静かな悪友S
「お河童様は、1990年代初頭は日本にいたのかね。」
河童「いたような気もする。」
S「というと?」
河童「当時、少し遠いところにある皿工業に毎週仕事でいってた。」
S「交通手段は?」
河童「飛行機。」
S「結構ハードだったのかね。」
河童「そうだね。月曜日と金曜日は東京で仕事して、火水木は飛行機で皿工業へいってた。
火曜日の朝一番の飛行機で皿工業のある土地へ向かい、木曜の最終便で帰ってきていた。
週2回のフライトを3年2か月、フライト数354回やった。」
S「人間業とは思えないね。失礼、河童業か。
ところで、火水木は東京にいなかったわけだね。
それなのになぜこの演奏会行くことが出来たのかね?」
1990年5月30日(水)7:00pm
渋谷、オーチャードホール
マーラー/交響曲第9番
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
クリーヴランド管弦楽団
河童「。。。。」
S「1990年のクリーヴランド管弦楽団の来日公演で、マーラーの9番をやったのはこの日だけなのだが。」
河童「わかったわかった。白状する。
この週は、火曜日朝、皿工業に移動し、翌水曜日午後から東京に戻りコンサートを聴き、木曜朝一番でまた皿工業に移動し、同日最終便で東京に戻ったのさ。
つまり、週4フライトしたってわけさ。」
S「会社の私物化だな。ところで、なんでそこまでしてマーラーの9番を聴かなければならなかったのかな。お河童様のことだから、9番なんて腐るほどきいているだろう。」
河童「それはそうなんだが、ちょっと、会う約束をしていたチェリストがいてさ。」
S「誰さ。」
河童「1974年来のお付き合いの、第一プルトでトップの隣に座っているダイアン・マザーさん。」
S「おっ、また白状したな。」
河童「この日は、演奏会後、二人で、渋谷の百軒店の焼き鳥ハウスに行く予定だったのさ。当時メールなんかなくても、以心伝心、ってやつかな。」
S「好きにしてくれい。
彼女の若かりし頃のLPジャケットの写真はものすごい美人だったな。
ところで演奏内容はどうだったの?」
河童「おぼえていない。」
S「おぼえていない?」
河童「おぼえていない。
焼き鳥の味はよく覚えている。
演奏の方は焼き鳥とともに思い出せる。
ジョージ・セルがこの世からいなくなって、1990年時点で約20年経つ。なのにこのオーケストラのサウンドはいまだセルのものなのかもしれない。
透明で暖かく、そして微妙なニュアンスに富み、セルがどのようにして自分のノウハウをこのオケに移植したのか。どうして今でも彼のサウンドが生きているのか。不思議だ。
ただ、透明性を保ってはいるものの、若干、無色のような箇所があり、その部分は気がとんでいたのだろう。そこが偉大な耳をもつセルとの違いなのかもしれない。でも、全くイメージ通りのマーラー9番であり、透明な音のままで力強く、揺れ動きながらすすんでいく音の流れ。このオーケストラにしか成しえぬこと。」
S「なるほどね。会社を私物化したかいがあったというわけだね。」
写真のドホナーニの左下向こう向きのチェロがダイアン・マザーさん。
1990年のクリーヴランド管弦楽団の日本公演は、5月23日(水)から6月2日(土)まで、9公演行われました。Aプロのマーラーの交響曲第9番は5月30日の一回だけ演奏されました。
当時、コンマスはまだまだ元気だったダニエル・マジェスケさん。クリーヴランドとの濃い思い出は1970年代までさかのぼる。それはまたいつか。
おわり