今年も恐山の例大祭が無事終了しました。ご参拝いただいた皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
恐山の本堂には、家族の方が持ち込むであろう、たくさんの故人の遺品が供えられています。その多くは衣服と遺影ですが、おもちゃや靴、鞄なども少なくありません。
以前、手作りの等身大人形が置いてあって、仰天したことがあります。お子さんを亡くされた人が、長年一緒に暮らしていたのでしょう。顔の部分は何度も縫い直され、白かったであろう布も茶色になっていました。
今年、本堂で法要に出たとき、たまたま目にしたのは、手紙でした。ピンクのかわいらしい封筒には、丸みをおびたやさしい字で「美樹ちゃんへ 母より」とありました。封筒からは便箋の文字もいくつか透けて見えました。「おかあさんは・・」という字もありました。
その手紙には、真新しいシャープペンシルときれいな便箋がいっしょに添えられていました。
まだ幼いお子さんを亡くしたお母さんが置いていったのだと思います。シャープペンシルと便箋は、美樹ちゃんに返事を書いてもらいたいという切なる願いゆえのものでしょう。
おそらくは、このお母さんはこれからも、美樹ちゃんを繰り返し繰り返し思い続けるでしょう。思おうとしなくても、思われてしまうでしょう。そのどうしようもなく思われてしまう思いの中に、彼女は美樹ちゃんからのメッセージを受け取るのかもしれません。
恐山は今も、死者とともにあり、死者に出会う場所なのです。
恐山の本堂には、家族の方が持ち込むであろう、たくさんの故人の遺品が供えられています。その多くは衣服と遺影ですが、おもちゃや靴、鞄なども少なくありません。
以前、手作りの等身大人形が置いてあって、仰天したことがあります。お子さんを亡くされた人が、長年一緒に暮らしていたのでしょう。顔の部分は何度も縫い直され、白かったであろう布も茶色になっていました。
今年、本堂で法要に出たとき、たまたま目にしたのは、手紙でした。ピンクのかわいらしい封筒には、丸みをおびたやさしい字で「美樹ちゃんへ 母より」とありました。封筒からは便箋の文字もいくつか透けて見えました。「おかあさんは・・」という字もありました。
その手紙には、真新しいシャープペンシルときれいな便箋がいっしょに添えられていました。
まだ幼いお子さんを亡くしたお母さんが置いていったのだと思います。シャープペンシルと便箋は、美樹ちゃんに返事を書いてもらいたいという切なる願いゆえのものでしょう。
おそらくは、このお母さんはこれからも、美樹ちゃんを繰り返し繰り返し思い続けるでしょう。思おうとしなくても、思われてしまうでしょう。そのどうしようもなく思われてしまう思いの中に、彼女は美樹ちゃんからのメッセージを受け取るのかもしれません。
恐山は今も、死者とともにあり、死者に出会う場所なのです。
枯れないように気を付けます。
大祭お疲れ様でした。
お疲れでしょうか?
いよいよ本格的な猛暑が始まりました。どうぞ、お身体にお気をつけて!
最近、大変難しいテーマで、コメント読んでいてもさっぱりわからない事が多かったのですが。
今年も夏がやってきました。
春は花
夏ホトトギス
秋は月
冬雪さえてすずしかりけり
こちらの方は夏は蝉です
地響きのようにないています。
それが人の形なのでしょうか。
すべてを捨てて無明を解き放たんとする仏道修行はまさに過酷な難業、人間としての究極の挑戦になるのでしょうね。
はてな?
「思われてしまう」というのが受身形文章ならば、超越に聞こえるのですがいかがなものでしょうか?
>今回はまた随分とお優しいですね。
参拝者には「寛大」なのです。。
ナゼ( ・◇・)?
と聞かないように!
風の音にぞおどろかれぬる
の「おどろかれぬる」みたいなんじゃないの?
「私(=南さん)は~~、おそらく釈尊の仏教も道元禅師の仏教も、~~、強烈な矛盾のなかで生きざるを得なかった~~と思います」
同136頁
(南さん曰く)「最近よく言われるのは~~、この人間は二重人格でやっているのかな、と思う人と、
そんな便利なやり方があるんだったら、聞いて帰りたい、という人がいる。」
「で、ほんとうのところはどうです?、と、こうくる」(笑)
(玄侑さん)「はははは。」
納得ナリ、
人は誰でも矛盾の塊.....たとえ出家とて。。。
これ即ち、決死の覚悟の「方便」ナリ