チェロの弾きっぷり、棒の振りっぷりを見るにつけ絶対に死ぬことはないであろう、と思ったこともあるムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが亡くなった。
2007年4月27日(金)
.
強靭なチェリストが亡くなった。ヨーヨーマのように多方面の音楽に手を出して、方向感がいま一つ見えなくなるといったようなチェリストではなかった。
ロストロポーヴィッチの正確で勇猛で明快な音楽はその腕と棒にもあらわれていた。
.
1970年8月20日
大阪フェスティヴァル・ホール
.
1970年大阪万博参加行事
.
チャイコフスキー作曲
オペラ「エフゲニー・オネーギン」全曲
.
ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ボリショイ・オペラ歌劇場
.
1970年と言うのは、万博の年であるが、ボリショイオペラにとっては、今でもミラクルな指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとユーリー・シモノフのバトンタッチのシーズン。
それにどのような経緯でロストロポーヴィッチが入り込み、日本で指揮することになったのかわからない。
この万博の時は、
ロジェストヴェンスキー
シモノフ
ロストロポーヴィッチ
それに、
マルク・エルムレル
と、
4頭立てでボリショイオペラを振り分けた。
同歌劇場来日公演は今でも同じように振り分けるので、バトンタッチのシーズンだから特別大人数の棒というわけでもなさそうだ。
.
それでこの日の録音が残っていたわけだ。
他日の公演も放送されている。
万博の年はクラシック音楽においても、まさに万博。
エフゲニー・オネーギンというオペラは、ウェットでまるで室内楽のように響く。
チャイコフスキー特有の溢れ出るメロディー、流れる音に隙間がなく、カラヤンにとってチャイコフスキーははずせなかった理由はこれではないか、と思われるような音符がねっとりと敷きつめられた薄暗いブルーな音楽ではある。
カラヤンではなくロストロポーヴィッチである。彼の作り出す音楽は特別なものではない。
チャイコフスキーの音を具現化することに努めている。強靭で飛び跳ねるようなロストロポーヴィッチの別のウェットな世界を聴くことができる。
1970年のライヴ録音は音が良くないが、出だしのそろったアンサンブルからは微妙な美意識の高まりを最初から聴くことができる。充実していたのだと思う。
合唱が少し滑らか過ぎて元気がないが、これは録音が古くて角が取れ丸くなってしまったからかもしれない。37年もたってしまった。
大阪万博の際、行われた演奏会でテープが残っているものを全部CD化する、なんていう企画はどこの会社もしないだろうね。生き残りに精一杯で、そんな余裕なんかないだろうね。
.
ということで、ロストロポーヴィッチ死去に際し、取り出して聴いてみた音源はDATである。
1991年頃、オープンリープテープをTEAC X-2000Rでまわし、DATデッキにダビングしたものである。
ダビング後のDATテープの再試聴をしなかったこともあり、今こうやって聴いてみると、ちょっと失敗している箇所がある。ドラム缶の中で聴いているような箇所が出てくるのだが、なにせ超繊細なDATマシンのことゆえ、ちょっとしたミスも許されない。デリケートなマシンなのであった。
ということは、オープンリールテープまで戻らなければならない。これまた大変だ。
何年か前にオーバーホールしたX-2000Rはばだ段ボール箱から出してさえいない。
テープを河童蔵から探しだし、デッキを段ボールから取り出し、配線をして、それからテープはもしかすると表面は粉末状態になっているかもしれない。大丈夫だとしても片面まわすとデッキのヘッドはほこりだらけになる。いろいろと大変なのだ。
なんだか、こんなことをすることだけに価値あり、のような気がしないでもない。結果の音は努力に比例するとも限らない。
それよりもDATデッキは、この世の中、絶滅、壊滅状態らしい。この前まではやばいとは思わなかったが、河童蔵の1500本のDATテープをCDRなど別のメディアにコピーするのに、河童蔵に現存するDATマシンが2台では少しこころもとない。うち1台は既に少しやばい状態。
TASCAMで業務用のものをまだ出しているらしいが、これからは再生のみで十分としても、そもそもこれだけデリケートなマシンだと相性というものがあり、ビクターのマシンで録りつづけた音がうまく他社機種で再生できるか一抹の不安がある。
焼き付けるメディアがCDRというのも少し不満。ワーグナーものには収録時間が短すぎる。
DATはスタンダード・モードで180分というのが最長であり、これにかなうものはない。
CDRは今、一枚にどのくらい収録できるのかしら。80分ぐらいだとダメだね。
本腰を入れてなにか対策を考えなくては。
DATテープよりもさらに本数が多いカセットテープについては、大事どころはDATにダビングしてあるが、このような状況を考えるとまだまだカセットも処分するわけにはいかないようだ。
ロストロポーヴィッチの棒によるエフゲニー・オネーギンのライブをちゃんとした音で再生することを目標にして、彼へのお別れの言葉としたい。
おわり
.