恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

「遠さ」の功徳

2017年02月20日 | 日記
 私と同世代のある男性は、サラリーマンをしながら、目の不自由な父親とずっと暮らしてきました。彼は一人っ子で、母親は8年前になくなり、転居を繰り返した父親には、いわゆる親戚付き合いがほとんどなく、結果的にこの二人世帯は孤立に近い状態だったと思われます。

 数年前からは、認知障害とまでは言わなくても、父親の記憶や判断には曖昧さが目立つようになり、90歳を過ぎた最近では耳がほとんど聴こえない状態だそうです。

 しかも、おそらくは現在よりもずっと露骨できびしかったであろう、若いころの視覚障碍者への差別的扱いのせいか、他人に対する深い猜疑心が身についてしまって、息子である彼の世話しか受け付けないのだそうです。施設入所とまではいかなくても、デイサービスや自宅でのケアなど、公的その他の様々な介護サービスを部分的にでも利用したいと思っても、彼らをまったく受け付けず、「他人の世話にはならない!」「息子が親の面倒を見るのは当たり前だ!」の一点張りだそうです。

 耳の聴こえが悪くなってからは、意志の疎通がいっそう難しくなり、会社に出勤しているとき以外はほとんどつきっきりでいないと、父親は感情が不安定になり、まだ立って歩けるだけに、いつ何をするかわからない怖さがあると、彼は言いました。

「頑張ったんですが、もう限界です。そんなことを思ってはいけないんですが、死んでほしいと思うときも。最近は怖くてニュースが見られません。介護がらみの殺人事件が報じられると、自分もしてしまいそうで」

「限界も限界、その状態、もう危険ですよ。殺人などはともかく、あなたが倒れたら父上もアウト、共倒れでしょう」

「職場でも顔つきが変わってきていると言われてます。持病も悪化してきましたし」

 そう言いながら、彼は父親の死を非常に怖れていました。両親から十分な愛情を注がれて育ち、ずっと独身の彼には、いまや唯一の身内である父親は単に大切なだけではなく、矛盾するようですが、この苦しい生活の支えでもあるのです。ですから、私が「もう限界」だと言っても

「でも、父親がどうしても嫌がることを無理強いするのは、あまりに可哀そうで」

 すでに自治体の福祉関係の人や父親の主治医なども、二人の苦境を心配して、何度も足を運びサービスを受けるように説得しているようなのですが、状況は好転していません。

 話を聞き終えて、私は問題が父親である以上に、「可哀そうで」と言う彼にあると考えました。今や彼は濃密な父親との関係に支配されて、窒息寸前なのです。私は断言しました。

「ダメです。可哀そうでも、第三者を入れなさい。デイサービスなど利用して、あなた自身が一人になれる時間を必ず作るべきです。それができなければ、早晩お二人は共倒れです」

「わかっているんですが・・・」

「それだけではダメです。父親には自分の苦しさをもう一度正直に話して、了解されなくても物理的にデイサービスの場所に連れていくべきです。そして、移動先の世話を受け入れなくても、職員に事情を話して、半日くらいは滞在させてもらうのです」

「やはり、そうすべきでしょうか」

「どうしても必要です。これは、何より父上のためです。父上に深い愛情を持つ貴方が、その愛情のとおりに暖かく父上に接するには、休息の時間が是非とも必要です。父上が平穏な最期を迎えるためには、それこそ貴方が今しなければならないことなのです」

 おそらく、私が言ったようなことは、彼自身が十分承知で、周囲からは何度も助言されたことでしょう。しかし、自分自身の考えや、あまりに近い関係の人からの助言、あるいは助言して当たり前の人からの意見は、往々にして有効ではありません。

 そのような人がそういうことを言うのは、立場上(つまり、利害関係や役割関係において)当然のことで、自分たちの「特殊な事情」を考慮した上での「客観的」意見には聞こえないからです。
 
 私のような「見ず知らず」の言い分が時として効くのは、関係が「遠い」からです。その「遠さ」が、自分の置かれた「特殊な事情」の困難を「客観的」に彼に認識させる機会となるのでしょう。生きていると、「親身」ではないアドバイスが役に立つときもあるのです。

