河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

ヴァントの筋肉ブル8 1990-11

2007-04-15 20:27:00 | 音楽

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1990年の秋は濃かった。

一か月前にチェリビダッケの棒で天国的な長さのブル4、ブル8を聴いたばかりだ。

チェリビダッケのブル4 1990-9

長すぎるチェリのブル8 1990-10

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今度はヴァントのブルックナーだ。

この年の秋、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団が来日した。

ツアーは、

1990113()から

19901111()まで

8回行われました。

東京では34日の両日演奏が行われました。

そのうち、文化の日の演奏はこんな感じ。

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1990113()7:00pm

サントリーホール

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ブルックナー/交響曲第8(ハース版)

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ギュンター・ヴァント指揮

NDRso.

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一か月前のチェリのブル8とは、180度方向が異なる。

まず、かかった時間があまりにも違う。

チェリ1時間45分。ヴァント1時間15分。

楽章間のゆらぎはあるものの、その差30分。

指揮者によるパルジファル第1幕の解釈相違なみの違い。

解釈の違いというよりも、音楽に対する見解の相違といった方が良いのかもしれない。

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ヴァントは写真でしか知らない人は驚くが、長身痩躯で手がやたらと長い。

痩せているので動作に緩慢なところがなく、自然体の省エネ棒。

この棒が作り出す音楽はかなりきつい。

フレーズの頭をぶつけるような強烈なアクセントが随所に見られる。

ほんわか、といった曖昧な表現は彼にとって音楽表現の範疇にはいらないのだろう。ベートーヴェンの音楽はその感興に大変よくマッチする。

ブルックナーも方針は同じ。ズシーーン、とくるよりも、ビーーン、と一斉に音が出てくる。

様子を見ながら音を出すように聴こえたりするウィーン・フィルのような癖とは異なり、いきなり縦板に音をぶつける感じ。

いきなり明快でなければならないわけで、かなりの練習が必要と思われる。

頭から加減抜きでピッチをそろえなければならないのでもちろん腕達者な連中の集まりでなければならない。

2000年に来日にして、未完成とブル9を振ったときも同じスタンス。剛直といってもよかった。

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1990年代にベルリン・フィルを振ったブルックナーの録音が、当時、神のお告げみたいな広告の中、ずいぶんと宣伝されたが、カラヤンサーカスでのもやもやしたとらえどころがない録音は彼の真の姿をとらえているとは言えない。

ヴァントの音楽は強烈アタック、エネルギッシュで剛直ではあるが、他面、アダージョ楽章などを聴くとわかるが、変に歌い回しをしたりしない。

それでいて音楽のふくらみのようなものを感じる。器楽的なニュアンスが素晴らしい。音楽が音化される楽器が、楽器という手段を使って楽器そのものから湧き出る音の表現として消化されているような。とどのつまりは、音の背後ではなく、音のみから音楽を表現し、それを聴衆が聴いている。余計な感情による起伏をはいりこませない。

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ヴァントの振るブルックナーは、ベートーヴェン解釈がそのまま拡大したような様相を呈する。

主題の数、音符の長さ、規模、などいろいろと異なるところがあるが、ベートーヴェン並の凝縮された音楽表現を求めるので、やる方も大変だが聴く方も大変だ。

しかし、それによって構造が明確、クリアになるので、時間なんてあっというまだ。ミスターSことスクロヴァチェフスキーなども同じ方向ではないか。

ヴァントが振ったベルリン・フィルとのブルックナーは横の拡がりを感じさせるものであったのだが、手兵のNDRでは、縦に突き進む音楽表現を思う存分発揮している。彼の表現だ。

2000年のときもそうだったが、プレイヤーがフラットに聴衆の方を向いているのではなく、全員が指揮者の方に椅子の角度をとり、見た目は小規模なオケといった感じの錯覚を覚えるが、実はあの向きが音楽への姿勢そのものなのかもしれない。

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1970年代1980年代に単独で来日しNHK交響楽団を振っていた頃のブルックナーは、そのような内実よりも、むしろ、田植えの種をもってきて植えて帰る感じ。

N響もそれまでブルックナーをやったことがない、ということではないが、ヴァントが振ったときの安定感、説得力はまるで違っていた。

それまで現代の指揮者の存在なんて、棒を持ちきれいに縁どりする、ぐらいのどちらかといえば軽い意識であったのだが、ヴァントが振る意義というのは、ブルックナー解釈、という物を頭の中でドイツから運搬し、それを日本において帰るような趣き。ほかの誰とも説得力がまるでちがっていた。

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ということで、この1990年来日公演8公演では、もうひとり指揮者がおりました。

作曲家として名が売れているクシシュトフ・ペンデツキ。彼が5公演もち、ヴァントはブルックナーの8番を3回振っただけでした。

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1990年はこれで11月初旬までこぎつけたわけですが、あと1か月余りで1991年になるというのに、このあとの来日公演ラッシュがすごかった。

おわり

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熱狂の日2007

2007-04-14 22:01:54 | 音楽

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熱狂の日2007

3年目の今年のテーマは、民族。

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ラ・フォル・ジュルネ

熱狂の日

音楽祭2007

民族のハーモニー

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この音楽祭は今年で3年目らしいが、ゴールデンウィークでの開催であるため、行く人は集中的に行くことができるだろうし、長期休暇となるため海外旅行などしてしまう人には全く関係ない。

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今年は、

200752()から

200756()まで

181公演!!!!

