このところよく聞くようになった言葉に、「パワースポット」というものがあります。スピリチュアル・ブームからの派生品でしょうが、その土地に宿るとされる「霊力」めいたものが、人の運気を上げたり、願い事をかなえたりするという、「聖地」と称される場所のことだそうです。
私は大して気にもとめずにいたのですが、このブームに乗って、大いに参拝が増えたり、いきなり有名になる寺社仏閣があるらしく、それはそれで慶賀の至りです。ただ、我々には無縁な話だと思っていたのです。
ところが、最近、某大新聞のアンケート記事に、「パワースポットだと思うところはどこですか?」なる質問があり、なんと、伊勢神宮に次いで、恐山が堂々の(?)第2位になっていました。ビックリです。
これだけでもビックリなのに、ほぼ時を同じくして、受信料を徴収する某テレビ局のディレクターから電話がかかってきました。
彼いわく、今時の若者の宗教観や信仰に対する意識をテーマにした番組を企画しているのだが、昨今のパワースポットブームをどう思うか、あるいは恐山はパワースポットか、パワースポットだとすれば、どういう意味でそうなのか。
答えるのがバカバカしくなるような話でしたが、相手の真面目な口調に好感を持ったので、私は以下のようなことを言っておきました。
恐山が「パワースポット」だとするなら、それはパワーがあるからではなく、無いからです。ここには何か有り難いもの、超自然的なもの、人知に計りがたいものがあって、そこから力が発散しているわけではないでしょう。
そうではなくて、力も意味も何も無いがゆえの「霊場」だと思います。あえて言うなら、底を抜いた時に水が吸い込まれていくような、そういうマイナスの力の働く場所だと思います。
私たちの社会と生活は意味と秩序で出来上がっています。損得、利害、善悪、取引、競争、愛憎・・・、そうした意味と秩序の網目の中で暮らすのが、この「現世」というものです。そういう楽ではない毎日において、「元気をもらえる」ように、「癒される」ように、何か「ご利益」があるようにと、人々は「パワースポット」を求めるわけです。
しかし、「霊場」としての恐山の存在の仕方は、それとは異なると思います。いまや恐山は、「現世」を根底から脅かすもの、「元気」を断ち切るもの、「ご利益」を無に帰するもの、社会と生活から可能なら排除したいもの、つまり「死」が開放される場所なのです。
人間の生活においては、無益でときに有害かもしれなくても、その存在においては、決定的な力を持つ「死」。この日常の意味と秩序に収拾しがたいものを、意味と秩序の埒外の場に開放したとき、そこに「霊場」が現れるのです。
恐山に長く続く信仰の形は、ほとんど自然発生的に生まれたものです。教義や僧侶が誘導したり強制したようなものは、結果としてありません。ここに集まる人たちが生み出し、引き継いできたのです。
中に物が入った器には、それ以上の物は入りません。何も無いから、人は思いのままのものを、自由に入れられるのです。社会と日常に盛り込みがたい、しかし人間として生きることに是非とも必要な何かを受け容れて形になった場所こそ、「霊場恐山」だと、私は考えています。
追記:恐縮ですが、一身上の都合で、宣伝をさせていただきます。来る7月29日(木)午後7時より、新宿紀伊国屋ホールで、講演をいたします。テーマは恐山。興味がおありの方は、どうかご来場下さい。よろしくお願いいたします。
違った意味で伊勢神宮には、素晴らしく何もないです。おそらく、恐山もそうだと思います。
意思表現手段も何億年、何万年の歳月を経て、結果的に現在の音や形なっていますが、元は自然発生的に誕生しています。
コンピュータの世界とて、それに端を発しているように、リセットやフォーマットしてやり直しても元を断ち切れるものではありません。
つまり、釈尊がいうとおり「諸行無常と縁」
人間は、宇宙の実体をもてない一員ということですね。
なるほど霊山と呼ばれている富士や白山も同じかもしれません。
話しはそれるのですが、以前から多くの神社の御神体が鏡であることに面白味を感じていました。
投げる賽銭に参拝者のその時時の在り方が顕れ、同じ神社に参拝しても、参拝者のその時時の心しだいで、心に映る神さまも様々であろうことを思い、御神体が鏡であることが、参拝者に対して何かを問いかけているのではと思う今日この頃です。
ありがとうございました。
以前に流行った「風水ブーム」などとは意味合いが少し違うのではないかと、個人的にぼんやりと思っていました。
このブームは、人間の根源に繋がる問題なのでしょうか。
逆に言えば、現在はブームになるほど、多くの人が人間の根源が脅かされるような、抱えがたい思いを持ちながら生活していることになるのでしょうか・・・
マスコミなどは新たなネーミングを駆使した話題作りに長けてるから「パワースポット」に便乗したいのだろうね。ブームになってたわけですか。霊場は死のスピリットを味わえる貴重な場所。霊場を横文字で若者ウケするように名付けた。
僧侶の衣装は「パワーファッション」、法具は「パワーツール」とかわかり易い名前に言い換えてもいい。「パワースポット」に何を期待するか。人それぞれですよねえ。
ちょっと前のように海外のパワースポットでは無く、今まで欧米文化に押され、若い人からあまり注目されていなかった古くからの日本の文化が急激に再発見をされているような印象を覚えます。
釈尊や道元禅師の教えは「場」のパワーとは直接関連のあるものとは思いませんが、場所によって自分の気分や印象が変ることは実際によくあることですよね。きっと「場」がパワーを持つのではなく、様々な条件が「場」をつくるのだろう、感じています。
伝統的な日本の文化や感性が今まで意識していなかった人たちから解釈をされ、自然発生的に新たな「場」を創っていけばいいのにな、と期待してしまいます。
皆様静かに噛み締めるように銘々お参りされている姿を拝見し此処に亡き人方への、様々な思いを,苦しい悲しい,辛い思いを,この地にうずめに来ている様に見えました。この地は霊集まる場所では無く,生きる人の苦しい思いの集り、そしてそれを呑み込んでくれている有難いお山だと理解出来ました。
その思いは,地に飲み込まれ,硫黄となり地表に吹き出しているかの様でした。宇曽利湖畔の浄土と後ろに広がる地獄は境の無い一つ世界で有る事もまた真理のようでした。
昼過ぎお参りを終えて帰る車に乗り込むと,豪雨となり,お山のお地蔵様が,雨をこらえて下さっていたのが,ありがたく,忘れ得ないお参りになりました。
ありがとうございました
御礼まで
合掌
英真
でも、日本語にすると脱力かあ。
流行語、いいですね♪