 以後、彼は近況の連絡をしてくれます。


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65 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (浅野)
2017-05-21 08:02:49
新しい職場になり(事務職)、不安視していた早朝覚醒が連日続きました。
元々、対人や仕事への、不安や心配は強い方で、ストレス耐性の免疫も低いと感じています。
皆さんの、そのような経験の対策、対処法などがあればお聞きしたいです。
よろしくお願いします。
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Unknown (浅野)
2017-05-20 16:17:23
原因として、依存度や承認欲求も強いためか、とも感じたりしています。
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Unknown (浅野)
2017-05-20 16:01:47
新しい職場になり(事務職)、不安視していた早朝覚醒が連日続きました。
元々、対人や仕事への、不安や心配は強い方で、ストレス耐性の免疫も低いと感じています。
皆さんの、そのような経験の対策、対処法などがあればお聞きしたいです。
よろしくお願いします。
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「ファミリー」同じ信仰を持つものたち (テル)
2017-03-29 16:35:09
ユタ州の拡大し続けるミドルクラスと政治と文化。
モルモン教会がリーダーシップをとり、結婚の継続、二人親家庭、ボランティアへの参加を推奨することで、地域コミュニティを作り貧困問題を解決してきた話

ユタ州はモルモン教徒が多く、70年代まで白人のみで運営されてきた教会。過去レイシストであったことで、文化的多様性が非常に小さい事が、コミュニティ内の信頼関係を強化。それが小さな州政府の政治や官僚制度の機能を支えていると。貧困の連鎖の防止は支援金でなく自立の方法を教えることだと。
https://www.bloomberg.com/view/articles/2017-03-28/how-utah-keeps-the-american-dream-alive
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Unknown (浅野)
2017-03-20 16:25:28
僕はもう南さんの言葉を夢中に読むことはなくなりましたが、まさか、オウム真理教問題の延長線上に自分がいる、とはある種、社会性を持ち始めてきたリアルな感情だと感じています(物語設定)。
当時は、小学生でしたが、不潔で気色悪い人物くらいにしか思いませんでしたが、高学歴の人間を洗脳し取り込んでいたとは。
それを想うと、自分が信じられる、使える仏教を知ることができたのは、僥倖です。
昨今は、SNSの普及などによって、新興宗教の信徒数は減ってきてるようです(真如苑はそうでもないよう)。
しかし、イスラム国のようなテロ集団を見ると、世界で似たような、つまり、自分が何者か、存在価値、承認・所属欲求、生きる意味などの欲望の対処、処置に困難や苦しみを抱えるひとがいると思います。
青臭い話を、僕は、過去のこと、早く忘れ去っていい感情、大人は日々の生活が大事、のようなものに埋没していくような感覚が出てきましたが、忘れるべきではないように感じています。
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Unknown (Unknown)
2017-02-28 17:25:27
御母堂の苦労も並大抵ではなかっただろう
愛は歪に広がり、生い茂る樹木のようだな
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母とトラブルを抱えて (blog)
2017-02-27 11:30:55
2017-02-20

姉が新興宗教に出家したとき、彼女を助けてくれる人は誰もいなかった

新興宗教へ出家した姉の話をしようと思う。

私が生まれたとき、姉は中学生だった。母は早期に離婚し、私の父と再婚した。だから姉と私では父親が違う。
http://toianna.hatenablog.com/entry/2017/02/20/173000
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お詫び 正しくは「10人近く」 (イエスちゃん)
2017-02-27 07:58:06
済みません。

『当時、毎月、早朝の坐禅会があった。
0人近く集まっていた』

正しくは、「10人近く」です。

坐禅が終わると、皆は、和尚さんの方丈に移動し、
和尚さんの入れた「熱いお茶」を飲みながら、「甘い生菓子」を頂きながら、しばし四方山話を、(私は)伺っていたものです。
(冬は、坐禅中、ガラス障子越しに、庭先に深く雪が積もっているのが見え、寒かったので、熱いお茶には生き返った心地がしたものです)


