恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

恩人逝去

2017年03月01日 | 日記
 それなりの年月を経るうちに、若い人達を指導したり育成するような立場に何度か立ってみて、よく思うことは、人にはタイプが二つあるということです。

 タイプの一つは、放し飼いが似合うタイプです。指導者は守るべき大きな枠だけ示して、あとは本人の好きなようにやらせると、彼はそれこそ実力以上に頑張るわけです。

 もう一つは、リードをつけておくほうが伸びるタイプです。指導者は本人を身近に置き、本人は指導者の側近となり、上司が行動するのに支障がないよう配慮したり補佐しつつ、自分なりに経験を積み、多くを学んで実力をつけ、やがて大成していくタイプです。

 私は完全に前者の「放し飼い」タイプです。「任せるからお前の好きなようにやれ」と言われると非常に張り切り、任せてくれた人に恥をかかせてはいけないと、妙な忠誠心まで持つようになります。

 ただ、私の経験から、「任せるから好きなようにやれ」と言って、文字通り実行する指導者は非常に稀です。「任せる」とは、任せた相手の仕事の出来に自分が責任を持つということです。

 ところが、任せると言った指導者は往々にして、その責任を回避します。あるいは、責任をとることが嫌なのか、仕事の途中で「好きなように」させてくれず、つまらない介入をしてくるのです。結局、「任せる」には度量が必要だということです。

 「リード」型の場合は、上司の指示責任は誰の目にも明らかで、多くは部下も一蓮托生ですから、この「責任」問題はそれほど顕在化しません。

 これまで生きてきて、「放し飼い」型の私に、「君に任せるから好きなようにやれ」と言って、本当にその通り私に任せた人物は3人しかいません。父親と師匠と修行道場時代の上司です。

 父親は、私が出家すると言い出したとき、泣いて反対する母親を、「男一匹決めたことだ。柱に縛ってもおけんだろ」と説得してくれました。

 師匠は、道場で「好きなように」やっていた私を心配した人が、「いいかげん自粛させろ」と忠告してきたときに、「あいつにはあいつのやり方がある。黙ってやらせてやるのがオレの役目だ」と言ってくれたそうです。

 上司は、出会ったその日に開口一番、言いました。「直哉さん。私はこの道場のことをよく知りません。ですから、内部で行う仕事はすべて君に任せます。ただ、君の決定で行ったことは後日報告してください。私が責任をとるためです」

 何年か後、「どっちが上司かわかりませんな」と傍から言われると、「いいんだよ、お互い楽なんだから」と笑っていたそうです。

 上司は一昨日亡くなりました。これで私の「恩人」は3人とも、二度と会えない人となりました。私のように愚かな者は、もはや報いることができなくなって初めて、受けた恩の大きさをつくづく実感するのでしょう。

最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-03-01 06:44:24
以前こちらに書き込みさせていただきましたが、私も最近、恩人ともいえる上司、というか、ビジネスパートナーを亡くしました。本当に自由に、働かせてくれたビジネスでした。失って初めてその大きさを感じ、しばらく脱力感で何もする気にもならない程でした。
今は全く違う環境で、尊敬できる人と共に意味がある、と思える仕事に取り組めています。その仕事が出来ているのも、亡くなった上司と一緒に取り組んだ事業の経験があったからです。そろそろ、私自身も人を育てていけるようでありたい、と思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-01 06:45:54
気骨のある信頼関係で、支え合われていたのでしょうね。
自他に課せられた自他

お悔やみ申し上げます。

合掌
返信する
Unknown (南京ハゼ)
2017-03-01 07:46:47
想像すると胸の奥が縮むように感じます。見計らってくれているという要素は様々のまとわりぬきのいつかの自らの旅立ちの時に鮮明に想い起こされることのように思います。なにか間違ってしまったら謝ればいいと素直に想えるのは転げ回ってはむくっと立ち上がることの繰返しのひとつの歩みにかけがえない影を映しているからだと感じます。朝焼けのような慈しみの情景に歩みの尽くせなさというふうなことを思います。青空に春の気配もありますがまだ風もある折、どうぞ御自愛下さいますよう心よりお祈り申し上げます。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-01 12:20:40
お陰様でござーい
返信する
関係性 (Unknown)
2017-03-01 15:48:05
親が亡くなる前に、何かわからないことあれば、伯父夫妻に聞けばいいよ、と言われ聞いてみますと、半ば頼られてるように誇らし気な面持ちでしたが、そのうち恨まれたくないとか何かとか、要は責任を持ちたくないような態度で、情けない返答ばかりしやがるので、やはり間違っていた、と悟ったものでした。

どこか、損得勘定でしか動かない伯父を承知の上でしたので、支え合ってきたはずの兄妹を亡くしても、そう簡単に変わるはずもないですね。
再確認できた出来事を、ふと思い出してしまいました。
返信する
Unknown (木蓮)
2017-03-01 19:28:28
心よりお悔やみ申し上げます。
ご冥福をお祈りいたします。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-01 21:15:55
辛気臭い

おかしみが足りない

笑い飛ばせ
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-01 21:26:10
乾屎橛
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-02 01:07:18
「必ず必ず浄土でまた会えますよ」

曹洞宗にはこのような浄土宗系の教えは一切ないのですか?
返信する
Unknown (Unknown)
2017-03-02 03:54:19
わたしも前者なような気がします。今仕事の中で、社長にそこのところで不満があり、本人が不安症のせいか、気になり始めたらやたらと干渉してくるので、時折イラッとしてしまいます。わたしも被害者意識が強いせいか、まるで信頼されてないかのように思ってしまい、やる気が削がれます。わたしは今、配置換えの為、担当してる仕事を引き継がせるのに、後続の者に教えているのですが、その後続の者もわたしと似たようなタイプだと感じたので、ある程度基本を教えたら、あとは自分なりのやり方を見つけてやって下さいというスタンスで任せています。わからない事は訊いてきますし、自分なりに工夫して仕事を覚えていってるのですが、突然社長が、仕事の効率化を図るために、わたし以前のやり方を今更ながらにすすめてきたので、わたしも戸惑いましたが、下の者が特に、現場を知らないクセに勝手な事を言うなと、不満を抱いてしまい、正直困っております。わたしが社長に抱いていた不満がまさに「度量」であり、わたし自身も度量などないので、まったくもって自分を棚上げした意見ですけど、人の上に立つ時には、とても大事な要素だなとつくづく感じていた最中のこのブログでしたので、思わず書き込ませて頂きました。すみません
返信する