有楽町の国際フォーラムでの公演。

公式サイトはここ。

熱狂の日 音楽祭2007

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写真でアップしたのは、ぴあ特別編集の完全保存版。

いろいろと広告ページがあるが、全公演のスケジュールと出演者が載っており、無料とするにはもったいない。価値あるもの。

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0才児から100才児超まで、オールおすすめコンサート。

毎日朝910時から夜中の0時近くまでコンサートだらけである。

内容は一般向け。

それでも例を見ない規模のお祭りであろう。

日数が集中的に5日間というのも珍しい。

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東京国際フォーラムにはホールが大中小たくさんあるが、この5ホールで行われるようだ。

ホールA 5004

ホールB7 820

ホールB5 512

ホールC 1490

ホールD7 222

相田みつを美術館 102

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入場料が抑えられているため、毎日、複数時刻、複数ホールのコンサートに行っても比較的負担が少ない。

また出演者も一流どころがでているため、内容的にもそれなりに期待をもてる。

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東京国際フォーラムはクラシックのコンサートにはむかないが、立地条件、大箱、などまとめて押し込めてやるようなイヴェントにはあう。

よく、会社の半期に一度のお説教方針会議とか、多数集めてやるような会議なども開かれている。

ホールにより雨の音が聞こえたりして、おもしろいというかチープというか、ホール自体にはあまり興味がわかない。

ここは昔、東京都庁があったところであり、そのかつての都庁というのは今の都庁と比べたらダメ。

何階建てか忘れたが、低くてゆがみもあり、あまりきれいなビルではなかった。

むろん出来たころはきれいだったかもしれないが、お世辞にも東京の庁舎という感じはなかった。

公器であるので中の食堂で誰でも昼飯は食える。

その昔、たまに食いに行ったりしたものだが、煩雑な場所の空いたテーブルで、お茶を注ぎ、いそいそと食べる感じ。

フォーラムは外目は立派に見えるが、中に入るなり骨組みが見える粗雑なつくり、このようなデザインなのかもしれないが、昔の都庁の大雑把さがそのまま継承されているようで妙に懐かしかったりする。

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181公演、オケの公演から室内楽までテンコ盛りだが、一つだけお勧めを選ぶとすればこれかな。

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200754()

21:1522:30

ホールA

S席3000円、A席2,500

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チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

 ヴァイオリン、庄司紗矢香

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チャイコフスキー/ピアノ協奏曲

 ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー

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ドミトリー・リス指揮

ウラル・フィル

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出演者、曲目、値段、これならだれも文句は言うまい。

必聴。

あとは美演を期待するだけ。

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このホールAは5000人はいる巨大ホール。

2階の後方から見ると、まるで、NHKホールから渋谷公会堂をみるかんじ。とまではいかないが、ビノキュラス必携。

おわり

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真似自慢

2007-04-13 20:32:00 | 音楽

2007412()の日経新聞朝刊をみていたら、一番裏の文化欄に、昔の初代総支配人

という人がサントリーホール初期のことを書いていた。

自画自賛の文。

タイトルは、

楽しんでこそ音楽ホール

.

佐治さんにご指名されて10年間の海外生活を終え総支配人になった人らしい。

オープンするにあたり、切符切りはどうしようか、クロークはどうしようか、案内係はどうしようか。

日本のホールをみてると愛想はないし、終わると追い立てるように帰す。(たぶん上野の文化会館のこと)

こんなんじゃだめだ。西欧ではチケットテーカー(切符切り)、クローク、案内係などそれぞれ作業分担が進んでいる。これは真似しなきゃだめだ。真似延長のレセプショニストを置いて兼務させよう。

日本では休憩時間にアルコールが飲めない。これは西欧の真似をして飲めるようにバーカウンターを設置したほうがよい。

それも実現した。今ではどこのホールでも酒が飲める。どうだ、すごいだろう。

バキャ

(河童語で驚きの擬声音)

10年間西洋かぶれして帰国した人が、西欧のコンサートホールの雰囲気を日本に作っただけ。ただの真似。

真似は日本人の特質だからそこまではいい。

自慢することなど何一つない。

お客の勘違いで、NHKホールの第九のチケットで入場しようとしたのを、

今の時間ならタクシーで渋谷までまにあいますよ、

といってあげた。このようなサービスもした。

バキャバキャ

こんなの普通じゃん。

なにを自慢したいの、この人。

日本のチケット相場のつり上げをしたのは君らではないのかね。

今では、サントリーホール基準のような感じで、みんな割高になってしまった。

400円のまずいコーヒーを飲みながら、客の錯覚をそれが正気だと洗脳させたのではないのかね。

音響も自慢できると思っているのかね。

もっとほかに書くべきことがあるはずだ。

こんなとき世間の厳しい競争のなかにいる仕事人プロジェクトリーダーなら、月並みだが、こう言うだろう。

もっと問題意識をもって取り組まなきゃだめじゃないか。って。

まぁ、クラシック音楽自体が真似なんだからしょうがないといえばしょうがない。が、

日本人は真似は得意だが、もうひとつ素晴らしい特質がある。

それは、強いもの、素晴らしいもの、美しいもの、に、素直に敬意を払うということ。

この記事を書いている人は、そこらへん、意識の混濁があるというか、ちょっと混同気味。

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それはそれとして、

おごれるものもひさしからず。

アークヒルズの火は消え、

ヒルズの火もさみしくなり、

それぞれ賞味期限はあるものの、

とりあえず今は、

新たなミッドタウンをめざす。

.

サントリーホールは交通の便があまり良くないので、

中心地に存在しているということだけがメリットになってしまった。

交通手段では上野の東京文化会館にかなう敵はなし。

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自慢話をしてる暇があるなら、迫る危機に備えなければならない。

備えあれば憂いなし、というではないか。

のんびりと昔話の真似自慢なんか。

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日経新聞は他にも、会社人として成功した人物の自慢話を取り上げすぎ。

当事者は気持ちいいだろうと思う。

いいことだけしゃべってればいいんだから。

でも、それ読んでも何の意味もない。

朝っぱらから、自分の入れ歯が浮くような記事を本人たちが見て、自画自賛する様子は、今風ではないなぁ。

インタビューする側の人間も、その恩恵を受けていると思っているんじゃないか。

いいかげん年寄り向けの記事は卒業してよ。

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ということで、個人的にはコンサートホールのバーカウンターでの酒盛りは好きではない。

この元総支配人は、西欧の、休憩時間は酒飲んで優雅に、みたいなことをいっているが、それは分析が足りない。

バーカウンターはしっかりと動かず、すっとそこにあるから存在感があるものの、アルコールを飲んでいる人は見てると実はそんなに多くはない。水揚げ公表してよ。空瓶の本数でもいいから。

いずれにしても、酒臭いおやじが隣で寝てるところで音楽あんまり聴きたくないなぁ。

これは日本独自の音楽休憩時間のお茶タイムの文化を壊した悪しき例である。

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下の写真は、同じ新聞記事にあるもので、アイザック・スターンのおでこメガネの真似をする佐治さんと元支配人さん。

真似恥の上塗りだなぁ。この写真。

.

