2016年10月15日(土) noon12:00-4:05pm 東京文化会館
野村グループ プレゼンツ
チャイコフスキー 作曲
アレクセイ・ステパニュク プロダクション
エフゲニー・オネーギン
キャスト(in order of appearance)
1-1.タチヤーナ、マリア・バヤンキナ(S)
1-2.オルガ、エカテリーナ・セルゲイエワ(Ms)
2-1.ラーリナ、スヴェトラーナ・フォルコヴァ()、
2-2.乳母、エレーナ・ヴィトマン()
3-1.レンスキー、エフゲニー・アフメドフ(T)
3-2.オネーギン、アレクセイ・マルコフ(Br)
4.トリケ、アレクサンドル・トロフィモフ()
5.中隊長、ユーリー・ブラソフ()
6.ザレツキー、アレクサンドル・ゲラシモフ()
7.グレーミン、ミハイル・ペトレンコ(Bs)
ワレリー・ゲルギエフ 指揮 マリインスキー・オペラ
ActⅠ 33′ sb1′ 33′ sb1′ 18′
Int
ActⅡ 25′ sb1′ 17′
Int
ActⅢ 20′ 15′
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美しくちりばめられたカラフルなリンゴは5000個とは言わずとも、どこか哀しさを湛えた明るいシーン、それに練り上げられた人物の動き、ディテールの美しさはいたるところ目をみはるものがありました。
この前に上演されたドン・カルロ(2016.10.12)がロシア物風に突き抜けていたあれに呼応するかのように、チャイコフスキーはそのロシア物とはまるで異なる洗練の極みの様な音楽で、ゲルギエフ&マリインスキーが、神経細胞が見えるようなナイーブなデリカシーをもろに見せつけてくれた極限の抒情的情景でありました。
何から何までビューティフル。
第2幕の決闘に至る物語は、長い第1幕が無くても違和感なく成立する話だと思いますけれど、その長い第1幕は伏線になるのではなくて、むしろ第2幕こそドラマチックではありますがこちらのほうが伏線と思えてくるわけです。換言すると、第1幕と第3幕の起結ストーリーにはこの2幕の内容でなくてもいいというようなことです。このストーリーが選択されたのかどうか浮かんだのでしょうか、原作的には。
ここに共通するのは驚嘆すべき美しさ。綿々とウェットに、果てることのない美しさ。
プロダクションのステパニュクは、マリインスキー・アカデミーの若いソロたちに当時の慣習や言葉のイントネーション、それに動作など教えたとある。また第2幕のストップモーションやダンサーみたいな細やかな動きを表現する大勢の貴族連、あれはもしかして合唱団ではないよねと脳裏をよぎったりしたのだが、彼の弁ではコーラスの人間ひとりひとりに演技付けをしたとのこと、舞踏シーンも含め。
結局、一体化したシステム、統一感のあるもので、劇場そのものを観る醍醐味に浸りつくしました。ソリストのワンフレーズからコーラスひとりのつま先の動きまで、鍛えられたものだったわけですね。と後になって素晴らしさをさらに実感する羽目になってしまった。
舞台はシンプル、緞帳の先にもう一つ幕を縦横に作ることにより場面転換させ、幕の終わりは緞帳を下げる。舞台のシンプルな美しさもさることながら人物の動きが精緻で色々と意味ありげな個所が自然に出てくる感じ。
コーラスの動きは特筆すべきところが多々ありましたが、肝心の歌が今一つ、これは他の公演でも同じ。(2016.10.11、2016.10.12)
あと、粒ぞろいのソリスト。レンスキーのアフメドフは正面席でも声が少し小さく感じました。
ほぼ室内楽モードの演奏はウェットな泣き節にもゲルギエフの真骨頂があると認識させてくれるに十分でした。
カーテンコールにはステパニュクもあらわれました。
素晴らしい内容で満足しました。
おわり