先だって、ある法事の後席で、小柄だけれどガッチリした体格の、初老の男性と隣り合わせになりました。とても礼儀正しい人で、まるで修行僧みたいな身のこなしだなと思っていたら、最近自衛隊を定年で退官したという方だったのです。
とても気さくな人で、いろいろ話をしているうちにすっかり打ち解け、お互い身の上話までし始めた頃、私は前から機会があったら訊いてみたかったことを尋ねてみました。
「さっきの話ですと、あなたは中隊長くらいの立場までつとめられたそうですが、部下はどのくらいいたのですか?」
「私の場合で、300から400人くらいが指揮下にいましたね」
「すると、そういう方々と日ごろ実戦を想定した訓練などもなさるのでしょう。私などが想像できない大変な訓練もされるんでしょうが、そういうことを積み重ねていると、時々、実際に戦ってみたいという気持ちになりませんか? 訓練ばかりじゃ仕方がない、物足りない、みたいな」
すると、彼は眉毛を思い切り下げて笑い、こう言いました。
「いや、それは和尚さん、正直、若い一兵卒のころはそう思ったこともありますね。ところがね、年月がたって少しづつ昇進するでしょう。すると部下を持つ。それがだんだん増えてくるんです。そうするとですね、こいつらだけは死なせたくない。自分が死ぬのは構わないけれど、彼らはなんとか生かしてやりたいと思うようになってくるんですよ。自分が隊長である間、どうか何事もないように、戦って死んだりすることのないようにという、若い頃とは全然違った気持ちになるんです」
そういうものかと、私は感じ入って聞いていました。
「実際に戦場に出て相手と戦う立場の者は、誰も戦争を望まないでしょう。戦争したがったり、戦争をすることに躊躇のない人間というのは、自分が殺し合いの前線に出ていく心配はないと信じている者だと思いますよ」
戦争の矛盾は数々あれど、これもまた大きな、そして滑稽な矛盾でしょう。