おわり

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1940年代のミッドマンハッタン

2007-04-12 21:19:00 | 音楽

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色は白黒ですが、

限りなき繁栄の1940年代のアメリカ。

マンハッタン中心部の絵です。

2次世界大戦なんて、

まるで、

なかったかのような、

未曾有の繁栄。

.

人間の本能、

というより、

煩悩、

は、

狭い空間を求め、

限りなく空中にのびていくらしい。

集団のなかで、ひたすら高さという覇権を追う人間たち。

.

広い土地で、平野で、

同じ目線で競うのは、

広すぎて、寂しくも、空しい。

混沌とした、限りなき混濁の中で、

上から下を眺めるときの気持は、

まさしく天上から睥睨する下界の人間たち、

である。

.

あすこのビルのてっぺんから、

両手を広げ、

思いっきり上空にジャンプすると、

このスカイスクレイパーのなかを、

どこまでも飛んでいけるような錯覚に陥る。

実際には、何秒かの間に地面に落ち死んでしまうわけだが、

それでもいいから、

それまでの束の間の、

空中瞬間、

のようなものを味わいたい気持ちになったりすることがある。

雲海ならぬ光の海。

光の渦の先にはなにがあるのだろうか。

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2007-2008ちょっとだけ

2007-04-11 20:51:00 | 音楽

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ちょっと早いですが、

ニューヨーク・フィルハーモニックの

来シーズン20072008の案内が届きました。

詳細はまた別途書きますが、ちょっとだけ。

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ロリン・マゼールの任期もあと2シーズンほどだと思いますが、

それはそれとして。

.

2007-2008シーズンは、

2007919日から

2008621日までです。

.

マゼールの棒で興味あるところを書きますと、

まず、チャイコフスキーの交響曲を全部振ります。

2番から始めるというのが、いかにも2番大好きのマゼールらしいですね。

このビートの効いた曲はマゼールやらジュリーニやら、わりと好きな指揮者が多く、

全部リズムのかたまり、

で、

携帯電話のブルブルバイブレータのような感じで、

最初から最後まで、

リズムとシンコペーションのかたまり。

ブラバンの連中なら一度は必ずはまりたくなる4番のフィナーレとおんなじようなもんだ。

.

それで、中間は全部省略して、シーズンフィナーレのあたりが白眉。

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200864,5,7,13日 マーラー/交響曲第9

.

2008612,14,17,19

プッチーニ/トスカ (演奏会形式)

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2008620,21日 ブルックナー/交響曲第8

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ロリン・マゼール指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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ファンならこれを聴き逃すわけにはいきません。

みなさん、6月は会社を一か月休んで、

マンハッタンでコンサートに浸りましょうか。

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6月ですと、まだ、そんなに暑いわけでもなく、また日本のようにじめじめしていないので、気候的にもほどよいものがあります。

コンサートのない日は、セントラルパークで、チャリを借り、サイクリングするのもよいでしょう。

59丁目のセントラルパーク・サウスあたりから、北は近道しないでパークの一番端までいきますと100丁目を超えて、もうすぐハーレムとなりますが、そのあたりで大きく左に弧を描きながら戻ってくるわけです。

河童の水かき足でチャリを漕ぐと一周がだいたい25分ぐらい。

7周ぐらいはしたいものです。

途中で喉が乾いたら、道端でお酒を飲んだらだめなんですが、マニラ封筒のような袋につっこんだバドワイザーを売って歩いている限りなく怪しげな人間がいるかもしれませんので、

少し割高ですが、

運動の後の、ゴクッ、

というのは、やはりたまりませんね。

.

それで、夜のコンサートはだいたい20:00スタートですので、終わると22:00ですから、それからが真のナイトキャップとなるわけです。

果てしもなく、、

つぶれるのが早いか、

はたまた、

夜明けが早いか、

とにかく、

マンハッタンの夜は長いらしい。

.

ということで、これも見てくださいませ。

フィルハーモニック散歩

.

おわり

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長すぎるチェリのブル8 1990-10  1990.10.10 ブルックナー8番、チェリビダッケ、ミュンヘンフィル

2007-04-10 22:11:57 | コンサート






チェリビダッケとミュンヘン・フィルは1986年に続いて同じ組み合わせでやってきた。
1990年の来日公演は、
10月4日から10月20日まで、9回行われました。
.
プログラムは、A,B,C,Dの四種類。
A:ブルックナー/交響曲第4番 だけ
B:ブルックナー/交響曲第7番 だけ
C:ブルックナー/交響曲第8番 だけ
D:ロッシーニ/どろうぼうかささぎ 序曲
  シュトラウス/ドン・ファン
  ブラームス/交響曲第4番

9回のうち、オーチャードホールとサントリーホールで、A,B,Cをやっている。
あと3回は大阪C、武蔵野B、パルテノン多摩D、である。
Dプロはパルテノン多摩の1回だけ。

このうちオーチャードホールで、ブル4、ブル8を聴いた。
ブル4のことは昨日書いたので、今日はブル8のこと。
ブル8はこんな感じ。

1990年10月10日(水) 7:00pm オーチャードホール

ブルックナー/交響曲第8番 (第2稿1890年ノヴァーク版)

セルジュ・チェリビダッケ 指揮 ミュンヘン・フィル


長い。
おそい。
第3楽章が終わったとき8:00pmをはるかに超えていた。
10月6日(土)のブル4のことが頭にあったので、テンポについてはある程度覚悟していた。
しかし、予想を超えてしまった。
ちょっとタイミングでも計ってやれ、と思ったのだが興奮してしまい、始まりと終わりしか時計は見ていないような気がする。
総合計1時間45分のブル8であったと記憶する。
だいたいのタイミングは、
第1楽章20分
第2楽章20分
第3楽章40分
第4楽章25分