そうそう、良寛禅師の詩から
「頑愚・信・無比 がんぐ・しん・むひ」
「(自分の)頑愚は、まことに、無比」
の大きな額が 掛かっており、

この三十三世の和尚の生き方そのものでした。
独身だったので、三十四世は、弟が継ぎました。
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Unknown (Unknown)
2017-02-27 06:29:26
「遠さの功徳」の話として
その親子のストーリーの描かれ方は適当なのか、みたいな事じゃないの?
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Unknown (Unknown)
2017-02-26 23:34:06
みんな偏った人ばかりだけれども、自分もそうならないとこの社会では生きていけない。

中道を心がけて何者かにならないと。
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Unknown (Unknown)
2017-02-26 22:27:35
距離とはなんだろう。
当事者と距離のある利害関係のない第3者の意見は客観的だというのだろうか。
第3者目線であれば必ず公正中立で客観的なのだろうか。
専門的であれば必ず正確で有効なのだろうか。
その分野に明るいだけの偏りのある専門バカの可能性もある。
専門家であるほど斬新で画期的意見は生まれないのかもしれない。
意見が複数あって割れた場合どれが正当性をもつとみなすのだろう。
いずれにしても考え方が偏っていれば公正中立的意見とは程遠い。
そもそも偏っていない人間などいるのだろうか。
利害関係から離れた立場ほど正確で客観的と決めつけることもやはり偏った見方かもしれない。
意見を受容する過程は当事者と距離よりこの決めつけ、先入観による影響大。

主治医が身近である必要があるように距離が遠ければいいわけでもない。
やはり当事者の性格、嗜好をよく理解した人は身近な人だ。
しかし身近であればあるほど感情が揺れ動き決断に迷うジレンマがある。
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Unknown (Unknown)
2017-02-26 21:15:47
プライドも権威も関係ないな。
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Unknown (Unknown)
2017-02-26 20:56:11
本人自身は気付いていた。
「頑張ったんですがもう限界です」とも言った。
しかし老親を施設に入れられなかったのは
「愛情」からか?
あるいは自分のプライドからだったんだろうか?

老師の権威と承認が後押しして呉れて居なかったら、
この息子は老親に対する、愛憎と憐憫と罪悪感のはざまにあって、親を殺して自分も死ぬ道を選んだのではないか。
それは自分のプライドが死を選択させるものなのであろう。

其のプライドを捨て去る為に南師の権威
が必要だったと思える。
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Unknown (Unknown)
2017-02-26 16:29:53
南さんは印可証明は受けられたのかな?
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Unknown (ZIP)
2017-02-26 14:53:18
ものごとを正確に捉えるには距離が必要である。天体を顕微鏡で見ても、微生物を望遠鏡で見ても、何も見えはしない。
見るための適正な距離と、見るための道具を間違えないことである。
「老い」とは見えなくなる過程でもある見るための道具の選択を間違えたり、
道具の手入れを怠りもする。
そう言う意味では、承認欲求は中高齢者に多い。孤独や寂しさ、辛さや苦しさからの、逃れ難い背景が見えてくるのである。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-26 13:21:21
>0人近く集まっていた。
意味深い言葉ですな。
天然無果汁100%使用みたいな。
すべて空、零をいいたかったんですね。
わかります。
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「遠い」関係が、もう遠くて関係がなくなった現在 (イエスちゃん)
2017-02-26 13:02:00
『「見ず知らず」の言い分が時として効くのは、関係が「遠い」から』

郷里にお墓があるのですが、その住職には「関係が遠い」。第三十五世である。
昔関係があったのが、第三十三世は、立派で、無欲で、独身であり、
近くの有名な寺の僧堂の坐禅の指導者でもあったと聞く。当時、毎月、早朝の坐禅会があった。0人近く集まっていた。終わりに「普勧坐禅儀」を唱和して座を離れた。
(横浜に就職する時に、餞別として「正法眼蔵」を下さった。わざわざ京都から僧侶用を取り寄せて。)

しかし、今は、坐禅会が開かれていない。
関係の場が、一つなくなった。

『でも、父親が「どうしても嫌がる」ことを無理強いするのは、あまりに可哀そうで』

主治医から、母が「アルツファイマー症で一人暮らしは無理である」と診断され、
(目の前で医者が言ったのを、母は直ぐに忘れたが)
母が「自分一人で暮らせる」と言い張り「どうしても嫌がる」のを、半年かかってようやく、私の身近な「24時間介護の施設」の個室に移ってもらった。

