河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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ロイヤル・フィル2 1989-24

2007-03-12 21:17:00 | 音楽

2_28

1989年来日したロイヤル・フィルは15回公演を行った。

東京ではオーチャード・ホールで3回行われた。

1120日と121日に聴いてみた。

1120日については昨日書いたので今日はこれ。

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1989121()7

オーチャード・ホール

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モーツァルト ピアノ協奏曲第27

マーラー 交響曲第1

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ウラディミール・アシュケナージ指揮&ピアノ

ロイヤル・フィル

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弾き振りはベートーヴェンよりこちらのモーツァルトのほうが表現がこなれていて、オタマジャクシをやつして弾く演奏も惰性ではなく、慣れ、のように聴こえ、演奏自体は安心感を持って聴くことが出来た。

ただ、その先がない。実演ではあまり聴くことのない27番を聴いた、という感覚が残っただけで空疎。

マーラーは細かい部分でオケの不揃いがあるが、これは演奏団体の能力限界に起因するものではなく指揮指示能力によるものではないか。あまり熱のない演奏である。音はでかいが。

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アシュケナージはたしか1990年代初めの頃、レコ芸インタビューに答えて、オペラのような贅肉だらけの音楽は意味のないもの、だから振らない、と断言しており、彼の演奏の中身とは関係のないところで評価を下げたことがあった。今でも贅肉音楽は振らないようなので一貫した姿勢なのであろう。

アシュケナージの頭の中はわからないが、そのスタンスに不満をいっても始まらず、そのようなスタンスの人間が表現するものを聴きたければ聴くし聴きたくなければ聴かない。

音楽に熱の高低を求めるようなタイプの指揮者ではなく、アイスランド響とのカリニコフなどかなりいい。スクリャービン、ストラヴィスキーなども比較的よく、最近継続しているNHK交響楽団とのチャイコフスキーなど、音楽に妙な起伏を求めない音圧的バランスに優れた棒など聴くべきところは少なからずあることも事実だ。

ズービン・メータの棒、ウィーン・フィルの伴奏で弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲全集など素晴らしい限りだ。肉厚と熱無し、の、ぶつかり合いがなんともミステリアスだ。

これからアシュケナージがどのような変遷をしていくのかわからないが、いまのところはN響という身近なところにいるわけであり、それなりに注目を継続すべき指揮者ではある。

おわり

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