これに、各楽章の速度指定などをつけてみると、
第1楽章アレグロ・モデラート
第2楽章スケルツォ アレグロ・モデラート
第3楽章アダージョ 壮重にゆっくりと、しかし引きずらぬように
第4楽章フィナーレ 壮重に、はやくなく

なんとなく示唆的。
特に第3楽章は、極度におそいテンポでありながら、引きずらない表現になっていた。
チェリの音楽の作りについては昨日のブル4に書いたので繰り返さないが、第3楽章は音の響きの美観を極度に求めるストイックな表現であるため、A,B主題及びそれらの発展系A´,B´についても並列的な要素が強く、だれた気持ちになる。が、それは聴き手の問題かもしれない。

チェリの作りだす音楽を理解するには、生、しかない。
練り上げられた思考と、その反映、それに見合うだけのオケの練習、などが統合的に収斂されシナジー効果を生んでいく。
音色は湯気が出るような、醸し出された音たち、といった感じでチェリ以外の棒からこのような音色は聴いたことがない。
また、録音された音だと、特にライブの場合、ピアニシモが全く出てこない。
きれいに磨かれたヴァイオリン、ウィンドのサウンド。
音色音階。音階ごとに音色バランスを変えるような緻密な技。
聴く方も死ぬ気で真剣にきかないと、チェリの作る音楽は理解できない。非常に高度な技がてんこ盛りだ。
その結果何が生まれるのか。ということになるが、早い話、
複雑なものでも美しいものがある、
といったところか。
チェリは自分の理想郷を掲げ、いきつくところまでいきついた美観の表現を成しえた極まれな指揮者だと思う。
河童は河童なりに大昔から聴いているし、
それに、
初来日の折の、
サイン、
も、
もってるわけさ。
あのとき上野でチェリさんに言いましたね。
インクレダァブル ナイト、トゥナイト!

オー、イェ?、リアリ?
アイ、ドゥイット、ライク、ディス、
エヴェリナイト。

アイ、ドン、ビリーヴ、ユウ。
ユウ、アァ、ナット、オン、ザ、ポーディアム、
エヴリナイト。

ユウ、アァ、ライト。

エニウエイ、ユウ、ギヴ、ミイ、オートグラフ、
プリーズ。

オーケイ、オカッパサン、
チェリノマエニ、チェリハ、ナク
チェリノアトニ、チェリハ、ナイ。
ライ?

ライ。

おしまい




チェリビダッケのブル4 1990-9

2007-04-09 21:29:00 | 音楽

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チェリビダッケとミュンヘン・フィルは1986年に続いて同じ組み合わせでやってきた。

1990年の来日公演は、

104日から1020日まで、9回行われました。

.

プログラムは、A,B,C,Dの四種類。

A:ブルックナー/交響曲第4番 だけ

B:ブルックナー/交響曲第7番 だけ

C:ブルックナー/交響曲第8番 だけ

D:ロッシーニ/どろうぼうかささぎ 序曲

  シュトラウス/ドン・ファン

  ブラームス/交響曲第4

.

9回のうち、オーチャードホールとサントリーホールで、A,B,Cをやっている。

あと3回は大阪C、武蔵野B、パルテノン多摩D、である。

Dプロはパルテノン多摩の1回だけ。

.

このうちオーチャードホールで、ブル4、ブル8を聴いた。

ブル4はこんな感じ。

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1990106()700pm

オーチャードホール

.

ブルックナー/交響曲第4番(ハース原典版)

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セルジュ・チェリビダッケ 指揮

ミュンヘン・フィル

.

ブル4だけである。

演奏会で、この曲だけで終わりというのはきいたことがない。

何もかも普通ではなく異常ということなのだが、1曲で終わるということは、まずテンポが異常におそいということが、始まる前からわかっているということである。

結果、約70


記憶にない小澤のサロメ 1990-8

2007-04-08 20:55:00 | 音楽

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1990年も海外から演奏団体が途切れることなく来ていたわけだが、マルトンの一本釣りで行われたオペラ公演もあった。

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1990913/16日 東京文化会館

1990919日 パルテノン多摩

.

シュトラウス作曲

楽劇「サロメ」

1

ピエル・ルイジ・ピッツィ プロダクション

原語上演

字幕スーパー付

.

小沢征爾 指揮

新日フィル

.

サロメ/エヴァ・マルトン

ヘロディアス/ヘルガ・デルネッシュ

ヘロデス/ラグナル・ウルフング

ヨカナーン/小松 英典

ナラボート/林 誠

.

上記の公演だったらしいのだが、

観た記憶、記録が、ない。

プログラムだけが残っている。

多摩パルテノンには行ったことがないので、上野の13日か16日の公演にいったのだろうが、記憶から消えている。

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それで、河童蔵に駆けこんで、昔の仕事日記を掘りおこしてみた。

生業は音楽と関係ないが、その職業よりも当然演奏会の方が優先度が高いわけであるから、仕事日記にも、トッププライオリティで書きこんでいるはずなのである。

でてきた。

1990916()2:30PM

東京文化会館

4階席で観たようだ。

4L-XX4L-YY

.

当日は日曜日であったので、仕事には結果的には関係なかった。

日記の方は土日のスペースもあるし、また、当時、禁欲的な仕事であった為、週末しか羽がのびなかった(クリーヴランドのダイアンさん 1990-7)はずなので、

記憶はないが記録は残っていたようだ。

.

小澤の振るサロメの断片は何度か聴いたことがある。

ボストン交響楽団との演奏を聴く機会が多かったわけだが、

例の、

大曲は暗譜で、

といった雰囲気の中、

劇的に振る。

小澤の棒はしなやかな音楽の表現がいいと思うのだが、昔からイヴェント性のある大曲をわりと振りたがり、その時はダイナミックな棒に非常な感銘を受けるのだが、後で考えると、なんとなくダイナミックさになにかが隠れてしまっているように感じる時がある。

隠れてしまっている、というよりも、ダイナミックな方に耳が奪われ、耳がそちらにそれてしまったと思ったりすることがある。最も大事なことが見えなくなるのである。(抽象的だなぁ)

.