こちらで胃癌で亡くなり、こちらで火葬にし、こちらで葬式を出した(母の親戚は関東の方が多いから)。

故郷のお墓に納めようとしたら、もう一度葬式をしなければならないという。
関係がますます遠くになった感じがした。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-26 03:19:21
「遠さの功徳」の意味は、未来を予測する判断力が優れていた、という言い換えが出来る。

当人は薄々わかっていても他の諸要因にマナコが曇って「而今」上で「経歴(きょうらく)」をズルズル引きずる。

遠さの功徳とは「過去・現在・未来」を見通せる事だ。其処からはっきりした計画性が生れる。

遠さ=客観性
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Unknown (Unknown)
2017-02-25 18:37:40
問題を矮小化しているっていうか…

いいねの数で記事の真意を読み解く人の話でいくと
分母は南さんの1000で分子は自分の60で
他に数字があるかもって気はしてないみたいだから(あ、250×0.6だか0.4だかもあったっけ?)
「矮小化」じゃないんだと思うよ。
それで全部。

「科学的」もさぁ、やばくない?
原子力ムラの御用学者がーとか、よく聞いたけどね。

ナントカ村の住民やってると、わからなくなる事ってたくさんあるんだと思う。
科学でも宗教でも政治でも行政でも経済でもナントカ会社のナントカ部でもなんでも。
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Unknown (Unknown)
2017-02-25 09:58:44
>私的利益、脱税
脱税ではなかった。訂正。税金回避、経費削減目的といったほうが適切か

人間なにかを信じなければ生きられない。
なにを重要とするのかその尺度も様々だ。
価値観の多様化聞こえはいいがこっちをとればあっちがなくなるシーソーのようだ。これを是とすれば対立するものが非となってしまう。

真理とはなにか?事実、現実とはなにか?なぜ人間はこのように生きてきたのか?明らかにされるべき問いが解決されぬまま横たわっている。

南氏への個人的攻撃と捉え問題を矮小化するのではなく宗教に対する蔓延した不信感に注目すべきではないかと考えるのだが。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 09:34:53
坊さんが否定的、批判的に認知されることは南氏個人の問題ではなく根深い問題と考える。
科学的という言葉が信ずるに足る印象を与えるのに対し宗教という言葉にそれがあるか。ない。
事実に基づき検証、反証という試練を経て理論化される科学は絶大なる効果がある。生活に利便を提供し現実問題を様々に解決してきたが核問題、戦争の道具として害も増幅した。
いまや核は諸刃の剣で外交において暗黙の圧力を与える脅しの手段になった。

宗教も絶大な力を持っているはずだが今の日本ではどういう印象を受けるか。
霊感商法、現実問題と乖離したにわかに信じられない教義、検証しようがない要素など負と思われる側面が多すぎる。
無欲であることが賛美され推奨されるが組織宗教内部は利害関係で動いているような印象を受ける。
利害から離れることを是としながら利害の衝突の場である政治に介入する。
差別、対立を超えることを目指すはずの日本仏教は宗派間で対立がある。
本来の教えが放置され葬式仏教と揶揄される現状だ。
宗教法人は公益法人のように公なる利益のために動くはずだが私的利益、脱税の手段として使われるケースがおおい。
オウム真理教が引き起こした悲劇をどのように解釈し今後予防へつなげるのか。
なんの提示もできていない。
形而上学を忌避する南氏はなんの事実根拠を示せないイタコの巣窟にいる。
なんという矛盾だろう。
これで信仰が生まれるはずもない。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 09:23:13
設計上いいね!しかボタンがないのが問題だ。
顔本って連鎖商取引のような要素がおおくビジネス利用を前提に設計されている。
設計する側も広告収入当てにしている。
連鎖が連鎖を生む仕掛けでアクセスを稼ぐ。
口コミ商法の発展版だ。
ビジネスでない要素は個人の趣味の幸せアピール自慰行為みたいなゴミでしかない。
そんなゴミのようないいね数で承認欲求を満たしてもゴミはゴミ。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 09:00:59
ハスノハナさん

もっと率直に素直に意見したらどうですか?

