恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

無常、無記、空

2011年08月10日 | インポート

仏教で「無常」あるいは「無我」というとき、私が考えることは、

「この世ははかないなあ」などという詠嘆でも、

「一切のものは一瞬もとどまることなく、移り変わっていく」という諦念でも、

「あらゆるものには実体はなく、様々な要素の寄せ集めである」という見解でもありません。 

 私が考えていることは、そのような物言い、判断や考え方には、その正しさを無条件的に保証する根拠が欠けている、ということです。

 つまり、私がいう無常とは、「すべては無常である」という判断も含めて、一切の判断それ自体に確実な根拠はなく、その反対の考え方、たとえば、

「無常と見える現象の背後には、それを成立させている普遍的で絶対的な何か、理念や法則が存在する」

 という考え方を、頭から否定する理由はない、ということです。

 ということは、事実上、私は、「無常」「無我」を、形而上学的な命題に対して判断を停止する「無記」のアイデアと同様に解釈していることになります。

 すると、肯定であれ否定であれ、なんらかの判断を下すという行為は、事実認識の問題ではなく、信念の問題になります。確実な根拠がないにもかかわらず、一定の条件を仮設した上で判断を下し、それを「正しい」と信じることが、要するに我々の「認識」というわけなのです。

 竜樹祖師(ナーガールジュナ)が有名な『中論』で行ったことは、私に言わせれば、この「無記」の考え方の徹底的な論理化だったと思います。 この本の中で、彼は別に「三世両重」の「小乗的」縁起説を「相依相関」の「大乗的」縁起説に改訂したかったわけではないでしょう。そんなことは、どこにも書いてありません。ましてや、「妻がいるから夫がいる」とか「世の中すべてお互い様」程度の世間話をしたかったのではありますまい。

『中論』において大規模に展開されているのは、とにもかくにも徹底的な言語批判を通じて、我々の持ちやすい「常に同じで変わらない何か」があるかのごとく思う錯覚を、排除することです。

 この場合、何事であれ判断とは、要するに「何か(A)をそれ以外の何か(非A)から分ける」ことですから、Aの実存は、「非Aとの違い」という在り方において、非Aに根拠を持つことになります。そして、この「違い」として現象する関係性を、「縁起」と呼ぶわけです。

 そうすると、「縁起を見ることが空を見ること」と言うなら、常に同一な「Aそれ自体」の存在を無条件に肯定する判断は間違いだと考えることが、「空」の実質的な意味であり、したがって、「空」は「無記」の論理的展開だと言えるだろうと、私は思います。

 この考え方すれば、イスラム教圏のみならず、アメリカ空軍でも持ち出されていた「聖戦」論は、意図的に曲解するか、お目出度い誤解でもしないかぎり、何をどうごまかしても、仏教からは出て来ないはずです。

追記:9月の「仏教・私流」は9月15日(木)午後6時半からです。前記で曜日を間違えました。すみません。


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25 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私は、「禅は劇薬、稀少疾病重篤患者用」だとおも... (日々草)
2011-08-27 00:55:43
私は、「禅は劇薬、稀少疾病重篤患者用」だとおもっておりましたが、用法・用量を適切にすれば、今現在、苦しんでいる多くの人を救うことにつながるのではないかとも思っております。


これはまったく根拠薄弱の思いつきであり、「医者」でも「快癒者」でもないのに、軽率な事を申しまして本当に申し訳ございません。重ねてお詫び申し上げます。


追伸:「考える人」ありがたく拝読させて頂きました。
時期が時期だけに、本当に心に沁みました。
震災対応で心身がぎりぎりになり、虚脱感に襲われている友人達に勧めたところ、彼らも救われる思いがしたそうです。
本当にありがとうございました。
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「自殺について」に書こうかとも思いましたが、や... (白花の百日紅)
2011-08-27 00:44:38
「自殺について」に書こうかとも思いましたが、やはりこちらに書かせて頂きます。


「無記」については、正しいのかどうかわかりませんが、私はいつもヴィトゲンシュタインの「論考」を連想します。
もしも彼の思想が「論考」に至らなければ、「生きること」が辛く、天寿を全うするのが難しかったのではないかと思われます。


「空」については、全くわかりません。ただイメージとして、「シュレーディンガーの猫」のような、現実としてはありえない「二つの状態が重なり合っている状態」ではないかと推測しております。

『縁起を見ることが空を見ること』も、「関係性が消失している状態と存在している状態とが重なり合っているあり方を見ることが、空を見ること」なのではないかと思っております。


