「信じる」とは、いかにして可能になる行為なのでしょう。
もし、ある存在や考えをそのまま受容すると言うなら、それは「了解」とか「理解」であって、「信じる」ことではないでしょう。
むろん、それは「あるものが存在してほしい」とか「ある考えが正しくあってほしい」と「願う」ことでもありません。「信じる」のはあくまで、「存在する」ことであり「正しい」ことなのです。
すると問題なのは、「信じる」ことは、「疑う」ことがない限り、不可能だということでです。そもそも、「存在しないかもしれない」「間違っているかもしれない」と思う余地がなければ、「信じる」ことは成り立ちません。疑いがまったくないなら、「理解」「承認」するだけでしょう。ならば、「信じる」とは即、「疑いの排除」として以外に現実化しません。
だとすると、われわれは決して純粋に「信じる」ことはできないことになります。つまり、「信じている」限り、「疑っている」ことになってしまうからです(同時に、「疑っている」人間は、常に「信じる」ことを欲望しているのです。「信じる」何かを求めないなら、「疑う」必要はありません)。
この矛盾を回避する方法は、私が思うに二つです。一つは、「疑い」を排除することをやめて、「信じる」ことに取り込んでしまうのです。これを称して、「賭ける」といいます。すなわち、「信じる」ときに、最初から「存在しないかもしれない」「間違っているかもしれない」ことを当然の前提とするわけです。
もう一つは、「信じる」何かを消去することです。「あるものが存在すること」「ある考えが正しいこと」を無視して、「ただ信じる」。他動詞の「信じる」を自動詞化してしまうのです。
ということはつまり、それまで「信じる」方法であった行為、あるいは「信じる」ことを表現していた行為それ自体を、目的化することになります。たとえば、「ただ坐禅する」「ただ念仏する」。
このとき、「信じる」対象は失われ、「信じる」主体は「信じる」行為に融解して、「信じる」行為は無意味と化して、ただの「行為」になるのです。そうなれば、もはや「疑う」ことも不可能です。
結局、「信じる」行為の極限には、「信じる」何事もない。「宗教」もない。
私は『正法眼蔵』や『教行信証』を読むたび、いつも「信じる」困難さを思わされ、こんなことを考えるのです。
祖師すら知らない梅花講はどうすんだ!『正法眼蔵』を読まない代わり金銭納めれば良しとするか?達磨をただ真似て去って行くか?
たかくくってねえで、どう考えているのか、応えろ!
東北、日本海側は雪が強いようです。年末の慌ただしい頃、どうぞご自愛下さいますよう心よりお祈り申し上げます。
インド出身男性より
以前、私の家にホームステイをしたアイルランド人と、日本人の宗教観を話す機会がありました。その際、人間や動物だけでなく、植物や鉱物にも心があるように感じることや、大切に使っている物(楽器や道具など)も心を持っているように感じる人も多いこと、などを話した時、「なぜ、そのように思うのか?」と聞かれ、「そのように感じるから。」としか、答えようがありませんでした。
日常と非日常が混在しているのが、私たちの毎日です。どこからどこまでが、神秘性を帯びているかも、区別がつかない程なのが、当たり前なのです。
日本人は日常の中で形式をつくらず、意識しないうちに精神性を融けこませて生きているのかもしれません。今の日本は釈尊の理想に、意外にも近い状態なのかもしれないな、と思ったりします。
厩戸皇子(うまやどのみこ)生誕の下りがイエス・キリストの生誕伝承と余りにも似ている所から、「日本書紀」が西洋からの伝聞を借用して「創造された人物」との指摘もある
元来、神仏混合で発展した日本の仏教の中で、インド仏教の原点に立ち戻ろうとして研究を重ねた道元禅師は、どっちかといえば特殊なのかもしれませんね。
かと言って、やはり道元禅師も日本人。その感性は決して釈尊と全く同じ、というわけではないでしょう。(お育ちが良いところとか、発想が近くなる共通点は多いでしょうが。)意識しないうちに本来、自分の内面にある感覚と融けあい、道元禅師独特に味付けされた、私たちにとってしっくりくる思想を構築してくださったのです。それは、なんやかんや言っても、禅を発端とする今の日本の文化における思想的な基盤の一つになっていることは確か、と言えると思います。
極東である日本は、世界中の文化の終着点といえるのかもしれません。全てが集まり、そしてそれを咀嚼し、よりクオリティを高める。精神的な壁をつくらず、物理的にも思想的にも、変化を続けていく。よく西洋人から「日本人は神秘的だ」と言われますが、そんなところが理由なのかな、と思います。