文章分かりづらいですよ。ちぐはぐで。

無理に丁寧に知的に振る舞おうとしてるの他人はすぐわかりますよ。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 08:54:26
いいね👍をそこまで重視するなんて この一事が万事 蓮の花さんの人となりをあらわしてますね
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 07:54:09
多数派と少数派では多数派が「正しい」
ですか?

全然わからん
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 07:12:17
批判よりいいねのほうがぜんぜん多いんだから批判するな、とかですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 07:06:20
そうですね。
答えとしてはおっしゃってることはよくわかりません。
誤解を招いた、って、どう誤解されたと思ったんだろうなあ?とか。
ごく些細なことからしてわからなかった。
虫でも批判でもなく誤解?そうなんだー。…なんなんだろう?

私には「いいね」の数がどのくらいならどうだっていう感覚が「ない」。
ないからわからないことは前提です。
それは説明されてもわかりません。
60と1000でどのくらいの違いを感じるかの感覚がないので説明されてもわからない。

数の問題でいくなら、日本語がわかってSNSやってて「いいね」やってる人、「いいね」の価値を共有してる人って何人ぐらいいるんだろう?
その人数と60とか250とか1000とかの反応ってどのぐらいの関係になるんだろう?
あの頃、ポケモンGOの話題はデカかった。今の、トランプw並み?
話題がデカイとその話に参加する人数も増えるよなあ、たぶん。
あの増刊号のコメント欄には、たぶん普段はジャンル違いのところにいるだろうなと思われる人もいたし。
という感じになります。自分が得ている「いいね」の数っていう基準が「ない」ので。

もし、南さんが、自分が得ている「いいね」の数で自分の正しさをはかっているとしたら。
南さんはずーーーーーーっと昔から1000なんかはるかに超える「いいね」を得ているでしょ。本とか講演とか。
今回の記事みたいな対面の関係でもらってる「いいね」だって1000越えしてるんじゃないですかね。
それに比べれば100や200の有象無象のNGコメントなんて、ねえ?
みたいなことを考えます。

あー、記事の真意を測る尺度に「いいね」の数をもってくるっていうのが、わりと大きく疑問だったりするかな。
真意を「いいね」で測るって、何?
それは「多数決」でもないのか。(多数決「ですら」ないのか、っていうか)
真意って、何?

批判されても動じない南さんは器がデカイ、ってこと?
だとしたら、それ「記事の真意」なの?
返信する
返事 (hasunohana1966)
2017-02-25 06:02:47
unknownさんへ
私の所見にすぎないコメを受けて頂きありがとうございました。
無視や批判されるよりずっとマシですが....

『いいね』の数値の意味は
あくまでもそれをゲットしようと思ったことが無い方でしたらその数値の価値が恐らく分からないだろうと思います。

私の事例からいうと、例えば私が結婚しましたという題でFacebookに投稿したら(私の人生での最大のイベント)『いいね』は30前後で、私のブログ(真剣度90%以上)でも最高記録が60前後なので、私個人の感覚尺度では千以上のいいねは夢のまた夢で取得不可能な数値なのです。

ポケモンGoの話題の関連性やこのブログ内でのトップ5~10のいいね記録も私は分からないまま書いたので誤解を招いてしまったようですね。

言いたかったのは、終わり部分でいった記事の真意を測る尺度の一つとしていいねの数値を比較検討したことです。
あくまでも私の所見ですし、コメントを内容を把握していく上での個人的な見解にすぎません。
ただ私もブログを書いているから、もしも私の記事にここで書かれるような批判的なコメントがあったら私には受け付けなく立ち上がれなくなるだろうと思ったこともあり、それらを消さずに残しているこのブログ主の心の器に感服して書いた訳です。
昨日の時点では、あわせて読むコナーにその題が上がっていたので読んでみただけです。
質問に答えていないかもしれませんが、
応える範囲内では最善を尽くしましたので了解ください。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 04:00:43
ポケモンGOに関する何か、ってなんかよくわかんないね。
なんだ、その「1000越えのいいね」のテンションって今どうなってるの?っていう方がいいかな?
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 03:51:59
「告知と批判」て、ポケモンゲームの話でよかった?
1000越えの「いいね」(その価値は私にはわからないんだけど)と、
現在(2017/02/25)のあなたの知るポケモンGOに関する何か(周囲?世間?のポケモンGOとの関わり方とか?)って
連続してる? 
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 03:43:17
あ、教えてくれる?

