NHKの大河ドラマがいよいよ佳境に入ってきて、主人公紫式部である「まひろ」が源氏物語を書く段になりました。世界で最も長い小説である54帖をすべて読まれた方は多くないかもしれませんね。
私もその一人だったのですが、偶然の入院により長い長い物語を読む機会ができました。2008年、59歳になった私は長年の酷使がたたり、膝の手術を受けることになり、北里大学病院に入院しました。
告げられた病名は、両膝の半月板損傷。膝に水が溜まってすこし腫れたり、曲げ伸ばしで痛みが出るようになりました。医師からは「両膝の半月板を一度に手術をするべし」という診断を受けました。20歳代後半から毎朝のジョギングを開始。ニューヨークに転勤していた30歳代、37歳でNYマラソンを走り、冬はスキー、それ以外のシーズンはゴルフに明け暮れ、膝を酷使しすぎたのです。ただ幸いなことに膝にメスを入れると言っても、内視鏡による手術のため、一つの膝に1cmほどのキズが二つずつできるだけで、10日もすれば歩いて帰れるとのこと。
その先生はあの女流アルピニスト、田部井淳子さんの主治医でもあり、「彼女もあなたと同じように膝にメスを入れ、その後エベレストを登頂しました。それに比べればあなたの損傷はたいしたことはないですよ。半月板をきれいに削るだけだから」と言ってくれたのです。
そして両膝を一度に手術する理由は、「片方ずつでも二ついっぺんでも入院は同じ日数が必要。現役のあなたには一回で両方をお勧めします」とのこと。私は納得し「先生にすべてお任せします」と両膝手術を選択しました。手術とリハビリを入れて入院日数は12日間の予定でした。手術後の経過は順調で、膝の痛みは10年以上を経て激しい運動をしても、いささかもありません。
そこで一計を案じた活字中毒の私の決断は、「この際10冊に及ぶ長編小説、源氏物語を一気に読もう」というものでした。ちょうどその頃、瀬戸内寂聴による現代語訳版の源氏物語10巻が完結していたので、それを一気読みすることに決めました。
日本人であるからには、死ぬまでに一度は読もうと思ってはいたのですが、とにもかくにも超長編です。よほどの覚悟を決めないと読めるものではありません。と、ここまで書いて、「そうか、山岡荘八の徳川家康26巻のほうが小説としては長いな」と思い返しました。それはともかく、
病室は6人部屋で、同部屋5人はすべて慶応大学の体育会に属する現役プレーヤーでした。彼らは大怪我をすると何故か慶応大学病院ではなく、大学同士親密な関係にある北里大学病院に入るのだそうです。ラグビー、サッカー、アメリカンフットボールの選手ばかりで、ほとんどが複雑骨折の重傷患者。2か月から半年に及ぶ長期入院の患者でした。そこに闖入者とも言うべきオジサンが一人、源氏物語を抱えて入ってきたので、みんな興味津々だったようです。
同室の連中とはすぐ仲良く話すようになりました。もっとも若い彼らの関心は私が学卒で入社したJALからどうしてアメリカの投資銀行に転職し、その後イギリスの投資会社で働いているのかという点でした。その説明を終えると、次は何故源氏物語10巻を抱えてきたのかに移りました。
そもそも私は「兄弟の多い父方の親戚が集まる新年会で、子供のころから百人一首で遊んでいたので、和歌と平安時代には自然に興味を持ち、源氏物語は一度は読んでみたかった」という説明をしました。なにしろ叔父叔母合計12人、いとこは合計14人という大人数が一堂に会し、大人は二組に分かれて争う源平合戦、子供たちはばらにまいたカルタを取る乱取り、新年会とはカルタ会だったのです。少しでも早く取るために、上の句の最初5文字が読まれたら、すぐ下の句の札をめがけて飛びつく。その競争心が100首をすべて覚えた原動力でした。
入院中の読書はどんどん進むだろうと思っていたのですが、横たわって読み始めるとすぐに眠くなるため、意外に進まないことがわかりました。そこでベッドだけではなく、歩行のリハビリに使う半円形の歩行器に肘を乗せて歩きながら本を読むことを思いつき、病院中を歩いたり、面会スペースの椅子に行って腰かけたりして読むことにし、1日1冊のペースをどうにか守ることができました。
