写真は、恐山に宿泊する参拝者にお出しする夕食のお膳です。肉・魚は使っていません。いわゆる精進料理です。なかなか豪華でしょう。
昨今では、人々の健康志向もあってか、精進料理専門の料亭・レストランもあるようで、それらは大抵、非常に高価です。ですから、そういうものと比較すると、恐山の精進料理も、とりたてて驚くほどのものではないかもしれません。
ですが、元はといえば、精進料理は、修行僧が修行をするために、そして修行として、食べていた料理です。ですから、実際に修行僧が食べるものはこれほどの立派なものではありません。私が修行していた道場は、三食の内容がほぼ決まっていて、朝は、お粥にタクアンとごま塩、昼は、ご飯に味噌汁と、野菜の煮物か炒めもの一皿、夕食は、ご飯に味噌汁と、野菜の煮物や炒めものなど二皿でした。五日に一度、食べ残しの野菜を使った精進カレーが出て、これが楽しみでした。肉の代わりが炒めたコンニャクでしたが。
東南アジアの僧侶は今もそうですが、インドで仏教が始まった頃、僧侶は昼正午を過ぎたら、水以外のものは口にしませんでした。このルールは、仏教が寒さの厳しい中国に伝わって、変わっていきます。最初は彼らも夕食はとらず、代わりに温めた石を腹に抱き、空腹を紛らわしました。禅寺では今でも夕食のことを「薬石(やくせき)」と言います。修行僧にとって食べ物は修行する体を健康に保つ薬だとされます。その代わりになる石だから「薬石」なのです。精進料理を「懐石料理」とも言いますが、これもまさに「石を抱く」という意味です。この習慣が次第に変化して、中国・韓国・日本などでは、実際に夕食をとるようになったのです。ちなみに、日本人が一日三食とるようになったのは、禅寺の習慣が広まってからだそうです。
私は20年近く禅道場にいたのですが、日本の禅寺の精進料理に慣れてしまうと、世間に出てから困ることがあります。油や香辛料に弱くなるのです。私は今でも続けて二食肉を食べると、お腹をこわすか、口内炎ができるか、悪くすると皮膚に湿疹がでます。また、外食のカレーが危険です。よほど体調や量に気をつけないと、てきめん、胃痛になります(ですからハヤシライスを食べています)。
いま、「日本の禅寺の精進料理に慣れてしまうと」とことわりを入れたのは、外国では事情が違うからです。正午以後食事をしない東南アジアの僧侶の食事は、精進料理ではありません。信者から供養されるなら、肉でも魚でもOKです。そして午前中に大量に食べます。一度、ミャンマーのお坊さんを接待したら、90歳をこえる老僧が、翌朝起き抜けに大きなおにぎりを三つも食べるので、びっくりしました。中国や韓国は、何種類もの野菜を、あらゆる調理法で料理して出してきます。精進料理とはいえ、栄養満点。食べたいだけ食べさせます。特に中国は油をふんだんに使っていますので、かなりの高カロリーでしょう。
我々言うところの「モドキ料理」も、中国や韓国は見事なものです。これは「肉もどき」「魚もどき」ということで、見た目も味も、とても野菜とは思えません。私のいた道場にも、とろろ芋と海苔で、うなぎの蒲焼そっくりのものを作る人がいて、初めて食べたときは、ずいぶん淡白なうなぎだな、としか思いませんでした。ただ、日本では「モドキ料理」は、邪道とまでは言いませんが、なんとなく敬遠されています。
昨今、世間では、特に子供の食事が心配されていますが、勉強や仕事に「精進」するために、食事を「薬」と考えることは、意味のある発想だと思います。
食事作法も教わり、以後ご飯粒一つも残さず食べています。
13才の時、祖母に連れられ韓国のお寺の料理を食べたことがありましたが、野菜中心の香辛料の入ってない淡白な味でした。
日本のお寺の精進料理と根本的に似ていたと記憶しています。
今はアメリカ住まいになり、食材も変わってしまいましたが、
日本流30%
韓国流20%
米国流50%
の割合で本場優先の料理をしています。
20年間の精進料理に慣れて
世間での栄養満点な料理は変えて毒なようでしたね。
私もアメリカ流の高カロリーの料理を消化できず、1日1食か2食くらいしかとりません。
石を温めて腹に当てた方法は試してみます。
今回は精進料理に関する記事を検索したらこの記事にたどり着いたのでコメントを残そうと思いました。ただの体験談ですが。