ここの記事で「告知と批判」の次に「いいね」が多かったのは、何で何票だったの?
トップ5とかトップ10とか教えてくれる?
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 03:28:04
告知と批判?

SNSをやらないのでいいねの数がどんなものかわからないけど

多数決かよ
返信する
所見 (hasunohana1966)
2017-02-25 02:33:07
今回のブログ主の記事に関連して
介護や福祉の現場の声らしきコメントがあった。
私が使用した言葉の『権威』についても指摘されたことから、無視を貫くことが苦しくなったため所見を加えることにする。

昨日このブログ内で、2016年7月25日の『番外:故知と批判』を読んだ。
何故なら、いいね記録が1,107という魔性があったからだ。
ブログやFacebookをやっている人ならば、いいねの千を超える数値はある種、夢である。
私の全人生をかけても絶対得られない数値でもある。
その数値に魅かれて247のコメントを全部読んだ。

だが、読んで心が沈んで暗くなった。
罵倒、批判、判定、冷やかし、潰しのような否定から始まるコメントが知識をまとい書かれていたからだ。
肯定や同意は冷笑コメの攻撃を受け、受け継ぐコメ者がいなかった。

それらのコメの種類だけ取り上げてみると、このブログ主は人気を狙ってわざと書いたかのように見える。
今回の記事も仮想だと仮定している人もいて記事を書いた本人の真意を捻じ曲げるような悪意に似た感じのコメもある。
お坊さんの仕事を見下し嘲笑うコメも消されずに残っている。

しかし、247の6割が悪評だとしても
1,107の『いいね』の多数の意見に比べられないのは明らかだ。
247のコメントの性質に対する1,107のいいねの数は、真意をついている。
今回の記事の真意や効用についても
その当事者当の本人と介護を受けた彼の身内が適切なアドバイスに導かれて生きることにつながった。
それが真っ当で全うであろう。


返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 00:53:28
傲慢じゃなけりゃなんだ

身近の専門の方々と 介護福祉に関しては門外漢のしかも見ず知らずの南直哉さんの言ってることは結局同じことじゃないか

傲慢じゃなけりゃなんだ
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 00:45:58
遠い人間の言うことは聞けて 近くの親身になってくれる人間の言うことは聞けないなんて傲慢だね

結局 全部その人が招いた事だよ
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-25 00:31:03
坊主は坊主だよ 以上でも以下でもない

必要以上に持ち上げるのはどうかな
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-24 23:09:02
>そして、この記事が想定問答だとしたら
「南さん、大丈夫?」

これはどのように解したらよいのでしょうか?

私は、今回の記事に対して、僧侶の立場でありながらも、娑婆の凡夫に目線を合わせて問題を考えて下さって、どこまでも実存でおられることが南師の特徴であるなと。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-24 21:07:36
あれ?
承認欲求が強いというのは~っていう質問は、
今回の記事とは直接関係はないんだけどね。質問者的には。

そして、この記事が想定問答だとしたら
「南さん、大丈夫?」っていうべきかなあ…とか。

基本的に、お坊さんには余計なことはしゃべらないようにしている。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-24 17:39:43
そうね。
世俗的な行き詰まりにしても、
和尚さんだって、行き詰まったことがあって、仏道を選ばれたことを思えば、切り替えていかないといけないことは、沢山あると思う。
返信する
Unknown (アース)
2017-02-24 17:31:35
地球に似たものが7個!?

39光年先、遠過ぎます。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-23 17:24:23
仮想問答でないとすれば、特定性など和尚さんの適切な配慮に信頼があるにしても、まだ昔のことになっていないことの掲載承諾までされているのは、ご本人は人間関係に依存する傾向のある方かという印象と危惧を感じました。

いい方向に向かうように願っております。

仮想問答だとしたら、受け取り方は人それぞれですが、権威とは関係0な意味で、行き詰まった時和尚さん個人がうかぶのはわかる気がしますし、和尚さんの返しには理論の切れと似て非なるすごさを感じます。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-23 07:05:37
結局、魅力を感じたんじゃない?
で、説得力かな。

道元禅師も、わざわざ中国にまで行ったのは、確かめたかったからでしょ。

何か確約のようなものを得られないと、前に進めないって状態かな。
返信する
承認欲求バンザイ説 (Unknown)
2017-02-23 03:29:04
承認欲求という説に一票!!

