草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小林秀雄は同胞のために死ぬことの意義を説いた

2023年12月24日 | 思想家
 戦争の足音が聞こえてくるという言い方があるが、それは他国からの侵略の危機であり、交戦権無き日本の問題ではない。しかし、どこまで私たちは、そのことを深刻に受け止めているだろうか。
 中国は、尖閣諸島を奪取するためには「武力に訴えることも辞さない」と口にしている。台湾有事以前に、台湾を海上封鎖するために、尖閣諸島に攻めてくるのではないだろうか。もはや巡視船では太刀打ちできない。海上自衛隊が前面に出るべきだろうが、今の岸田首相に、それを望んでも無理だろう。
 では戦争になった場合に、私たちは、一国民としてどう対処すべきだろうか。小林秀雄に「戦争について」という一文がある。そこで述べていることは単純明快である。「同胞のために死なねばならぬ時が来たら潔く死ぬであろう」という一言である。
 小林は「日本に生まれたという事は、僕等の運命だ。誰だって運命に関する智慧は持っている。大事なのはこの智慧を着々と育てる事であって、運命をこの智恵の犠牲にする為にあわてる事ではない。自分一身上の問題では無力な様な社会道徳が意味がない様に、自国民の団結を顧みない様な国際正義は無意味である」と言い切ったのである。
 リアリストである小林は、国家や民族を妄信する人間ではない。しかし、日本を守ることの覚悟は別だというのだ。そして、その時点では文学者であるということは、どうでもいいのである。
 正しい戦争とか間違った戦争とかいう以前に、国土が敵に手に渡り、多くの同胞が殺されるのを、傍観視することはできないという立場である。小林の決断主義は、日本人としての矜持を示しているように思えてならない。
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