河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017-12-16 23:53:57 | コンサート

2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017年12月16日(土) 7:00pm サントリー

マルティヌー 交響曲第1番  10-7-10-9
Int
ブラームス 交響曲第1番ハ短調Op.68  16-9-5-17

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


一言で言うと重い解釈。ご本人のスタイルが相応な熟成を魅せつつあるのだと思う。
この前のマル2、ブラ2をさらに推し進めたような響き具合。
2466- ドヴォルザーク、オセロ、マルティヌー2番、ブラームス2番、ヤクブ・フルシャ、都響、2017.12.11

正面突破スタイルで、提示部いくら長くてもリピート、弦楽合奏のような鬱蒼とした森のハーモニー、時折ほっかりと浮かぶウィンドセクション、抑えたブラス。
ブラームスに本格的な響きの快感をもたらす。ここにティンパニの強打は不要。都響のティンパニのバランスと音色はいつもよくない。これを除けば、最高のブラームスで聴きごたえありました。
スケールの大きさはこの前の2番が格別なものがあった。今日の1番はフレーム感覚をさらに推し進めてはいるもののびったり決まったかというといまいち感がある。合奏アンサンブルは濃いけれど、ホルンセクションなどは守りに入らずもっと攻めてくれと言いたくなる特に一番は。こじんまりしていて内声の響き具合は、支えているねとは思うがさえない。コーダソロでの1,2番の音色違いも気になる。どっちにしても線を大胆に浮き上がらせてほしいというところがたびたびある。
フルシャはいわゆるヨーロッパスタイルの正三角錐な音場進行を取っていると思うので、これなら読響のほうがしっくりきそうな気もする。バンベルクもオリジナリーなものを感じさせる方向へ変わりそうな気配濃厚。

プログラム1曲目はマルティヌーの1番。最後に1番。
冒頭から頻発するシンコペーションや快活な刻みをフルシャはほとんど振らない。この音楽には見えざる大きな縁取りがあるのだよ、それを振っているんだ。そんな感じ。それだけを見ているとメータの棒と似ているかもしれない。メータ棒はよく見ると細かいところまで振っているのだがフルシャは本当に大枠を振る動き。
殊更にリズミックなところを強調するものではなくて、流れ重視なのかもしれない。マルティヌーの音楽は、自分の聴き方はミニマル元祖という聴き方なのだが、ここはライヒではなくグラスモードのストリーム展開。
1番は巨大編成で色彩豊かな作品。都響のややドライで分解能に優れた演奏がフルシャの重くしたい(かもしれない)棒が双方の生きざまを見せてくれているようで、一度に二つのものを見ているような面白さがあった。
都響首席客演指揮者離任演奏会。
フルシャのこれからの活躍が楽しみです。
おわり