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ゴルフの聖地、オールド・コース

2022年07月16日 | ゴルフ

  今年の全英オープンがゴルフの聖地、セントアンドリュースのオールド・コースで始まりました。何故聖地なのか、いちいち説明するのもはばったいのですが、ゴルフ発祥の地であり今年がなんと150回目であるという古い歴史からも聖地ぶりが読み取れます。

  世界のトッププロはみんなここでオープンが開催される時に優勝したいと望むのです。そしてゴルフ好きのアマは、一生に一度はここで聖地巡礼のプレーしてみたいと望んでいます。幸いなことに私はここで3回プレーすることができました。3度もプレーできたコツはたった一つ、「絶対にここでプレーするぞ」という強い意志を持ち、それを一生懸命実行したからです。自慢話そのものですが、まあここは我慢して聞いてください。

  最初にプレーしたのは1988年、ニューヨークにいた38歳の時です。ロンドンの同僚と電話で話していた時、彼が「今度セントアンドリュースに行くんだ」というのを聞きつけ、「私も行きたい、連れて行ってくれ!」と懇願し、それが実現しました。その頃はJALにいたので、ホテルとコースの予約をロンドンの同僚にお願いし、結局NYの仲間を募り、2組8人でプレーすることになりました。航空便はお得意のインターラインパス。パンナムの友人に手配してもらい、ただ。そんなことをしていたのでパンナムは3年後91年に破綻してしまったのです(笑)。

  オールド・コースでのプレーをアレンジするのは簡単ではありません。当時スタート予約を取るには2とおりあって、コース脇のオールド・コースホテルに3泊以上泊まるか、早朝スタートハウスに行って名前を書いて順番を待つかです。我々は確実にプレーするため、当時一泊日本円で5万円近いホテルを予約し、スタートを確保しました。

  初めてのオールド・コースのスタートは緊張ものです。というのも、1番ホールのティーグラウンドには常に100人ほどの見物人がいるからです。しかもプロのトーナメント並みにマイクで4人の名前を呼ばれ、「Gentlemen, Tee Up, Please!」なんです。

  私はあまり緊張しない質ですが、友人は手が震え小さなティーにボールが乗らず苦労していました。しかも衆人環視のティーショットはもっと悲惨で、ダフリ、トップ、コースアウトとバラエティに富んだショットを見ることができ、見物人には大うけなのです。ちなみに私は隣の18番最終ホールと共通の広いフェアウェイの真ん中に飛ばし、拍手をもらいました。ただしその広さはなんと100ヤードほどもあり、右に大きく曲げてコースアウトしない限り、チョロでもフェアウェイのため、過緊張さえしなければ簡単なのです。

  オールド・コースをまともにラウンドするには地元のキャディーを雇わないといけません。けちるととんでもないことになります。我々はコースガイドを手にしてセルフでラウンドしたのですが、コースガイドは実はあまり役に立たないホールが多いのです。理由はティーグラウンドからホール全体を見渡せないからです。海岸沿いの比較的フラットな場所であるリンクスなのに何故と思われるかもしれません。理由はわずか2・3mの起伏があるだけでも見えないものは見えないし、4・5mの起伏もけっこうあるためです。。

  1番ホールはグリーンまで見渡すことができるのですが、その後のホールはティーから見えるのはグリーンのフラッグだけという状況が続き、ティーショットの目標すら定めることができません。特にゴースと呼ばれる灌木の茂みが目の前にあると、視界ゼロになります。高さわずか2mほどなのですが、人間の目の高さより高いため遠方は何も見えません。2打目以降でボールがフェアウェイにあっても同じで、グリーまでに数mの起伏があるホールが多く、ピンフラッグは見えてもそこまでのコース状況が全くわからないのです。コース全体は、前半のアウトコースほぼ直線的に出ていき、後半はそれを折り返すので、およその見当はつきますが、バンカーやラフの罠がどこだかわかりません。フェアウェイには所かまわずバンカーがあり、すぐさま餌食になってしまいます。

