人公の高校生、玉井真吾の放つ、オーバーヘッドキックや、独自で開発した必殺技、サブマリンシュート。それまでの少年野球漫画世界の「魔球」を、サッカー漫画に持ち込んだ初の作品でしょう。相貌が「巨人の星」の星一徹に似た親爺は、確か実家が小料理屋かすし屋で、板前かすし職人だったと思う。高校サッカー部の監督が主人公を鍛え導く、厳しい師匠格のキャラだった。

Photo_26  この当時で僕が読んだ他のサッカー漫画は、記憶にあるのは後は、「サッカー番長」くらいですね。サッカー版学園スポーツ漫画。確か、舞台は、高校ではなく中学校ではなかったか?1950年代の少年誌の王者「少年画報」の末期、「少年画報」が隔週刊化され、その時に毎号100ページ巨弾連載された、当時の「キックの鬼」や「学園番外地」と共に看板漫画だった作品。吉岡道夫原作、小島利明作画で隔週刊「少年画報」69年か70年頃のスポ根漫画。後はもう、雑誌「冒険王」の「夕やけ番長」内の1エピソードで、母校中学校のサッカー部の助っ人キーパーとなった主人公が、対敵アメリカンスクールの天才サッカー少年のオーバーヘッドキックと対決するヤツ、くらいだなあ。このお話でもサッカーの驚異の神業はオーバーヘッドキックとして描いてあるから、今ではプロ選手なら誰でもやるオーバーヘッドキックも、当時の梶原一騎先生には、サッカーのものすごいウルトラワザに見えたんだろうなあ。「夕やけ番長」は梶原一騎原作、作画荘司としおの、60年代後半から70年代初めの、大長編学園熱血感動漫画でした。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする