面会希望の方とお話すると、時として別れ際に、お布施ですとか、御礼ですとかの口上と共に、熨斗袋を差し出されることがあります。
そもそも大したアドバイスもできないし、気の利いたことを言えるわけでもなく、何より自分の言いたいことを言いたいように言うには、そういうものは一切頂かない方が気楽なので、実際今まで受けとったことがありません。露骨に言うと私との面会は「無料」です。
実は、亡くなった私の師匠がまったく無料で子供たちに習字を教えていて、あるとき急に、いつものぶっきらぼうな口調で、
「お前も坊さんなんだから、一つくらいタダで人の役に立つことをやれ」
と私に言ったのです。
私もそのとき、弟子なんだから、師匠から言われたことで一つや二つ生涯守ることがあってしかるべきだと思い、何をしようかと考えて、じゃ、自分に面会したいという人とは、「タダで」会おうと決めたわけです。
お菓子などを持参して下さる方もいらっしゃいますが、そんなお気遣いも無用です。「タダ」会いに来ていただければ十分です。
ところが、そうは言うものの、少なからず品物をご持参の方がおられます(中高年の女性に多い)。これはあまり固辞するとかえって失礼になる場合があるので、有り難く頂戴します。
以前、東京で60代かとお見受けする女性にお目にかかりました。息子さんとの関係に悩んでおられた、小柄なごく控えめなご婦人でした。
お話を2時間ほど伺って、ではこれで、ということになったとき、彼女は紙袋を差し出しました。
「つまらないものですが」
菓子折りが見えたので、私も折角ですので
「ご丁寧に恐れ入ります。申し訳ありません」
と、素直にいただきました。
その日はそのまま福井の自坊に帰る日でしたので、夕方着くと、当時留守番してくれていた母親に
「これ、いただいた」
すると、中身を見た母親が
「封筒がある」
品物と一緒に礼状が入っているのは珍しいことではないので、
「ああ、そうなの」
と受け取ると、妙に分厚い。
「やっかいな手紙かなあ・・・」
などと独りごちながら中をあらためると、なんと、帯の付いた100万円が入っていたのです!
人間、こういう時に本性が出ます。私は自分が根本的にマザコンだと自覚している者ですが、お金に仰天したその刹那、口から飛び出した言葉は、
「おかあさん、どうしよう?!」
当時50歳ちょっと。しみじみ情けなかったです。
すると母親は平然と、
「その方にお返しなさい」
私はご婦人に連絡して、これを頂くと次から気楽にお会いできなくなると訴えて、最後は納めてもらいました。
私はどちらかというと図太い方だと思うのですが、こういうときは一気に小心者になってしまいます。
修行すればどんなときでも平然としていられる(母親のように)と宣う人もいますが、正直言うと、私は自分のこういう動揺が嫌いではありません。
そもそも大したアドバイスもできないし、気の利いたことを言えるわけでもなく、何より自分の言いたいことを言いたいように言うには、そういうものは一切頂かない方が気楽なので、実際今まで受けとったことがありません。露骨に言うと私との面会は「無料」です。
実は、亡くなった私の師匠がまったく無料で子供たちに習字を教えていて、あるとき急に、いつものぶっきらぼうな口調で、
「お前も坊さんなんだから、一つくらいタダで人の役に立つことをやれ」
と私に言ったのです。
私もそのとき、弟子なんだから、師匠から言われたことで一つや二つ生涯守ることがあってしかるべきだと思い、何をしようかと考えて、じゃ、自分に面会したいという人とは、「タダで」会おうと決めたわけです。
お菓子などを持参して下さる方もいらっしゃいますが、そんなお気遣いも無用です。「タダ」会いに来ていただければ十分です。
ところが、そうは言うものの、少なからず品物をご持参の方がおられます(中高年の女性に多い)。これはあまり固辞するとかえって失礼になる場合があるので、有り難く頂戴します。
以前、東京で60代かとお見受けする女性にお目にかかりました。息子さんとの関係に悩んでおられた、小柄なごく控えめなご婦人でした。
お話を2時間ほど伺って、ではこれで、ということになったとき、彼女は紙袋を差し出しました。
「つまらないものですが」
菓子折りが見えたので、私も折角ですので
「ご丁寧に恐れ入ります。申し訳ありません」
と、素直にいただきました。
その日はそのまま福井の自坊に帰る日でしたので、夕方着くと、当時留守番してくれていた母親に
「これ、いただいた」
すると、中身を見た母親が
「封筒がある」
品物と一緒に礼状が入っているのは珍しいことではないので、
「ああ、そうなの」
と受け取ると、妙に分厚い。
「やっかいな手紙かなあ・・・」
などと独りごちながら中をあらためると、なんと、帯の付いた100万円が入っていたのです!
