いかに安倍首相であろうとも限界はある。日韓外相会議での合意をめぐって日本の保守が割れている。もともと安倍首相は世襲議員でしかなく、乱世の政治家ではなかった。清和会に属し、岸信介の孫であったことと、スローガンとしての「戦後レジームからの脱却」が一人歩きしただけなのである▼本当に日本を取り戻そうとするのならば、それなりの覚悟がなくてはならない。安倍首相を公然と批判する保守がネットで勢いがある。いつの時代も新しき世界を切り拓くのは、石橋を叩いて渡るようなタイプの人間ではない。エリック・ホッファーは「人びとが巨大な変化を行なう事業に向う見ずに飛びこむ」(『大衆運動』高根正昭訳)ことができるためには、あくまでも「自分たちの巨大な事業にともなう困難について、まったく無知でなければならない。つまり、経験をもつということは不利なのである」(『同』)とまで書いている▼戦後の言論空間を突き破るには、小賢しい知識やバランス感覚は逆に邪魔になるのである。日本の保守は新たな局面を迎えることになった。自民党内も政策的にはバラバラである。それを無理にまとめるのは困難だ。真正保守の受け皿が待望されており、新たな指導者が求められる時代なのである。欧米では極右政党が躍進している。世界は様変わりしつつあり、日本もまた変わろうとしている。安倍首相の実績を否定するつもりはないが、もはやそのレベルではすまなくなってきているのである。
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まあ結果として日本国がいい方に行けばなあといったところでしょうね。