ただ、方丈様のおっしゃる、『「空」は「無記」の論理的展開だと言えるだろう』ということには、何か深く感じる所がありました。
十牛図の「忘牛存人」から、「人牛倶忘」への展開を連想したからです。


正直に申し上げますと、私はカッコ付きの「悟り」には全く興味がありません。

ただ、道元禅師のおっしゃる「心身脱落」が、関係性を失わずに、あらゆる関係性を断ち切った「空」を実感したものであるのなら、相当に生きていくのが楽になるだろうな、とも思っております。

なんともまとまらない話になりまして、申し訳ございません。
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かつて、法華経が満州事変に利用されたことは残念... (伊東浩史)
2011-08-26 12:39:00
かつて、法華経が満州事変に利用されたことは残念です。必死の訓練をするからこそ、部下を死なせたくないとおっしゃった元中隊長に敬意を覚えます
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 浅野さまへ (nao)
2011-08-19 21:31:28
 浅野さまへ
 
 良かったですね、羨ましい~。
 コメントを 読んで、老師と少年の、一節を、思い出しました。

 「器は他者から作られ、他者によって磨かれる。ーーーー
 友よ。器を作れ。困難な仕事だ。」
 
 私は、存在不安が有るほうなので、他者と関わって行くのが、苦手です。
 浅野さまの、よき器が作れますように・・・(^_^)
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内山興正氏の著書「生法眼蔵~生死を味わう」を読... (syuko)
2011-08-19 17:26:45
内山興正氏の著書「生法眼蔵~生死を味わう」を読み終えた直後に南住職の文章を読み、あ、これじゃ哲学だというコメントになったのですが、内山氏の思い考えずスラスラ読む事できちんと内容理解するには、何回か読みこなさなくてはいけないと。南住職の以前読んだ著書の中で「もう少し読者に伝わる言葉でかけませんか?」しかし自分の文章を読者に分かって貰える人に分かって貰える事で良いという内容だったようです。南直哉は、平成の「道元」か?
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南さん、すみません。以後気をつけます (浅野)
2011-08-19 05:30:01
南さん、すみません。以後気をつけます

28年目にして、確信的に気になる異性が現れました。それどころではなく就職の方が問題なのですが。
彼女と接すると、一生懸命になってる自分がいます。そこで、そこいるのは、本来の自分ではないということが浮き彫りになりました(嘘をついてるわけじゃないです)。そして、確かな手ごたえもなく(これも異性だからとかではないです)、帰ったあとは、その自分自身との差異、傷み、切なさがありました。
恋心が観念であるならば、その幻想に騙されてもいいな。騙されたいな。
この感情は初めてなんです。恐らく、ひとつに自分の問題を横におきつつ、他者と関わろうと本気で思い始めたからかもしれません(まだわかりませんが)。
間違いなく、南さんの影響です。明らかに時間が変わったきた印象を自身感じてます。けど、そこには責任も重たくのしかかってきます。
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なんでだろ・・ね。 (akemi)
2011-08-18 22:39:11
なんでだろ・・ね。
死んじゃう・・ね。
どうしている。
どうしよう・・ね。
どうしたらいいんだろう・・ね。
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 はてな様へ (nao)
2011-08-18 15:39:24
 はてな様へ

 私には、答えが決まっていようが、いまいが、方丈様の、言われることは、わかりません。
 わかりやすいお話であっても、その言葉の、後ろには、方丈様の、私には、想像もつかない、体験、経験、広くて深い知識・・などが、あってのことでしょうから。
 で、これからも、私は、ほぅ・・、なるほど・・で 読ませていただきます。情けない・・(._.)
 はてな様が、言われるように、謙虚な姿勢で、私にできることを、三業を、犯さない様に、取り組みます。  ありがとうございます。
 余談の余談の余談です、 私の住んでいる地域も、空海のことを、「おだいっさん」とよびます。
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南先生 (本間千秋)
2011-08-18 14:50:11
南先生

私は九州の大学院で金融投資論を教える者です。先生の最近の著作「賭ける仏教」を読ませていだだきました。そこで、先生は、矛盾による言語的実在から、”余り”を視野に入れた縁起的な実在を、仏教の役割である、と書いています。

そして、そうした見方をしている学者や実務者はいないだろう、と。

そこで、実は私の投資金融の世界では、この”余り”に注目し、それを含めた金融モデルのあり方を議論していることを、是非お伝えしたかったのです。

ご存じかもしれませんが、欧米で始まった金融理論の世界では、CAPMという理論がノーベル賞を得ていますが、それは下記の方程式によって成り立っています。

     (E)R=α+β(Rm-rf)

