草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

夢二ファンは心の優しい人ばかりだ 喜多方の月見橋で講演

2024年07月07日 | エッセイ
 宵待草が咲く喜多方市の田附川にかかる月見橋の近くで、昨日の夜は夢二の話をしました。少しばかり雨が降りましたが、「夢二ファンは心の優しい人ばかり」ということを再確認しました。
 世間によく知られた夢二ではなく、秋山清が指摘するような「女々しくもあり、汚れもし、感傷癖もありながら、自我を彼の奥底で支えたものは、ヒューマニズムとレジスタンスであった。それを抱持して夢二が、孤立して日本とさえも対立し得たのは、弱い彼の、女たちへの愛情であった」(『夢二とその時代』)というのを、少しでも分かっていただければ、それだけで感謝です。
 しかし、そのことは平民社に出入りし、社会主義者に接近した夢二をことさら強調することではありません。一緒に共同生活までした荒畑寒村らと袂を分ったのは、科学的社会主義なる暴力肯定の理論に対して、ユートピア的な社会主義を思い描いたからです。
 美人画ではなく、女絵であったところに夢二の、人間としての優しさがありました。悲惨な境遇のなかでありながらも、そこで必死に生きていた女たちへの共感は、血の通った夢二のあの絵となって結実したのです。
 信州の富士見療養所で死去する前年の昭和8年、欧米旅行後で憔悴(しょうすい)しきった夢二が喜多方市の知人を訪ねたという話は、どこにも記録が残っていませんが、なぜか本当のことのような気がしてなりません。そこにもまた、夢二の絵のモデルになるようは儚(はかな)い女性の姿があったように思えてならないからです。
みちのくの紅灯(こうとう)の巷(ちまた)御清水に山高帽の夢二は涙目

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