河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。
全ログ0013まで修復済161024

2203- ヴェルディ、ドン・カルロ、ゲルギエフ、マリインスキ―、2016.10.12

2016-10-12 23:41:27 | オペラ

2016年10月12日(水) 6:00-10:35pm 東京文化会館

野村グループ プレゼンツ
ヴェルディ作曲
ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ プロダクション
ドン・カルロ

キャスト(in order of appearance)
1.修道士、ユーリー・ヴォロビエフ(Bs)
2.ドン・カルロ、ヨンフン・リー(T)
3.ロドリーゴ、アレクセイ・マルコフ(Br)
4.エボリ公女、ユリア・マトーチュキナ(Ms)
5.エリザベッタ、イリーナ・チュリロワ(S)
6.フィリッポ2世、フェルッチョ・フルラネット(Bs)
6.アレンベルク伯爵夫人、不明(黙役)
6.レルマ伯爵、アレクサンドル・トロフィモフ()
6.テバルド、マリーナ・アレンショコワ()
7.宗教裁判長、ミハイル・ペトレンコ(Bs)

ワレリー・ゲルギエフ 指揮 マリインスキー・オペラ

(タイミング)
第1幕 18′ 45′
Int
第2幕 15′ sb2  20′
Int
第3幕 41′ sb1 14′
Sb2
第4幕 23′


この日も前日同様、開場したが席へのドアはしばらく開かない。リハ続いているのだろう。ということで、

ヴェルディの作品を聴いたはず観たはずなんだが、聴後感観後感はロシア物。なんだか圧倒的なロシア作品という残像感。
このオペラはヴェルディのゴツゴツボコボコ進む感じがもともと無く、シームレスな流れが美しい作品で、ロシアのオペラだと最後はほとんど長編小説の読後感のようなものがあるのだが、ゲルギエフがそのようなことを狙って意図したものなのか、はたまた、ヴェルディの他作品も多数振っているのか、そのあたりのことはよくわかりませんけれども、それなりのスポットをあてたものであるような気がします。途中からストーリーはほぼ横に置いて、歌そのものの美しさの饗宴になってくる。ダークな舞台にダークなストーリー、そして綺羅星のような独唱、重唱、撫でるようなフレージングが美しいオーケストラ伴奏。もう、そこらへんのことを、身を任せて浸る。第2幕2場、第3幕、第4幕、特に第3幕第1場、ここにタイトルロールは出てきませんが、揃った揃った5人衆、次々と繰り出される見事な歌唱がとめどなく溢れ出る。誰が主役かわからなくなるぐらい。

この作品は、たまたま割と集中した一昨年(2014年)、二期会で3回、オペラバンドで1回、計4回観ました。いずれも5幕版で、頭のところがあるかないかで随分と印象が違う。4幕版だとホルンの節のところから入るので序奏的な雰囲気からの出になるがどうも違和感がぬぐえない。すぐに物語に集中していけるところはあるのかな。まぁ、でも、1幕、2幕前半越えれば、ストーリー越えてドラマチックな歌の世界に入り込んでいく。

出番としては、1幕すぐに、ドン・カルロとロドリーゴ、そして、エボリ公女とエリザベッタが出てきて、これに、フィリッポ2世がからんでくる。あとは、3幕から宗教裁判長の出番。この6キャストによる構図。
演出はシンプルなもので、ストーリー展開に合わせてバックに映像を織り交ぜながら進める。大掛かりな仕掛はなく、人の動きでそこそこみせる。この演出の方はヴィデオグラフィクス(映像演出)をよく取り入れているようですね。シンプルで効果的。
第2幕2場の火刑の場では、火あぶりされた死にゆく人々が天上にいく様子が舞うように映し出される。リアルなものではないがなかなかいい。全体構図はコンパクトなんだが、同場面にはフルラネット扮する国王も登場していて、相乗的な効果を得ている。このコンパクトな中での劇を許容しようというか、なにか、枠組みの中での出来事として見ていられる部分があって、処刑の残酷さが浮き彫りにならない。これはこれでいいアイデアだと思いました。雰囲気、ムソルグスキーのホバンシチーナのフィナーレでも使えそうな気がしました。
2幕のこのシーンでグッと盛り上がる。
3幕は、フィリッポ2世フルラネットの超有名バスアリア(ひとり寂しく眠ろう)から、宗教裁判長との二重唱、そしてタイトルロール以外による四重奏、などなど次から次とこれ以上ない技が出てくる。2場からドン・カルロも絡み、最後はロドリーゴの圧唱。もはや、誰が主役なのか本当にわからなくなる。この3幕は全部圧巻。
そしてショートブリーフをはさんで終幕4幕はエリザベッタが舞台中央でアリアを絶唱。これも素晴らしかった。聴いているほうは息をつくまもない。

フルラネットは昔メトでよく聴いた(30年ほど昔)。ラ・ボエームのコルリーネ、セビリアの理髪師のドン・バジーリオ、リゴレットのスパラフチーレ、、昔は若かったはずなんだが、見た目の印象は今も昔もあまり変わらない。バスサウンドは隙間が無くザラザラせず、ややウエットで太くて大きい声。前によく出るもので迫力あり。どのシーンも印象的。
題名役のヨンフン・リーはもうひと抜けほしいですね。声の抜けはもちろんの事、演技も同じくもうすこし体当たりしてほしい。
エボリ公女のマトーチュキナは柔らかめで前によくとおるメッゾ。自らの美しさをねたみ、最後倒れるあたり白熱の演技。こういった没頭演技がリーにはほしかったですね。
ロドリーゴのマルコフは少しざらつきが感じられたが渾身のバリトン。題名役をくってしまいかねない、歌だけでなく仕草も。いい歌唱がいたるところに聴かれました。
宗教裁判長のペトレンコ。前日イーゴリ公でのコンチャーク汗のアリアを聴いていまして、毅然としたバス、見栄えのする姿、圧倒的でした。この宗教裁判長はキャラクター風味満載で、盲目役で顔は見せず、布っきれみたいなもので身を隠し、お化けのような長身。10センチ高のゴム靴のようなものを履いていて、ただでさえ高身長なのにこのハイヒール。空をさまよう裁判長。これはいかさまであってもおかしくないねぇと思わせるに十分。
4幕頭のアリアを見事に決めてくれたエリザベッタのチュリロワ。この4幕、舞台には何もない。奥に壁のようなものがあるだけ、種も仕掛けもない。舞台の真ん中に一人歩み出て、全聴衆が見守る中、ひとりで全てを決めなければならない。これって、なんだろう、もう、やるしかないっていう感じかな。ここまでくるとヴェルディのことはほとんど忘れてしまっていて、ロシア長編小説的オペラの締めくくりの終章が始まった。リリック、ドラマチック両方のソプラノがハイブリッドしたような絶妙なニュアンスがちりばめられた歌で、もう、ほれぼれ。歌い手の目線と同じ高さの位置で聴くオペラアリアの醍醐味は、何物にも代えがたい。ほれぼれする歌唱でした。

オーケストラは、前日はオン・ステージで今一つでしたけれども、今日は水を得た魚、ピットを得たオーケストラ。演奏が生きている。劇場型のオケとあらためて痛感。生き物のような見事な伴奏でした。
おわり


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