  2度目にプレーした時はやはりオールド・コースホテルに泊まってスタートを確保。しっかりとしたベテランキャディーを付けました。スタートしてすぐの2番ホールのティーで彼が言ったのは、「ほら、はるかかなたに白い煙突が見えるだろ、あれを狙え。外れると右でも左でもバンカーにつかまる」というのです。その煙突とは何キロも先の対岸の煙突なのですが、ほかは空だけなのです。ボールを打つと彼は「OK、バンカーの横5ヤードだ」何も見えないのに、正確に位置を予測してくれます。素晴らしいベテランキャディーでした。彼はアメリカ人ですがスコットランドのゴルフ場が好きで移住し、キャディーで生計を立てているそうです。ハンディはスクラッチ。つまりゼロで、アマチュア選手権に出ていると言っていました。

  その次の日、私は早朝5時に起きてスタート表に名前を書き入れて3度目のスタートを確保したのですが、実際にプレーできたのは午後1時半過ぎで、ラッキーなことにキャディーのスティーブが前の客とのラウンドを終えて戻ってきたため、そのまま一緒に回ることができました。

  オールド・コースのバンカー数は112個。18で割ると一ホール6個なのですが、ゼロのホールもあるので、もっと多い感じをうけます。空中からコースを写した写真を見ると、まるでクレーターだらけの月面です。

  その中でも有名なバンカーは14番ホールのヘル(地獄の)バンカーです。300平米と大きいし、高さは3mと深い。バンカーに降りるための梯子がかかっているほどです。あのジャック・ニクラウスも脱出に数打を要したというエピソードが残っています。

  そしていつも最終ホールに近い17番、ロードホールにあるロードホールバンカーも有名です。3日目を終わって首位だった中島常幸があと2ホールまで来ていてこのバンカーにつかまり脱出に4打を要し、討ち死に。彼のファーストネームのトミーの名が冠せられトミーズ・バンカーと言われています。様々な劇的プレーを演出するバンカーゆえ最近はバンカー内の壁にカメラが埋め込まれていて、ショットの様子をバンカー内から見ることができます。

  私の初めてのラウンドの日は風が強く、ピンフラッグが反ってしまうほどでした。その中でスコアは89と、私としては上出来でした。その次にオールド・コースに来たのは1997年で、その時はスコットランドに10日間滞在し、ターンベリー、カーヌスティ―などのコースを含め12ラウンド。そのうちセントアンドリュース近辺ではオールド・コース以外で3ラウンドしました。中でもオールド・コースの隣にあるニューコースは素晴らしいリンクスコースです。ニューと言いながら歴史は古くすでに130年も経っています。

  そして2回目のスコアはキャディーのスティーブのおかげで86と改善。3度目は彼が70台でのラウンドを目指そうと鼓舞してくれ、必死にラウンド。16番ホールを迎えるまで6オーバーで来ました。あと3ホールをパーで終えれば70台達成です。ところが16番ホールで1mのパーパットを外してボギー。全ホールで最も難しい17番と最終ホールのどちらかでバーディーを取れば79だったのですが、それはなかなか困難です。それでも17番ホールは2打でグリーンの手前までうまく運び、寄せワンのパー。あと残るは易しい18番のみとなりました。

  有名なスウィルカン・バーン・ブリッジのそばにあるティーグラウンドからのティーショットはナイスショット。残りは160ヤードほどでしたが、スティーブのアドバイスにより短めの150ヤードを打つ7番アイアンを選択。リンクスではボールがとてもよくころがるので、ピンの手前4mにナイスオン。このショットに対してグリーンを取り囲む100人ほどの見物人が拍手をしてくれました。まるでプロのトーナメントの最終ホールをプレーしている気分にさせてくれます。

  そして衆人環視の前で最終パットに臨みました。ピン位置は全英オープンの最終日で使う右奥の高い位置にあり、登りのほぼ真っすぐの絶好のバーディーチャンスでした。絶対にショートはしないぞと思ってしっかり目に打ったボールはホールの淵で蹴られて残念ながらパー。それでも見物の人たちは惜しみない拍手をしてくれました。

 

  ゴルフの聖地オールド・コースでの私のプレーはこれにて終了。その後スコットランドには2回訪れて、オープンを開催するミュアフィールドやロイヤル・バークデール、プレストウィックなどのコースをラウンドしたのですが、オールド・コースには戻っていません。いい思い出をそのままとっておきたいので、あえて避けています。

  以上、聖地巡礼の旅でした。

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