株式や債券の資産価格は、右の部分の市場リスク・プレミアムと、左のアルファ(α)によって決まる、というものですが、このアルファが、先生の言う”余り”に相当します。これを含めないで解釈したのが、
所謂”効率市場仮説”というもので、今回の金融危機では、この効率市場仮説が、近世の金融理論の
なかでも最もナンセンスな理論であったことが判明しています。

しかし、この効率市場仮説が、現代の主流な仮説となっていることが、また何とも皮肉なことです。この仮説は、市場の価格は、自然と効率的に決まるようになっていて、そこには非効率性が入り込む余地はほとんど無い、と言っています。価格はあらゆる情報を消化して瞬時に正しく決定する、というものです。
もし、世の中がこのように効率的であったら、金融危機は存在しませんから、これはおかしな理論である、ということが最近の主流になりつつあります。

こういう”余り”の要因は為替理論の世界でも、私のダイアロジック・モデルでも見られます。ダイアロジック・モデルとは、異なる要因を一つに調和する、統合する理論のことで、私が研究している仏教的金融の世界のこれからの考え方だと、先生のお話を読みながら感じた次第です。

是非とも、こういう”余り”の世界が、現実に理論化され、実務で使われていることをご認識くださいませ。


立命館アジア太平洋大学院教授

本間千秋

横浜市中区鷺山93番地
携帯電話 090-7212-9228
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naoさんね。予め答えが決まっていることであれば、... (はてな)
2011-08-18 13:16:34
naoさんね。予め答えが決まっていることであれば、それについて理解できているのかも分かりますが、答えの無いことをそのように考えるとご自身を責めることになりかねないので分かろうとするに留めてよいのではないでしょうか。それだけでも大変ですがね。

仏教ってね。間口は広くて誰でも一歩を踏み入れられても、その先は灯明なくして歩めない世界だと思うのですが、凡人は謙虚な姿勢で行為に取り組み続けることでそれなりの灯明が得られると思えます。光り輝く灯明を得られなくても小さな蠟燭のような灯明でも私は生きられています。

余談の余談ですが、私の住んでいる地域では弘法大師、空海のことを「おだいっさん」と呼びますが、愛する誰かが自身の心に宿る前と後では違うように、「ジキサイさん」と呼ばせていただくことで直哉さんが自身の心に宿り、ひとつの灯明になり得ると思えます。
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私には、仏教と言えば、融和、融合、和合・・ く... (nao)
2011-08-18 00:22:25
私には、仏教と言えば、融和、融合、和合・・ くらいとしか、判らず、毎日、怒らないよう、三業を 犯さない様に することで 精一杯です。

 ところで、方丈様・・、深くて、難しすぎます・・。
 
 聖戦の話では、ありませんでしたが、 仏教では、「反戦」という言い方をすべきではないんです。「非戦」と言わなければいけない。と、仰られてるのを、読んだことが ありますが・・。
 宗教どうしが、もし本当に協力しあいたいたいなら、共通の真理ではなく、共通の問題を見出さなければならない。と、言われていましたが・・。
 私なんかは、ほぅ・・、なるほど・・と感心しただけですが。  カントの「統整的理念」、竜樹祖師の「中論」(ほかにもあるのでしょうが)など、深く追求されての、言葉だったのですね・・
 
 私の様な、凡人は、方丈様の、言われてることを、どれだ理解できているのかと 思うと、ため息が出てしまいます。 
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浅野様に申し上げます。17日20:28にいただ... (院代)
2011-08-17 22:17:50
浅野様に申し上げます。17日20:28にいただきましたコメントは、当ブログと関係を認められませんので、恐れ入りますが、削除させていただきます。
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はじめまして!南さんが近畿圏へ来られる事はある... (Unknown)
2011-08-17 17:16:40
はじめまして!南さんが近畿圏へ来られる事はあるんでしょうか?つまらない質問ですいませんm(_ _)m
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先日見渡す限り蓮…という池の前でボーッとしていると... (南京ハゼ)
2011-08-15 13:19:07
先日見渡す限り蓮…という池の前でボーッとしていると、もっと近くで見られる場所をそばに立っている方が教えてくださいました。
しばらく見入ったのち、風韻が薫るような気が致しました。

お盆といわれる時、想いを馳せる気持ちとそれを受け入れる在り方とを思うと、個々というのではないものを感じます。

残暑の折、どうぞご自愛下さいますよう心よりお祈り申し上げます。

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思い悩まれたであろう「なおや」さんから、しっか... (はてな)
2011-08-15 08:16:47
思い悩まれたであろう「なおや」さんから、しっかりとした意思による表現を組み立てられる「じきさい」さんになられている。