人間、こういう時に本性が出ます。私は自分が根本的にマザコンだと自覚している者ですが、お金に仰天したその刹那、口から飛び出した言葉は、
「おかあさん、どうしよう?!」
当時50歳ちょっと。しみじみ情けなかったです。
すると母親は平然と、
「その方にお返しなさい」
私はご婦人に連絡して、これを頂くと次から気楽にお会いできなくなると訴えて、最後は納めてもらいました。
私はどちらかというと図太い方だと思うのですが、こういうときは一気に小心者になってしまいます。
修行すればどんなときでも平然としていられる(母親のように)と宣う人もいますが、正直言うと、私は自分のこういう動揺が嫌いではありません。
桜が咲き乱れています🌸
何が宜しいでしょうか?
百万はムリです😅
「この人、人間だなあ」って思うからです。
今回のお話もそんな感じがして好きです
もし仮に「儂は世俗を超越した限りなく悟りに近い存在なのじゃ」とか
宣う偉そうな坊主に私が出会ったら、
「コイツ、どうにかして化けの皮を剥いでやれねえかな」
とか思うんじゃないかなあ。
その意味では宗派が全然違ってしまうのですが
歎異抄9条のエピソードも好きです。
唯円「師匠、俺・・・往生したい気持ちにならないッス」
親鸞「マジでか、実は俺も俺も!」←83歳
難しい仏教のお話をされるより、かえってお疲れになるかもしれません。もしかしたら、相談者は院代が有名な人だというミーハーな気持ちからの申し込みかも知れません。なのに、真摯に相談にのられる院代のお姿が想像できます。
どうぞ、そろそろご自身のお身体を第一に考えて、たまにはのんびりなさって下さい。(私だけは相談にのって、という身勝手なファンより)
朝から大笑いいたしました!思わず私もと思った「お気持ち」だけ受け取っていただければありがたく存じます(笑)
修行により「供養と尊敬を受けるに値する人」と他者から認めていただいたということなのでしょう。
世俗に棲む私であれば、素直に喜ばしいことと思ってしまいます。
もちろん、帯封をお供えしたくなるほどの「他者の深い思い」も同時に受け取ったということですから、修行などしていない私などは「どれほど大変なんだろう」とも思ってしまいます。
お体をお大事にされてくださいますよう、心より深くお念じ申し上げます。
幾つになってもアドバイザーの偉大な母が、私の母は身罷りましたが何時も姿と言葉が浮かびます。
「奉仕」という言葉も死語に
難しい仏教の話の合間にこんな(確かにイギリス風ユーモアかも)話をさらりと書いてある院代のブログのファンであることも、私自身の自慢でもあります。これからは院代だけではなくお母様のファンにもならなければなりませんね。
事前に100万円を準備するというこの感覚が、なんとも言えないものがあります。
本人にとってはよっぽどのことなのだろうと思いつつも、一方では、院代のお母様がそのご婦人の相談相手ならどのように返答されるのか興味が湧くところです。
南さんはわりと有名だから、南さんに対して自身(相談者)を印象づけようとしたんじゃないの?相談者は女性だし、ありそうな心理だと思うな。
この毒饅頭受け取ってたら、南さんきっとバカにされてただろうし、実際意図していないかもしれないけどバカにしてるな。
南さんもきっとイラっとしたはず。この話は全てとはいわないけど、半分くらい創作じゃないかな。やんわり自虐的にいわないと、南さんはその風貌と文体から無敵超人みたいに思う人いるかもしれないもん。
南さんとしては面談の数を減らしたいのと、相談者の手土産が、うざったくて面倒くさいんだろうな。