医師・男性
「安らかな死、なんてのはないでしょうな。安らかそうに見える死はあるけど」
無職・女性
「死ぬ覚悟ができれば、欲は減るか無くなるかと思いましたが、違いました。欲の姿が変わるだけでした」
僧侶・男性
「90過ぎても、いつ死ぬのか見当がつかん。人を生かしておくには必要な無知だな」
無職・女性
「どれだけ長く生きたかより、どう生きたかが大切だと、よく言いますでしょ。でもね、そう言っても、誰だって大した生き方はしていませんでしょ」
無職・男性
「人はなぜ平気で眠れるのかね。平気で眠れるんだから、平気で死ねばいいのに」
生きながらに死ぬ覚悟が有るのか?
出家の威儀を守り、生涯に亘り女犯しないと誓えるのか?
厳格な戒律を守る事が出来るのか?
結婚なんて以ての外だぞ。
当世の諸宗の生臭坊主になるくらいなら、在家のままでいたほうが良い。」
と、立正佼成会の会員に言われました。
私は資本主義の世の中が嫌で、でも死ぬのが嫌だから、出家するのです。
間違っていますか?
だと思う。
あと前回書き忘れたのですが
自殺=他殺→何故殺生がいけないか?
に収斂されると思う。
殴打、罵声、大食い強制等の悪習が多い臨済宗さんよりも、極めて厳格な曹洞宗さんの修行の方が真っ当な気がします。
臨済宗さんでは禅センター等に入り長期修行させて頂ければ、出家させて頂けるのですが、曹洞宗さんでは、どのようにすれば出家させて頂けるのでしょうか?
よく、曹洞宗さんの末寺さんがホームページで出家希望者募集などと掲載していますが、まともな方法なのでしょうか?
ただ単に、ご老体のお話と聞いてはいけませんね。
ようく考えて読みましょう。
私はそう思います。といういつもの直哉さんのお話も聞き様によっては垂訓ですね。聞き様、考え様、言い様などいろいろなことが身体と共に、万人に与えられている人間ってね有難いことですね。
浅野さんとnaoさんのお話からほのぼのとしたものを感じさせていただきましたよ。
直哉さんを介するご縁でね。なんかうれしくなりますね。
人が亡くなるのを見てきました。
死ぬ、は諦めるに似ている気がします。
この世で生きる為に重要なものを
諦めて行く、という印象です。
すんなりできる人も居れば
悔やみきれない人も居ます。
分からない事に向かって進まなきゃいけないのは
それは恐いことだと思います。
言葉で表現できない世界だと感じます。
「社会的生活が出来て、道心堅固な20歳以上の男女。
出家に関するご希望・お問い合わせは、住所、氏名、電話番号、性別、年齢、職業、出家希望理由を明記し、下記宛先に手紙を郵送ください。」
私が若かりし頃、松下幸之助さんが直哉さんのように、私はこう思いますやそうではないでしょうか?など、他人様に強要せず、自らに問いかけるような言葉が何とも心に響きました。幸之助さんは、一時代を築いた名立たる経営者であって、一人の仏教徒であったように思えます。例えそれが、市井の一個人であっても自らを問えている方が発する言葉は一味違う印象を受けます。
今回の垂訓は、私にそれを教えましたね。
ps
naoさんお返事ありがとうね。naoさんや浅野さんのこと心では応援していますよ。