直哉さんの気持ちや思考を分かろうとするには、先ずは、自身の在り様や在り方を問う必要があろうかと思わされますね。 それは、直哉さんに限りませんがね。

もっと言えば、それを問えずして禅を百万陀羅繰り返しても得られるものは何も無いことでしょうね。
もっと言えば、禅を百万陀羅繰り返すことによって、問えるようになることもあるのでしょうね。 お終いです。
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宗教は哲学に分類されたりしますから、 (邪宗門徒)
2011-08-14 22:35:19
宗教は哲学に分類されたりしますから、
難しく敷居が高く感じるのも「理屈」と思うからでしょうか...
たしかに理屈っぽいかもしれません。

ところで
>「無常と見える現象の背後には、それを成立させている普遍的で絶対的な何か、理念や法則が存在する」

 という考え方を、頭から否定する理由はない、ということです。

私の今までの知識では「摂理」という言葉が浮かんでまいりました。
もちろん基盤は神学ですが、自然発生的に生まれ、
よく均衡が保たれているシステムを指しています。
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聖戦は必要か。それを中心に考えるべく成立してし... (言魂)
2011-08-13 05:45:18
聖戦は必要か。それを中心に考えるべく成立してしまった教えは、成立過程で本質的なものに、何か異質なものが混入してしまったのではないか。世界の本質はそのようなものではない。
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なんだか難しい話ですが、最後の聖戦うんぬんの話... (和華蘭)
2011-08-12 14:25:17
なんだか難しい話ですが、最後の聖戦うんぬんの話の為に長い前段があるのかと勝手に理解。ご説明の縁起=空からは他者に対しての排除や暴力の正当化はどうやっても導き出せないということでしょう。それゆえ仏教者は非暴力を宣揚しなければいけないし、暴力(軍事)の正当化には国家といえども異を唱えるべきということか。
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3月に夫が他界し永平寺で直哉さんのお弟子だった... (椙山)
2011-08-11 22:42:18
3月に夫が他界し永平寺で直哉さんのお弟子だった僧侶に弔っていただきました。このご縁で仏教を勉強し始めました。紹介された直哉さんの本を何冊読んだことか!しかし、今回の直哉さんのコメントを読み、朧気ながら理解していたつもりの縁起、空の概念がわからなくなりました。夫他界後の私の空虚感は妻である私を存在させていた夫がいなくなり、私自身の存在がなくなった・・これが縁起?!と感じてたんですが。何冊、本を読んでも読解力がないとダメだと痛切に感じました。また、直哉さんの日常生活のなかの禅を読み返します。
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直哉さんの思想は実に面白いですね。 (はてな)
2011-08-11 10:07:26
直哉さんの思想は実に面白いですね。

私流に考えますと飢餓や医療、そして戦争などに関する諸問題は、それ自体にあるのではなく解決を図るための第1課題は「お金の仕組み」にある。
住居を喪失すれば、住居を建設する技術や材料、土地はあるのだから、建設することでそれ自体は解決する。
社会は一部の権力者の欲望によって、実におめでたい仕組みで動きそれも知らず大多数は踊らされている。

揚げ足取りではありませんが、「お互い様」と言う言葉自体は、社会通念上は人間同士の関係性を指し示すものですがその言葉の根源には、分子も原子も生命も空間も互いに関係性を有していると言う自覚がなければ、それもまたおめでたいことでしょう。
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宗教における専門用語?分かりずらいと、思うのは... (syuko)
2011-08-11 02:00:10
宗教における専門用語?分かりずらいと、思うのは私だけかな。南住職の思いは、もう少し現代の日常使う言葉で表現していただければもっとわかりやすくなるのに、これじゃ哲学だ。
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現実を加工を加えることなくそのまんま認識したい... ()
2011-08-10 13:14:31
現実を加工を加えることなくそのまんま認識したい、というのが仏教の根本的な欲求でしょう。

端から身も蓋もない脱構築的な認識。

スマッサラナー師の面構えなんかにはっきりと表れていますよね。
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事実だと思っていた、無常や無我も思い込みや錯覚... (浅野)
2011-08-10 06:25:02
事実だと思っていた、無常や無我も思い込みや錯覚、信念であると(言われてみれば確かに)。
なにか一歩進んだ気がします(これも錯覚かな)。
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人が欠損をかかえながら生きる日常の全てが、大宇... (ride)
2011-08-10 05:13:59
人が欠損をかかえながら生きる日常の全てが、大宇宙そのものでもある。そう思えば、人生は神秘的な旅のように思います。
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然り (Unknown)
2011-08-10 04:41:52
然り
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