シュトラウスの音楽を厳しさの側面から聴いてみると、サロメはエレクトラよりかなり甘い。

音楽を作曲していたときの集中度、音楽の組み立て、緊張のまま作曲し続ける努力、などエレクトラの方が上であろう。

技法だけでは満たされない聴衆がいる。

技法のことに精通していなくてもそう感じるから不思議なものだ。

音楽技法は手段であり、結果は、もっと別のこと、なのかもしれない。

.

写真は、プログラムに載っていた歴代サロメです。

意表をついた写真ばかりで面白いですね。

昔、メト座の河童がみたサロメは、いろいろありましたが、××さんのサロメのセヴン・ヴェールの踊りに、思わず有声音の苦笑いが巨大メトの全員から出たりしたこともありました。

今は音楽的レヴェルを少し犠牲にしてもスタイルで魅せるのが主流。

.

それで、小沢のサロメはどうだったのか記憶にない。

想像するに、ピットに譜面なし、オケを艶々に磨き、どろどろしたものがあまりない、綺麗に劇的な音楽。

.

サロメは1幕物。

100分強のオペラだが、

オスカー・ワイルド原作の、

生首の前で踊るサロメ、

これをキモイ、と感じるか、なにか別世界のように感じるか。

2001年クラッシュのあとの戦争などを経て、妙にリアリティーを感じ、息苦しくなることもある。

1990年には、このあとウェールズの国立オペラが生首をやっていて、そちらの方のインパクトがあまりに強くて、小沢のサロメは、河童の脳味噌が塗りかえられてしまったのかもしれない。

おわり

.

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ほうびをいただきました。

2007-04-07 22:46:20 | 音楽

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去年20066月頃から日々ブログを書くようになって、はや10か月ほど経ちました。

日記といっても、河童の場合、過去日記となっております。

それも過去の毎日のことを書いているわけではなく、イヴェント主体となっております。

つまり、過去の毎日毎日にこのようなことがあった、ということではなく、このような出来事があったのはこの日であった。という形になります。

河童ポリシーは第一回目の

クレンペラーの指揮台叩き

にあるとおりです。

.

人気ブログランキングにも登録してみたのですが、クラシカル音楽というのは、そもそもマイナーなジャンルでサーファーが立ち寄ることは少なく、オケ・ブラバンなどの団体組織に属している人たちがみたり、ソリストであれば、専門的なことよりもむしろ日常性の出来事に興味ある人たちがのぞき見に来るぐらいで、本当にマイナーなジャンルだと思います。

河童はひとりさみしくインディーズ系ですが、それでもそれなりに立ち寄っていただいているようで、最近、ランキング7位などということがありました。

上の写真は、ベストテンにはいったときにいただいたごほうびです。

びわチョコと唐がらしです。

宅急便の箱にはいった産直のびわのような雰囲気ですが、ケネディのハーフ・ダラーと比べるとよくわかりますが、かなり小さく宅急便ミニチュアのようです。

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唐がらしは、京都七味家の七味唐がらしです。

唐辛子といえば、不屈の雀士、阿佐田哲也こと色川武大の小説かエッセイーか忘れましたが、昔、上野の界隈で日々の食う金に困っていたころ、安い食堂にはいってうどんを注文して、多量の唐辛子をかけて、自分の胃に対してうどんの量の少なさを辛さでごまかした、などというのがありました。

いただいた唐がらしと阿佐田哲也氏の不屈の闘志で、まだまだ続くブログ、といったところでしょうか。

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下の写真は、びわチョコダンボールを開封したものです。

甘党河童にふさわしい、とろけるような15個のチョコでした。

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ブルックリン・ブリッジ 1940年代

2007-04-06 21:12:00 | 音楽

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1940年代のブルックリン・ブリッジです。

なんか、下町の生活感がでている写真で、いい雰囲気です。

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このよう絵をみてると、あの長編映画を思い出しますね。

229分。

アマポーラの音楽が全面的に塗りたくられたさみしくも美しいギャング映画。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

Once upon a time in America

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デ・ニーロがやにっぽくも情感ある演技でよかったです。

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この映画、昔、レーザーディスクで出ていたころは、ケースがLPアナログ・ディスクと同じサイズなので、とじこみで、デカサイズのポスターがはいっていました。

今はDVDとかでCDサイズなので、なかなかあんな特典は出せませんね。

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この映画は家で照明を少し落とし、お酒を飲みながら(映画では禁酒法の時代!)、ななめになりながらゆっくり観たいものです。でも、映画は最初がものすごく肝心ですので、そこだけは見逃してはいけません。

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河童フライト 続

2007-04-05 21:05:00 | 音楽

静かな悪友S

「昨日の話の続きだが、

1990年代初頭、皿工業の仕事で、32カ月で354回のフライトとは大変だったね。

いくら国内フライトとはいえ毎週少なくとも2回のフライトだからね。」

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河童「そうだね。疲れというのは時間ではなく距離に比例するみたいだ。

1時間強のフライトで700キロぐらい移動するわけだから、河童の皿三半器官もだいぶいたんだようだ。」

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S「そうか。それで、月曜日と金曜日は東京で、火水木は皿工業のある街ですごす、というのはどんな感じだったんだい。」

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河童「まず、火曜日の朝5時ぐらいに起床して、朝一番のフライトに乗るため、羽田までいく。

飛行機が動き始めたころは、既に半眠り状態なのだが、乗務員たちに完全に面が割れているので、モーニングスープとモーニングコーヒーが定番ということがばれていて、必ずこの2カップは運んでくれるわけだ。」

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S「なるほど。お河童様の水分補給は大切だからね。

それで?

