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恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「小乗」と「大乗」

2008年07月10日 | インポート

 パーリ語経典をよりどころとする、いま主に東南アジアでさかんな仏教をテーラバーダ仏教、または上座部仏教といいますが、以前は「大乗」仏教側が批判的に「小乗」仏教と呼んでいました。

 その最も通俗的で人口に膾炙した解説は、「小乗」仏教は自分たちが悟るための修行ばかりに専念して、一切衆生を救おうとする慈悲に欠ける。そこで大乗仏教が興って、この欠点を克服したのだ、という語り口のもので、特に日本ではこの言い方が大いに流行りました。

 私が聞いたことのある珍説の最たるものは、「日本では僧侶が結婚することで、衆生と一心同体になり、これはまさに大乗の究極の姿だ」という、驚き入った話でした。

 これは完全に誤解です。東南アジアの僧侶は、僧院で修行しながら、多くの信者に接し、日常生活の悩みを聞き、アドバイスを与え、彼らとの信頼関係を日々更新しているのです。

 一方、「慈悲行」に励んで、何も修行をしない「大乗」ならば、それはほとんど単なる慈善事業やボランティアとかわらず、僧侶が僧侶としてしなければならない必然性はありません。

 私は今、日本の伝統仏教は、修行と慈悲の意味を自ら根底から問い直し、再定義する時期に来ていると思います。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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仏教のあり方も国によって違うと思いますし、日本... (みん)
2008-07-11 21:02:47
仏教のあり方も国によって違うと思いますし、日本に関して言えば、日本の仏教も見直しは必要かもしれませんが、熱心で、いい僧侶の人達もいますし、ただ私が1つ思うのは、もっとお寺をオープンに親しみやすい場所にしてもらえたら…と思います、そうしたら敷居が低くなるしイメージが変わると思うのですが。

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