大体南さんだって、生きていて良いのだという承認欲求の為に仏門のお墨付きを得た訳だし・・・、

大本の釈迦だって、生きていて良いのだというお墨付きを得る為の承認欲求から「梵天三請」という話が造られたのだし・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-23 02:25:06
南直哉ではない他の誰かで相談相手として適当だと思われる人がいなかった、んでしょ。
2人の世界にはまり込んじゃってるだけになおさら。

権威、というか…権威だとするとどういう権威なんだろう?
一家言持つ、みたいな感じはあるけど(でも、何に?)、権威なの?

お坊さんとしては有名というか、露出が多いというか。著作も多くあるし。
だから遠くからでも見えるというか。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-22 22:58:24
相談の形をとった依頼もあるな。そういえば。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-22 22:53:04
相談には2種ある。
本当に迷ったときの相談。
腹ではほぼ決まっているが背中を押してほしいだけ不安を解消し決断を促すための相談。

圧倒的に後者が優勢。
第3者の距離云々よりもまずは相談者の腹次第。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-22 22:25:34
南直哉さんに相談するあたり やっぱりなにがしかの権威を求めてるんじゃないの?

別に他の人でもいいわけだし
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-22 22:17:12
お坊さんにも介護させてみよう
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-22 22:09:18
>承認欲求が強い
自分の功績、足跡を残そうとする人は他人の記憶に自己存在を残そうとしている。

我が存在を死によって忘れられる恐怖がある。
消える恐怖を残存するものに託す。
文化芸術で作品を世に出す理由もこのような意図が少なからずあるだろう。
歴史に名を残す=自己存在の証明。

子孫を残すという運動もいわば自己存在の分身を継承、保存するわけで同じ意図が隠されていると思われる。
そう考えれば承認欲求の一形態。
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Unknown (りっぷく)
2017-02-22 20:32:55
「権威」でも「坊さん」でもない。 タイトルどおり「遠さ」が功を奏したのであって。

その「遠さ」を担保するのが、お坊さんという立場(権威ではない。)ではあったかもしれないが。

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Unknown (Unknown)
2017-02-22 18:28:42
承認欲求が強いっていうのは
劣等感とか何か欠落感みたいなものを抱えてるから?
そうとも限らないの?
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Unknown (Unknown)
2017-02-22 18:15:05
なんだそりゃw
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Unknown (Unknown)
2017-02-22 01:34:31
坊さんに介護のことはわからんだろう。

宗教で飯食ってる人間は畜生だわ 軽蔑されて然るべきだね。 腹立つんだよね本当に。
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Unknown (ZIP)
2017-02-21 20:44:46
医療の発展により誰もが長寿でいられる反面、それを支えることができる世の中にはなっていないという事実がある以上これらの「健康」や「長寿」といった権威を、なんの了解もなしに受容することは今後避けなければならない。
「健康」や「長寿」を目的にすることによって、日常の営みにおける「老い」という身体及び精神の変化、さらには世帯の構成員としての家族との関係を、無関心圏に追いやり、考える対象から除外してしまったことは、「老い」に対する個人の意味判断、意思決定を「長寿」という目的に投棄したと考えてさしつかえないであろう。
了解なしに生まれてしまった身においてこれ以上生きない方が良いかもしれないと思える現実に直面した場合「死ねる」ということだけは唯一了解可能な選択である。
しかし「生きる」ことを決めたならば、
この世界を「生きていない方が良い」と思える現状を否定できなければその決定の意味はない。
家族との関係は条件付きではない。
付加された条件を背負うことが、家族の本質である。
この世界にあって、この世界に存在しないという視点に立たないと、生きることは決められない。
この世界にあって、この世界に存在しないという視点に立たないと、生きることの意味は見出せない。
生からも、権威からも、遠く隔った処からでないとわからないのである。
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Unknown (Unknown)
2017-02-21 12:15:44
関係が遠いからではなく 坊主だからではないですか? なんたって院代(住職代理)ですもの。権威ありますわな。
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権威 (hasunohana1966)
2017-02-21 06:15:16
人は善悪の判断を下す際に
その責任の行先を先ず、計算する。

