草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

グローバル化に抗するためにも保田與重郎の美意識の再考を!

2015年12月13日 | 思想家

グローバル化を拒否することはできないのだろう。それでも日本人であることを、私たちは主張しなければならない。欧米の文化に取り込まれ、民主主義という政治システムを選択したにしても、根本においては日本人は日本人であるからだ▼昭和11年に世に出た保田與重郎の『日本の橋』は、世界における日本の位置を示した画期的な書であった。「まことに羅馬人は、むしろ築造橋の延長としての道をもってゐた。彼らは荒野に中に道を作った人々であったが、日本の旅人は山野の道を歩いた。道を自然の中のものとした。そして道の終りに橋を作った。はしは道の終りでもあった。しかしその終りははるかな彼方へつながる意味であった」。無理に建築物のような壮大な橋を建設するのではなく、橋は自然の延長でなければならず、あくまでも自然の一部であったのだ▼大岡信は『超現実と抒情』において「橋はこの時、現実であると同時に象徴であった。具体であると同時に抽象であった。それは道の到りついたところであり、同時に道をさらに延長させるもの、道と道、ものとものとをつなぎとめるものであった。それはまさに、人のおもいのゆききする橋である『ことば』の象徴であった」と解説している。橋を論じることで、保田は人と人を結びつける日本人の言霊信仰を問題にしたというのだ。今後どれほど国際化を強いられようとも、日本人としての核心部分は保存されなくてはならない。『日本の橋』をもう一度読み返すべきなのである。

 

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