2月7日朝。檀家さんに電話。
「えらいことになっちゃって。いま、どのくらいです? 雪は」
「いや、ほんとにえらいことだよ、方丈さん。朝起きたら、もう外に出られない。1メートルくらいある」
「今日、帰るつもりなんだけど・・・」
「ムリ、ムリ、電車も車も飛行機も、全部ダメ」
「そうなんだよ、新幹線はともかく、在来線全部運休になってる」
「方丈さんも、あきらめな」
「でも・・・寺が・・・」
「大丈夫、雪がひと段落したら、お寺の方も雪かきしておくから」
「すまんねえ。この大変なときに住職いないなんて」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。青森の方は? 恐山は?」
「やっぱり多いよ、だけど今度の福井は別格だよ」
「まあ、ゴーロク(昭和56年豪雪)以来だな」
「お日待(毎年恒例の祈祷法要)どうしよう」
「3月に延期だな、どうしようもない」
「そうかあ。初めての事態だなあ」
「ほんとだあ、まさかこんなに降るなんて」
ようやく雪が降り止み、電車が走り始め、主な道路の雪がなんとか取り除かれて、家に閉じ込められていた人々が徐々に動き出したころ、96歳のおばあさんが静かに亡くなりました。
私が住職になりたてのころから、「いい方丈さんでありがたい、ありがたい」と言って、未熟な若僧をかばってくれたおばあさんです。
東京で知らせを受け、すぐにその家にかけつけると、枕元に集まった親族は口々に
「我慢強くて、人に気配りする人だったから。雪が止むのを待ってたんだねえ」
ほんとうにそうだな、と思いました。
寺の除雪は、檀家さんがしてくれました。
10年くらい前の大雪の時と違い、集落の若者は少なくなり、大屋根に上って除雪できる技術を持つ壮青年世代は、ほんのわずかです。
帰ってみると、下屋(母屋から差し出された屋根)の雪がきれいに落とされ、人の通れる道が2本できていました。
翌日、おばあさんの葬儀の朝は、北陸の冬にはめずらしい、あざやかな青空でした。
「えらいことになっちゃって。いま、どのくらいです? 雪は」
「いや、ほんとにえらいことだよ、方丈さん。朝起きたら、もう外に出られない。1メートルくらいある」
「今日、帰るつもりなんだけど・・・」
「ムリ、ムリ、電車も車も飛行機も、全部ダメ」
「そうなんだよ、新幹線はともかく、在来線全部運休になってる」
「方丈さんも、あきらめな」
「でも・・・寺が・・・」
「大丈夫、雪がひと段落したら、お寺の方も雪かきしておくから」
「すまんねえ。この大変なときに住職いないなんて」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。青森の方は? 恐山は?」
「やっぱり多いよ、だけど今度の福井は別格だよ」
「まあ、ゴーロク(昭和56年豪雪)以来だな」
「お日待(毎年恒例の祈祷法要)どうしよう」
「3月に延期だな、どうしようもない」
「そうかあ。初めての事態だなあ」
「ほんとだあ、まさかこんなに降るなんて」
ようやく雪が降り止み、電車が走り始め、主な道路の雪がなんとか取り除かれて、家に閉じ込められていた人々が徐々に動き出したころ、96歳のおばあさんが静かに亡くなりました。
私が住職になりたてのころから、「いい方丈さんでありがたい、ありがたい」と言って、未熟な若僧をかばってくれたおばあさんです。
東京で知らせを受け、すぐにその家にかけつけると、枕元に集まった親族は口々に
「我慢強くて、人に気配りする人だったから。雪が止むのを待ってたんだねえ」
ほんとうにそうだな、と思いました。
寺の除雪は、檀家さんがしてくれました。
10年くらい前の大雪の時と違い、集落の若者は少なくなり、大屋根に上って除雪できる技術を持つ壮青年世代は、ほんのわずかです。
帰ってみると、下屋(母屋から差し出された屋根)の雪がきれいに落とされ、人の通れる道が2本できていました。
翌日、おばあさんの葬儀の朝は、北陸の冬にはめずらしい、あざやかな青空でした。
合掌
世間では、俳優の大杉漣さんの訃報に続き左とん平さん。。
仏教に関連すると、西遊記での猪八戒役を演じられていましたね。
生きていればですが、これから更に訃報を目にすることになるんでしょいね。
ご住職と檀家の方々の心温まるやりとり
100年近い歳月を生き抜いて亡くなられたおばあさん
最後は青く澄んだ空・・・
読んで、色んなことを思わされました。
人と人の心が通った営みは、尊いのだなあ。
因みにその医者、精神科医です。
もし精神が病んだとしても、死んでもソイツに受診するものか、という話でした。。
お婆さんも幸せ者でしたね😌
合掌🙏
20年前に亡くした祖母と同年代の方で、感慨深く思い出してしまいます。。
福井の豪雪は、映像から見ても凄まじかったですね。
トラックドライバーの中には、何泊も車中泊が続いた方もいらっしゃったようですが、暑さもですが寒さも大変だったでしょうね。
冠婚葬祭、節目ごとに顔馴染みが揃います、同窓の結、親族の結、様々です。
震災ボランティアで被災地に伺うと、都会と田舎の結びつき(付き合いの深さ)の違いを感じることがままあります。
敗戦後の政権政策で大家族世帯が家族単位や個人単位の暮らし方に変更され大量消費
大量生産の受け皿となった私たちの今があります。隣は何する人ぞ・・との風潮を感じます。
昔がどうだ今がこうだではなく 人はケアしあいながら暮らすのが普通だと思い幸せだと、お寺を支える暮らしを残したいものです。