チェリビダッケとミュンヘン・フィルは1986年に続いて同じ組み合わせでやってきた。
1990年の来日公演は、
10月4日から10月20日まで、9回行われました。
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プログラムは、A,B,C,Dの四種類。
A:ブルックナー/交響曲第4番 だけ
B:ブルックナー/交響曲第7番 だけ
C:ブルックナー/交響曲第8番 だけ
D:ロッシーニ/どろうぼうかささぎ 序曲
シュトラウス/ドン・ファン
ブラームス/交響曲第4番
9回のうち、オーチャードホールとサントリーホールで、A,B,Cをやっている。
あと3回は大阪C、武蔵野B、パルテノン多摩D、である。
Dプロはパルテノン多摩の1回だけ。
このうちオーチャードホールで、ブル4、ブル8を聴いた。
ブル4のことは昨日書いたので、今日はブル8のこと。
ブル8はこんな感じ。
1990年10月10日(水) 7:00pm オーチャードホール
ブルックナー/交響曲第8番 (第2稿1890年ノヴァーク版)
セルジュ・チェリビダッケ 指揮 ミュンヘン・フィル
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長い。
おそい。
第3楽章が終わったとき8:00pmをはるかに超えていた。
10月6日(土)のブル4のことが頭にあったので、テンポについてはある程度覚悟していた。
しかし、予想を超えてしまった。
ちょっとタイミングでも計ってやれ、と思ったのだが興奮してしまい、始まりと終わりしか時計は見ていないような気がする。
総合計1時間45分のブル8であったと記憶する。
だいたいのタイミングは、
第1楽章20分
第2楽章20分
第3楽章40分
第4楽章25分
これに、各楽章の速度指定などをつけてみると、
第1楽章アレグロ・モデラート
第2楽章スケルツォ アレグロ・モデラート
第3楽章アダージョ 壮重にゆっくりと、しかし引きずらぬように
第4楽章フィナーレ 壮重に、はやくなく
なんとなく示唆的。
特に第3楽章は、極度におそいテンポでありながら、引きずらない表現になっていた。
チェリの音楽の作りについては昨日のブル4に書いたので繰り返さないが、第3楽章は音の響きの美観を極度に求めるストイックな表現であるため、A,B主題及びそれらの発展系A´,B´についても並列的な要素が強く、だれた気持ちになる。が、それは聴き手の問題かもしれない。
チェリの作りだす音楽を理解するには、生、しかない。
練り上げられた思考と、その反映、それに見合うだけのオケの練習、などが統合的に収斂されシナジー効果を生んでいく。
音色は湯気が出るような、醸し出された音たち、といった感じでチェリ以外の棒からこのような音色は聴いたことがない。
また、録音された音だと、特にライブの場合、ピアニシモが全く出てこない。
きれいに磨かれたヴァイオリン、ウィンドのサウンド。
音色音階。音階ごとに音色バランスを変えるような緻密な技。
聴く方も死ぬ気で真剣にきかないと、チェリの作る音楽は理解できない。非常に高度な技がてんこ盛りだ。
その結果何が生まれるのか。ということになるが、早い話、
複雑なものでも美しいものがある、
といったところか。
チェリは自分の理想郷を掲げ、いきつくところまでいきついた美観の表現を成しえた極まれな指揮者だと思う。
河童は河童なりに大昔から聴いているし、
それに、
初来日の折の、
サイン、
も、
もってるわけさ。
あのとき上野でチェリさんに言いましたね。
インクレダァブル ナイト、トゥナイト!
オー、イェ?、リアリ?
アイ、ドゥイット、ライク、ディス、
エヴェリナイト。
アイ、ドン、ビリーヴ、ユウ。
ユウ、アァ、ナット、オン、ザ、ポーディアム、
エヴリナイト。
ユウ、アァ、ライト。
エニウエイ、ユウ、ギヴ、ミイ、オートグラフ、
プリーズ。
オーケイ、オカッパサン、
チェリノマエニ、チェリハ、ナク
チェリノアトニ、チェリハ、ナイ。
ライ?
ライ。
おしまい