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河童「それで、うらうらしてる間もなく、皿工業のある街につく。

そこからタクシーを2030分とばせば、朝9時の始業には間に合うというわけさ。

そこから、火水木の三日間はひたすら仕事をしまくるわけだ。」

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S「仕事の話はいいから、夜の話をしてくれ。」

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河童「そうだね。火水木の三日間滞在するということは、火曜水曜がお楽しみナイトなわけなんだけれども、小料理屋で食らう遅い時間帯の晩飯が楽しみだったね。

10時ぐらいまで皿工業にいて、それからチャリを飛ばして宿までもどり、おもむろに街に出て行きつけの小料理屋にいくっていうパターンだったね。」

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S「それでお河童様の毎晩のエサはなんだったんだい。」

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河童「いい質問だ。それがだな、魚、なんだ。

皿工業の街は内海が近いので、毎朝豊富な小魚をとってきて、夜、出すわけだ。

これが新鮮で、またサイズも適当に小さいのでいろいろな種類の小魚2を23匹と出してくれるんだ。

調理もヴァリエーションが豊かで本当に毎週2晩それだけが楽しみだったね。

毎晩、魚食って、よく魚顔にならなかったなぁ、なんてたまに思うよ。」

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S「河童が魚になっても世の中たいして影響はない。

とにかく充実した食道楽をしてたわけだ。

でも、それだけが楽しみだった、なんていうセリフ、この世の誰も信じないぜ。お河童様。」

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河童「そうくると思ったよ。人生一寸先は闇というからな。まぁ、闇とも限らないが、なにが起こるかわからない、ってぇとこかな。その話はまた別途だね。」

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S「火曜と水曜楽しんだ後、木曜日はどんな感じだったんだい。」

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河童「木曜日は皿工業で定時まで仕事をして、最終便で東京まで戻るんだが、三日間も皿工業で仕事をすると息が詰まるというか、ストレスがたまるというか、とにかく移動のこと仕事のことで、とてもまっすぐ河童洞窟まで帰る気はおこらない。」

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S「ということは、東京に戻ってきて木曜の夜も毎週、皿を濡らしていたわけだ。」

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河童「端的に言うとそうなる。

羽田からモノレールで浜松町。

そこからタクシーで六本木か銀座だね。

遅い時間からのスタートになるが、河童を皿工業に行かせた営業の人間が毎週謝罪の意味をこめて待っていてくれるわけさ。

夜の9時半ぐらいに待ち合わせして、そこから長大なナイトキャップの始まりってわけ。」

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S「好きにしてくれい。

お河童様は結局、どこへいってもエンジョイしてたってことだねぇ。」

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河童「そうゆうことだね。

そうそう、フライトの話だけど、354回フライトしたら一回ぐらいトラブルがあってもいいようなもんだが、それが一度もなかったんだ。台風が来ても、たまたま目のなかだったりして。

でも、一回だけ飛ばなかったことがあったんだ。それは飛行機会社のストライキ。」

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S「憎まれっ子世にはばかる。ではないが、なんとなくそんなことを言いたくなるね。」

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河童「皿工業のある街は、魚だけでなく、ジャパニーズヌードルもおいしいので、兼用皿で食べたよ。

いい街だ。いつか小料理ツアーでもやろうぜ。」

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S「そうだね。お誘いを待ってるよ。」

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おわり

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クリーヴランドのダイアンさん 1990-7

2007-04-04 21:47:00 | コンサート
静かな悪友S
「お河童様は、1990年代初頭は日本にいたのかね。」

河童「いたような気もする。」

S「というと?」

河童「当時、少し遠いところにある皿工業に毎週仕事でいってた。」

S「交通手段は?」

河童「飛行機。」

S「結構ハードだったのかね。」

河童「そうだね。月曜日と金曜日は東京で仕事して、火水木は飛行機で皿工業へいってた。
火曜日の朝一番の飛行機で皿工業のある土地へ向かい、木曜の最終便で帰ってきていた。
週2回のフライトを3年2か月、フライト数354回やった。」

S「人間業とは思えないね。失礼、河童業か。
ところで、火水木は東京にいなかったわけだね。
それなのになぜこの演奏会行くことが出来たのかね?」


1990年5月30日(水)7:00pm
渋谷、オーチャードホール

マーラー/交響曲第9番

クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
クリーヴランド管弦楽団

河童「。。。。」

S「1990年のクリーヴランド管弦楽団の来日公演で、マーラーの9番をやったのはこの日だけなのだが。」

河童「わかったわかった。白状する。
この週は、火曜日朝、皿工業に移動し、翌水曜日午後から東京に戻りコンサートを聴き、木曜朝一番でまた皿工業に移動し、同日最終便で東京に戻ったのさ。
つまり、週4フライトしたってわけさ。」

S「会社の私物化だな。ところで、なんでそこまでしてマーラーの9番を聴かなければならなかったのかな。お河童様のことだから、9番なんて腐るほどきいているだろう。」

河童「それはそうなんだが、ちょっと、会う約束をしていたチェリストがいてさ。」

S「誰さ。」

河童「1974年来のお付き合いの、第一プルトでトップの隣に座っているダイアン・マザーさん。」

S「おっ、また白状したな。」

河童「この日は、演奏会後、二人で、渋谷の百軒店の焼き鳥ハウスに行く予定だったのさ。当時メールなんかなくても、以心伝心、ってやつかな。」

S「好きにしてくれい。
彼女の若かりし頃のLPジャケットの写真はものすごい美人だったな。
ところで演奏内容はどうだったの?」

河童「おぼえていない。」

S「おぼえていない?」

河童「おぼえていない。
焼き鳥の味はよく覚えている。
演奏の方は焼き鳥とともに思い出せる。
ジョージ・セルがこの世からいなくなって、1990年時点で約20年経つ。なのにこのオーケストラのサウンドはいまだセルのものなのかもしれない。
透明で暖かく、そして微妙なニュアンスに富み、セルがどのようにして自分のノウハウをこのオケに移植したのか。どうして今でも彼のサウンドが生きているのか。不思議だ。
ただ、透明性を保ってはいるものの、若干、無色のような箇所があり、その部分は気がとんでいたのだろう。そこが偉大な耳をもつセルとの違いなのかもしれない。でも、全くイメージ通りのマーラー9番であり、透明な音のままで力強く、揺れ動きながらすすんでいく音の流れ。このオーケストラにしか成しえぬこと。」

