恐山に今ある建物で一番古いのは、お釈迦様を本尊とする本堂(菩提堂)です。昭和初期、恐山は大火にあい、伽藍の多くを焼失しました。そのとき、町にあった武道場を仮本堂として移築したんだそうです。現在、ここでは、参拝の方々から申し込まれた先祖供養の法要をつとめています。
夏の大祭がしだいに近づいてくるこの時期、本堂には沢山のお供物が上がります。まず亡くなった人が着ていたであろう衣服。新品もあります。毎年買い換えてお供えする人がいるのでしょう。さらに遺影。処分するのに忍びないのでしょうか。あと、靴やぞうり、わらじもです。死出の旅路に不自由しないようにという心遣いなのだそうです。あと、子供のおもちゃ、お菓子やジュース、果物。人によってはリュックサックを背負って、あるいはダンボールをかついで持ってくるのです。
もうひとつ、私が初めて見たとき驚いたのは、二百個以上かと思われる花嫁人形です。紋付・袴の花婿人形というのもありました。これらはいま、お店で売られていません。ほとんどが特注品で、安くても一個、二、三万円はするでしょう。中には、施主の名前があり、さらに戒名や写真が入っています(写真に「童子」とあるのは、子供の戒名です)。
おわかりでしょう。結婚前の息子や娘を亡くした親が、あの世で結婚させたいと願って供えるのです。毎年、二十個くらいずつ増えていきます。去年、私が最後に見たものは、50歳くらいのご婦人が持ってきた、それは大きく立派な花嫁人形でした。立派ですねえ、と私が言うと、彼女は「息子がねぇ、母さん、二十五までには結婚するからな、と言ってたんですよ。生きていたら、それが今年でね。ですから、お嫁さん連れてきたんです」。
私たちは、年に一、二回、もう満杯になってどうしようもなくなったお供物から、お経をあげ、ご焼香して、処分させて頂きます(いわゆる「お焚き上げ」)。しかし、この花嫁人形だけは、すぐ処分するのがためらわれ、数が増えていってしまうのです。持ってきた親御さんの気持ちを考えると、どうしてもそうなってしまいます。
以前、「人は死ねばゴミになる」と言った人がいました。死体をただのモノだと考えれば、それは確かに生ゴミと変わりません。ですが、彼は、亡くなった自分の親や妻を生ゴミとして思い出すのでしょうか。あるいは、幽霊が出たといって大騒ぎする人は、肉親を幽霊として思い出すのでしょうか。違うでしょう。思い出すのは、間違いなく、親兄弟や夫、妻、子供、まさしくその人です。死者はゴミでも幽霊でもなく、その人自身であり、人の想いの中に確かに存在します。
恐山の岩場のあちこちに積み上げられた石の中には、文字の書いてあるものがあります。多くが人の名前や戒名なのですが、あるとき、こう書いてある石を見ました。
「もう一度会いたい」
この気持ちの中に死者はいる。恐山は、それが純粋に、なんら飾ることなく表れるところなのです。
まことに僭越ながら、私のウェブログで南さんの文章を紹介させていただきました。事後承諾になって申し訳ありません。
5年ほど前から、お盆の頃に訪れています。
大雨の時は行ってないのですが…
>「もう一度会いたい」
この石、同じものかどうか判りませんが、見覚えが有ります。
いい年したおっさんが、思わず泣いてしまいましたよ。
その近くには小さなサンダルや玩具とともに「享年2歳」と書かれた小石もありました。
今年は行けるかどうか、休みも短いし(そもそも休めるかどうか不明)、4・5月と入院して、病み上がりというか治りきっていないので片道約600kmは遠いです…
ありがとうございます。