源氏物語を読むにあたって必要なものが一つあります。それは登場人物が多すぎるのを整理するために、すべての人物の相関図を見ながら読む必要があることです。本を買った時点でそれがわかったので、実は入院準備としてネットで大版の源氏物語相関図を見つけてプリントし、さらにA3のコピーマシンで拡大して病院に持参したのです。実際の本は新書版のため、1冊ごとに小さな相関図はあるのですが、それらをつなぐ頭の整理が難しいのです。もし今後読まれる方がいらしたら、これだけは必需品であることを申し上げておきます。
源氏物語に関して著者の瀬戸内寂聴は1冊目のあとがきで、以下のようなことを書いています。
・源氏物語こそ日本が世界に誇る最高の文化遺産である
・源氏物語54帖は400字詰め原稿用紙で4千枚。世界でも類を見ない長編
・登場人物は430人に及ぶ
・千年も前に紫式部という女性がこれを書いたのは、天賦の文学的才能に恵まれていたから
・主人公光源氏は稀有な美貌の持ち主で、文武両道あらゆる才能に恵まれ、怪しいほど魅力的な上、人並み以上に多感好色な皇子である
そのように形容されるパーフェクトな主人公が、ありとあらゆる恋の手練手管を弄して物語を紡ぐため、読んでいても冗長さは全く感じませんでした。
ところで私の住んでいる世田谷区の用賀には、駅前から歩いて20分ほどの砧公園に続く、「いらか道」と呼ばれるプロムナードが整備されています。その道はグレーの瓦の素材でできた10㎝四方の石板が敷かれ、そこに「百人一首」が刻まれています。
用賀駅前の1人目は天智天皇。「秋の田の かりほのいほの とまをあらみ わがころも手は 露に濡れつつ」から始まり、砧公園入口付近には100人目の順徳院。「ももしきや 古き軒ばのしぶにも なほあまりある 昔なりけり」そこまで数メートルおきに歌が刻まれています。文字はプロとおぼしき書道家の見事な草書体もあれば、きっちりとした楷書体、子供が書いたと思われる字もあり、千差万別。原稿のまま写し取って彫られたものだそうです。
今回の大河ドラマの登場人物の歌を二つ上げますと、
57人目 紫式部 ; めぐりあひて 見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし 夜はの月かな
62人目 清少納言 ; 夜をこめて とりのそらねは はかるとも よに逢坂の関は許さじ
百人一首を内容別に分類すると、以下のとおりだそうです。
・恋の歌 43首
・季節の歌 32首 うち秋16首 春 6首 冬6首 夏4首
・旅の歌 4首
・その他 21首
紫式部の歌はストレートに恋の歌ですが、清少納言の歌はどう分類されるのでしょうか、よくわかりませんのでその他なのでしょう。中国の函谷関という厳しい関の故事と日本の逢坂の関の検問の厳しさを比べています。そういえば「箱根の山は天下の剣」の歌にも「函谷関もままならず」という比較がありますね。
清少納言には、今回のドラマでもそのシーンがありましたが、「香炉峰の雪はいかにせん?」という問いに対して、「すだれをかかげて見る」と白居易の歌で返しています。それもやはり中国の故事に極めて詳しい賢者である故のエピソードなのでしょう。
さきほども述べましたが、私は中高生のころは百首をすべて諳んじていて、上の句の最初の5文字を聞けば、かるたに平仮名で書かれている下の句がすぐ浮かぶほどでした。例えば「めぐりあいて」を見れば、即「くもがくれにし・・・」が出るという具合です。
しかしその時代から数十年を経て用賀に引っ越してきて「いらか道」を歩くたびに記憶をたどるのですが、最初の5文字から下の句に飛べるのは全体の4分の3ほど。あとの4分の1は上の句すべてを言ってからでないと、下の句がスムーズに出てこなくなっています。それでも若い時の記憶はしっかりと刻まれているものだと、我ながら感心してはいるのですが・・・。
実は先週、鮫洲の自動車試験場で75歳に向けて「認知テスト」を受けました。幸い無事通過。一度に受けるおよそ10人中、一番先にテストを終えて席を立つことができました。とりあえず、めでたし めでたし。
横道に逸れてばかりで長くなりましたが、「源氏物語と私」でした。