S「なるほどね。会社を私物化したかいがあったというわけだね。」


写真のドホナーニの左下向こう向きのチェロがダイアン・マザーさん。
1990年のクリーヴランド管弦楽団の日本公演は、5月23日(水)から6月2日(土)まで、9公演行われました。Aプロのマーラーの交響曲第9番は5月30日の一回だけ演奏されました。
当時、コンマスはまだまだ元気だったダニエル・マジェスケさん。クリーヴランドとの濃い思い出は1970年代までさかのぼる。それはまたいつか。
おわり



ギュンター・ヘルビッヒ トロント 1990-6

2007-04-03 21:15:00 | 音楽

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19905月にはトロント交響楽団も来日した。

この年、国内で何度公演をもったか知らない。

東京で2回のイヴェントがこれ。

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カナダ・オンタリオ州「花の万博」

インペリアル・コンサート

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やたらと長い名前のコンサートである。

このイヴェント2回のうち、初日の方に行ってみた。

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1990521()7:00pm

サントリーホール

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ウェーバー/オベロン序曲

マーラー/交響曲第7 夜の歌

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ギュンター・ヘルビッヒ指揮

トロント交響楽団

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休憩なし。

オベロンでホルンはじめブラスの管の中を温めて、その勢いで夜の歌に突進しようという魂胆。

もっともオベロンだけで休憩にはいってしまうと、休憩の方が長くなってしまう。

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ヘルビッヒは個人的には、デトロイト交響楽団との組み合わせがなじみ深い。

1990年秋からトロントの音楽監督になるようなので、お披露目公演のようなものかもしれない。

トロント交響楽団は小沢なども振ったが、ヘルビッヒの直前は、牛乳瓶の底のようなアンドリュー・デイヴィスであった。

いずれもはっきりしない音というか、清らかな透明感のようなものはあまり感じられない。

それも昔の話。

今や、マーラーの大曲を引っ提げて来日するのは、当たり前。どこのオーケストラも何の苦もなく平然とやりとおす。

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トロントの音は薄い。というか厚みがない。いや厚みはあるのだがボテボテ気味。

その割には横に痩せていて幅が狭く、薄いと感じるのかもしれない。

音の拡がりをあまり感じない。

マーラーの7番の第1楽章はただでさえ抜けの悪い楽章だが、ますます抜けがよくなく、すっきりしないものを感じる。

ただ、だんだんと音楽がのってくると水平的な奥行きの見通しがよくなり、ブラスの水平線が奥の方に見えてくる。

熱しにくく冷めにくいオーケストラかもしれない。

後半に加熱してきて、第5楽章では滑り込むようなブラスのフォルテッシモからピアニッシモの鮮やかな変化が素晴らしく、けたたましい打撃音とともにすさまじいエンディングをむかえた。

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東京二日目はこんなプログラムだったようだ。

1990522()7:00pm

サントリーホール

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ルイエ/天と地のための音楽(日本初演)

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3

チャイコフスキー/交響曲第5

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ピアノ、ジョン・キムラ・パーカー

ギュンター・ヘルビッヒ指揮

トロント交響楽団

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その後、この交響楽団が来日にしたかどうか定かではない。

おわり

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たなざらしにするな アンドレ・クリュイタンスのベト全

2007-04-02 21:29:00 | 音楽

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写真にアップしてある仏EMIのボックスの収録曲は、こんな感じ。

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ベートーヴェン/交響曲全部

ベートーヴェン/プロメテウス序曲

ベートーヴェン/エグモント序曲

ベートーヴェン/フィデリオ序曲

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アンドレ・クリュイタンス指揮

ベルリン・フィル

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昔、セラフィムから廉価盤のアナログディスクが出た頃は、よく、ベルリン・フィルにラテン的な響きを表現させたクリュイタンス。などと言う評論家もいた。

たしかに、例えば第4番第1楽章序奏から第1主題にはいる直前でトランペットを強奏させるやりかたなど、輝かしい響きがしたものだ。ドイツのオーケストラから醸し出されるブラス・サウンド強調はみずみずしかった。

この録音は19571960年にかけて、グリューネバルト教会で行われたものだ。当時のベルリン・フィルの響きはいまだ過去になりきらない指揮者のものであったのかもしれない。

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クリュイタンスのベートーヴェンもやはり買ってのお楽しみ。なのであるがちょっとだけ。

5番が素晴らしい。

団員のやる気満々の気迫が、このEMI特有の曇りがかった録音からわりと生々しく聴こえてくる。

フレーズがこのように束になってうなるのは、オケの意見集約、指揮者のコントロール抜群、音楽への共感、などが俄然一致した結果だ。

録音は少しばかり奇妙。ステレオである。モノフォニックな響きは皆無だが、ティンパニが右端から終始スネアドラム風に響く。コントラバスの定位がよくわからない。など、かなり面白くて、妙に新鮮。

5番の筋で、1,3,5,7,9番がいい、ということでもなく、少しばらつきがある。

タイミング的にはそんなに速いわけでもないのだが、ものによりどうもせわしなくなったりするので、曲想にあった番号のものが自然に出来がいい、となってしまったのか。

いずれにしてもこれをたなざらしにするてはない。

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EMIの正規盤について。

これは、一番新しい2006年のリマスタリングである。

これが昔のものに比べていいのかどうかわからない。

EMI特有のうす曇りのサウンド傾向はここでも同じ。

それはそれとしても製品としての作りがいま一つ不満だ。

まずデータがダメ。1957-1960とザックリ書いているだけ。粗末だ。

そしてこのプラケースの作りのひどさ。5枚組であるためかどうか、両面に2枚、爪ではさむ、例の恐ろしく取りづらいもの。

日本人よりも指先が不器用な外国人の場合、このケースから1CDを取り出すのが先か、いらいらしてCDを割ってしまうか、どっちが先かという感じである。

本当に粗末な作りだ。安ければ良いというものでもない。安物買いの銭失い、というではないか。

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ということで、実は下の写真も5年ほど前に出た時に買った。

