1990年も海外から演奏団体が途切れることなく来ていたわけだが、マルトンの一本釣りで行われたオペラ公演もあった。
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1990年9月13日/16日 東京文化会館
1990年9月19日 パルテノン多摩
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シュトラウス作曲
楽劇「サロメ」
全1幕
ピエル・ルイジ・ピッツィ プロダクション
原語上演
字幕スーパー付
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小沢征爾 指揮
新日フィル
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サロメ/エヴァ・マルトン
ヘロディアス/ヘルガ・デルネッシュ
ヘロデス/ラグナル・ウルフング
ヨカナーン/小松 英典
ナラボート/林 誠
他
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上記の公演だったらしいのだが、
観た記憶、記録が、ない。
プログラムだけが残っている。
多摩パルテノンには行ったことがないので、上野の13日か16日の公演にいったのだろうが、記憶から消えている。
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それで、河童蔵に駆けこんで、昔の仕事日記を掘りおこしてみた。
生業は音楽と関係ないが、その職業よりも当然演奏会の方が優先度が高いわけであるから、仕事日記にも、トッププライオリティで書きこんでいるはずなのである。
でてきた。
1990年9月16日(日)2:30PM
東京文化会館
4階席で観たようだ。
4L-XX、4L-YY
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当日は日曜日であったので、仕事には結果的には関係なかった。
日記の方は土日のスペースもあるし、また、当時、禁欲的な仕事であった為、週末しか羽がのびなかった(クリーヴランドのダイアンさん 1990-7)はずなので、
記憶はないが記録は残っていたようだ。
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小澤の振るサロメの断片は何度か聴いたことがある。
ボストン交響楽団との演奏を聴く機会が多かったわけだが、
例の、
大曲は暗譜で、
といった雰囲気の中、
劇的に振る。
小澤の棒はしなやかな音楽の表現がいいと思うのだが、昔からイヴェント性のある大曲をわりと振りたがり、その時はダイナミックな棒に非常な感銘を受けるのだが、後で考えると、なんとなくダイナミックさになにかが隠れてしまっているように感じる時がある。
隠れてしまっている、というよりも、ダイナミックな方に耳が奪われ、耳がそちらにそれてしまったと思ったりすることがある。最も大事なことが見えなくなるのである。(抽象的だなぁ)
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シュトラウスの音楽を厳しさの側面から聴いてみると、サロメはエレクトラよりかなり甘い。
音楽を作曲していたときの集中度、音楽の組み立て、緊張のまま作曲し続ける努力、などエレクトラの方が上であろう。
技法だけでは満たされない聴衆がいる。
技法のことに精通していなくてもそう感じるから不思議なものだ。
音楽技法は手段であり、結果は、もっと別のこと、なのかもしれない。
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写真は、プログラムに載っていた歴代サロメです。
意表をついた写真ばかりで面白いですね。
昔、メト座の河童がみたサロメは、いろいろありましたが、××さんのサロメのセヴン・ヴェールの踊りに、思わず有声音の苦笑いが巨大メトの全員から出たりしたこともありました。
今は音楽的レヴェルを少し犠牲にしてもスタイルで魅せるのが主流。
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それで、小沢のサロメはどうだったのか記憶にない。
想像するに、ピットに譜面なし、オケを艶々に磨き、どろどろしたものがあまりない、綺麗に劇的な音楽。
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サロメは1幕物。
約100分強のオペラだが、
オスカー・ワイルド原作の、
生首の前で踊るサロメ、
これをキモイ、と感じるか、なにか別世界のように感じるか。
2001年クラッシュのあとの戦争などを経て、妙にリアリティーを感じ、息苦しくなることもある。
1990年には、このあとウェールズの国立オペラが生首をやっていて、そちらの方のインパクトがあまりに強くて、小沢のサロメは、河童の脳味噌が塗りかえられてしまったのかもしれない。
おわり
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