自分への善が相手への悪になる可能性がある場合、善良な人は自分の善を選ばない。
悪人は自分への善のみを選び、相手を悪人に仕立てることにより、自分を正当化する。
それらの善悪の判断を下す際に生じる人間の悩みこそ人間性の本質であろう。

自分の手を悪で汚したくない人は
権威を持つ人に
判断をゆだねる。
確かな権力を見極める人は
その委ねられた委託を活かし
3者にとって最善の道を開ける。
今回の記事は権威で人を救えた事例かもしれない。
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Unknown (Unknown)
2017-02-21 01:38:15
人は言葉を受け取ると同時に、その人の背景も感じ取っているのではないでしょうか。
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Unknown (南京ハゼ)
2017-02-20 18:04:31
親として子として機微を巡らせる手の平の温もりが伝わるようです。経験などから醇化されることの表し易さの様々の場合を思う流れから祖父母の言葉が鮮明に浮かんだり致しました。本を読んだり訪れた場の空気感に語りかけられるかのような響きを感じることがあります。葉擦れの音に友への想いを共鳴させるような古の詩を読みその真摯な実のある在りように桃花の綻ぶような清々しさを覚えるようでした。気温の変化が大きな折、どうぞ御自愛下さいますよう心よりお祈り申し上げます。
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Unknown (Unknown)
2017-02-20 17:15:44
身に染みます。よい話をありがとうございました!
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Unknown (Unknown)
2017-02-20 14:44:21
身内ですと、感情の方が先立ち、冷静かつ的確なアドバイスもできないのが、実状でもあるのでしょうね。
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Unknown (尿漏れパット)
2017-02-20 14:37:05
その男性は、和尚様の後押し、ダメ出しが、欲しかったのかもしれませんね。
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Unknown (介護士2年め)
2017-02-20 13:43:44
読んでて泣けてきた。何年も前からネットと本でしか知らない、遠い和尚さんのアドバイスは、俺にも刺さっててますよいつもありがとうございます!
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Unknown (senrigan)
2017-02-20 09:39:00
 切実な問題です。重く辛い話です。個人的な話で恐縮ですが、私の妹は重度の心身障害者です。還暦を過ぎ身体的な衰えが進んでいます。恐らく長年の治療薬の服用の所為かと思います。 長年老いた両親が自宅で面倒を見ていました。癲癇の発作が頻発し家中長年に亘り大変な状況が続きました。それも当たり前になるとそれが日常になってしまい普通の家庭の方から見れば異常な状況なのに慣れてしまいました。私はこの状況を何とか改善したいと思ってましたが、両親の考えは娘を施設に入れる事など可哀想で考えたこともないし世間的にも体裁が悪いと考えていたようです。しかしこの状況は
両親にとっても本人にとってもまずいと私は思っていました。共倒れの不安です。 その後両親が亡くなり家庭の事情で私が一人で対処せざるを得ない状況になりました。
 私は四人家族で到底妹を面倒見れる状況では有りませんでした。可哀想、切ない思いは当然ありましたが
心を鬼にして、施設に入ってもらいました。本人は長年自宅で両親と生活をしていたので施設に入ることには強硬に抵抗しました。約一ヶ月説得にかかりました。今では一乃至二カ月に一度の割りで外泊をさせ、私にとっても本人にとってもよかったと思っています。 
 私の場合は妹ですが今後高齢化社会が進み日本国中で大変な状況があちこちで起きてゆくと思われます。これは社会問題であるだけでなく、個人問題でもあり宗教的救済はますます重要になると確信します。
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Unknown (ウグイス)
2017-02-20 09:21:30
失礼、思い切る→思い当たる、です。
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Unknown (ウグイス)
2017-02-20 09:20:10
思い切る節が、満載でした。
時に近い人は、自利で親身に聴こうなくなる現象ですね。
不信感を抱くより、遠い人の方が有効、でしょうね。
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