EMIよりさらに安いしろもの。

なにやらオランダの会社らしく、EMIから版権を買った。と書いてある。

曲の収録も全く同じ。

違うのはプラケースではなく、紙ボックスであること、なかのCDも安そうな紙のケースに一枚ずつ直におさまっている。それだけなら我慢できる。

実は音がひどい。

1番第1楽章の序奏の途中でヴァイオリンの音がめくれる箇所があったので、ヤバイ、と思ったのだが、案の定、全体が、ほこりをかぶったテントの外の嵐のようなサウンドだ。買わない方が良い。

2度も、安物買いの銭失い、したくないよね。

おわり

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駆けるジャパニーズ

2007-04-01 20:35:00 | 音楽

新入社員の諸君。

今日は晴れの社会人第一歩おめでとう。

諸君は将来に向かって希望、夢、野心をいだき、それを無地のキャンバスに描いていってほしい。

社長のお祝いの言葉というのは、百人一色で、誰が何を言おうと内容は同じ、というか、無い。

それでも、最初ぐらいは彼らの吐く言葉に耳を傾けてみよう。

新入社員として社長の言葉を聴くのは一生に一度しかない。

しゃべる方もそのつもりで気をひきしめて話すこと。わかったかい社長たち。

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ではどうやって夢を実現させていくか。

夢ふくらむ将来に向かい具体的にそれを実現するには、足もとの一つずつのことを自分の力で行っていかなければならない。そんなことはえてして後で気がつくもの。だから、再出発などという妙な言葉もあったりする。再出発の裏には、それまでの体験経験があるわけだから無地のキャンパスではありえない。

ただひとつ、省略はだめ。結果を求めるな。答えをあまり早く求めるなということ。それだけ。

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ということで、入社式のあとは、合宿、研修、新人教育、といろいろつづくわけで、配属など先のことであり、いきなり大がかりな新入社員歓迎会などということもないだろうが、内輪では憂さ晴らし気味に、自慢げに、新人を連れて最初だけおごってくれる先輩も多いことだろう。

週末の六本木、東京ミッドタウンでは新人などメシも食えねぇだろうが、それで当然。まだ稼いでいないのだから。

ただ、二次会で裏六本木の街なみで見苦しい飲み方はするんじゃねぇぞ。

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歓迎会とは関係ないですが、俗世間にまみれる前に、一つだけやっておいてください。

それは両親に最初のお給料から1万円でも2万円でもいいから渡すこと。両親が不幸にもいない人は、自分に一番近いところで一番お世話になった人に渡すこと。これが、甘えから、自立への転換を自分の意識として表現出来るさしあたって唯一のことであるし、また人生の一つの区切りを自分なりにつけるということでもある。区切りがあれば先に進める。

若者は変なプライドやしがらみがないので、変に意固地になることもなくすぐに、この波風荒い社会に慣れていくことだろうと思う。

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河童が人間界に舞い戻ってきたときに、それまでのシャワー一辺倒だったのが湯船に変わり、その湯圧に苦しんだりしたが、世界が変わればちょっとしたことでも気になることがでてくるものだ。同じ社会にありながら、学生から社会人に変わると自由度が増す分、わがままになりがちだ。自由と勝手を同じものと錯覚している人間も多い。自由は闘って手に入れるものであり、ただのわがままの勝手とは訳が違う。アメリカ人はなんやかんや言われる昨今であるが、彼らは自由の重みを知っている。

遊びでもなんでも全部自分で責任を持たなければならない。その自覚がなければ世の中の戯れ事に身を浸してはいけない。

河童が人間界に戻ってきて、びっくりしたことが三つあった。

ひとつは、ツバを吐く行為。なんで日本人はこんなにペッペッと場所かまわずツバを吐くのか。

今はあまり多くないかもしれないがそれでも観察していると、例えば道を歩きながらツバを吐くのは普通。また、駅のホームで線路に向かって吐くツバ。アメリカの大リーグの真似なのだろうか。それともタバコを吸う人間が特にツバを吐く行為が多いので煙草のせいなのだろうか。

いずれにしても犬のタチションみたいな感じで、どことなくテリトリー死守のアニマルのように見える時がある。

前を歩いている人間がいきなり横を振りむきペッとやる。風下だったりすると、ツバまみれとなる。なんでこうなるの。

ふたつめは、駅の笛。あのすさまじい音には皿ごと飛び跳ねたものだ。

いまはだいぶ淘汰されてきているようでさすがに笛の音は聞かなくなった。

そのかわり、というか昔からある、ホーム上のマイクもちアナウンスのうるささ。

叫ぶことが仕事。叫んでいない時に上司がやってきて、君なにやってるの、といつ言われてもいいようにひたすら叫び続けている。

これは客も悪い。自分で事故っておいて、アナウンスが流れていなかったから、などと全事象はそれこそ全て他人のせい、にする自立できない客。

この奇妙な癖文化には最近の若者も辟易している姿があからさま。ここは若者を見習いたい。

みっつめは、駆ける日本人。

何故、日本人はあんなにいたるところで駆けるのだろう。

道路での信号、駅での乗り降り、果てはただの道を走ってたりする。東京人のせっかちさだけで片付けられない日本人特有のDNAがあるのかもしれない。

一番極端なのが、外からは見えないが、会社のフロアを走る人たち。

これも今の若者には受け入れられなくなりつつあり、いい傾向ではあるが一部まだ存続している。

会社の中でさえ、走っていいれば、忙しそうに見え、誰からもうしろ指をさされない。

忙しそうにすることが大事で、セカセカパタパタとフロアを駆けていれば、いくら頭が悪くてもその場だけは文句を言われることもない。と思っているのかどうか知らないが、他国の人たちが建物の中を駆ける日本人をみると危機感を感じるそうだ。それはそうだろう。何事があったのか、と思うのが普通。

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この三つをやめれば社会人として大成する。というわけでもないが、やめて悪いことは一つもない。

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今日は毒にも薬にもならないお祝いの言葉となってしまいましたが、

ブログなんかやってる暇があるなら、

自分のプロの技を磨けっ。

という、錯綜の声をききながらも、

新入社員の諸君。

明るい未来を作るのは君たちだ。

僕、河童も陰ながら応援する。

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