河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2467- マーラー3番、コルネリウス・マイスター、読響、2017.12.12

2017-12-12 23:09:24 | コンサート

2017年12月12日(火) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第3番ニ短調  32、9-16-8+4+23
 メッゾ、藤村実穂子


新国立劇場合唱団(女声)
TOKYO FM少年合唱団、フレーベル少年合唱団

コルネリウス・マイスター 指揮 読売日本交響楽団


このコンビを聴くのは今日で3回目。3回ともに同じような印象。リハーサル不足ではないのかなということ。バックステージストーリーには興味のない人間ですけれども、どうも、アンサンブルの合わせが時間不足で、済んでいないような気がする。まぁ、ざっくりとした印象ですけれども。首席客演指揮者になったツボがありながら、そういったことが十分生かせていないのではないか。アンサンブルの妙を聴く楽しみは無かったすね。

マイスターGM3仕様はクレシェンドの歌い節が無いこと。マーラーの歌にありがちなねばっこいクレシェンドとか、削ぐようなスフォルツァンドといったものを駆使してネバネバやる演奏とはかなり違う。ドイツ音楽表現の力学を感じさせてくれる。フォルムで音楽を作るにはこうしていく、というのを、意識することなくDNA的感覚で進めている、そういった印象が強い。ときに薄味に聴こえたりするのは作品のせいかとも思う。

合唱とソロは長大な第1楽章が済んだところで入場。それでもソロの一声まで30分近く待つことになる。歌の前にペットボトルのストローに口をつけてうるおし4楽章へ。
指揮者の譜面台を覗き込むような近さにポジショニング。何か問題があったのか。あまりに近すぎてびっくり。第一声、二声あたりはピッチが不安定。ぶら下がる歌いくちのかたではないのでストレートにいくがずれ気味。ブラスセクションの吹奏の後は安定してきて、コクのある歌唱を楽しめました。次楽章の、新国立の女声、それに少年!合唱団、ともどもいきのいい歌唱。終楽章の見事な入りはマイスターのもの。演奏後の完全空白は聴衆のもの。
色々とありましたが、品性、知性といった言葉が明るく作品を照らした。
おわり

 


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