言うべきことは言わねばならない。日本会議が新元号の公表を4月1日にすることに遺憾の意を示したのは当然である。これまでは即位後に改元されてきたのである。それを破る必要があったのだろうか。なぜ「代始改元」にしなかったのだろうか。安倍首相の責任は重大である。基本的な原則が崩れれば、皇室の存在自体が危うくなるのは明らかである▼和辻哲郎は『日本精神史』の「飛鳥寧楽時代の政治的理想」において、祭司としての天皇の役割について言及している。「力強い祭司の出現は集団の生活を安全にしたのみならず、さらにその集団の生活を内より力づけ活発ならしめた。祭司の権威の高まるとともに集団は大となり、その大集団の威力が神秘的な権威として感ぜられる。ここに『祭事の総攬』という機運が起こってくる」▼古代に日本人が手にした「神聖な権威の結紐」が我が国では今の世にまで受継がれてきたのだ。それがあったからこそ、日本は日本であり得たのである。打算と功利にもとづく世の風潮に引きずられれば、大切なものが失われることになる。日本の国柄を貶めることを許してはならない。戦後の教育を受けた官僚に、わけも分からず振り回されたのではないか。昭和54年5月25日、民族派の影山正治は元号法制化を訴えて自刃した。その志を無視して安倍首相が今回の決定をしたことは、断じて容認することはできない。
応援のクリックをお願いいたします