草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

憲法9条よりも「天皇あやうし」の危機感が日本を救う!

2014年06月14日 | 思想家

 憲法9条にノーベル平和賞というのは、ブラックユーモアにもほどがある。日本は軍備を放棄したのはほんのわずかな期間であり、現在では陸海空の自衛隊を要している。共産独裁国家の中共に侵略されないのは、憲法9条のおかげではなく、自衛隊が身体をはって防衛しているからだ。それをまったく無視してノーベル平和賞というのは、日本が国家として身構えることを阻止したいからだろう。会津地方でも道路の目立つ所に「憲法9条を守れ」とかの看板が立っている。美観を損ねるにもほどがあるが、平和ボケした日本人が戦争を誘発するのであり、それを知らないのは戦後の誤った教育のせいだ。しかし、平成の世の日本人は変わりつつある。日本の国柄を理解し始めているからだ。高村光太郎に「真珠湾の日」という詩がある。「この容易ならぬ瞬間に/私の頭脳はランビキにかけられ、/昨日は遠い昔となり、/遠い昔が今となった。/天皇あやうし。/ただこの一語が/私の一切を決定した。/子供のときのおじいさんが、/父や母がそこに居た」。迫り来る日本の危機においては、日本人の忘れられた過去がよみがえってくるのである。これを反動と決めつけるのは間違いだ。占領軍に押しつけられた憲法9条に真正面から反対したのは、当時の日本共産党であった。その過去を消し去り、平和勢力であるかのようなキャンペーンをはっているのだから、片腹痛い。日本人は深刻であればあるほど、天皇を中心とした国柄を思い起こし、そこに連なる肉親の顔を思い浮かべるのである。「天皇あやうし」の言葉で代表される日本の伝統と文化を維持するためには、自らの命も惜しまないのが日本人なのである。

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戦争の危機をもたらしているのはアメリカの軍事的プレゼンスの後退だ!

2014年06月14日 | 安全保障

 アメリカはもはや平和の守護者ではないようだ。あれほどまでに力を入れてきたイラクであっても、政権の維持が難しくなってきている。首都バクダットを防衛するのが精一杯である。それはアジアにおいても同じである。東シナ海では中共が軍事的な挑発を繰り返している。アメリカのプレゼンスがあるにもかかわらず、それが抑止力とはなっていないのだ。アメリカは国際的なことよりも、自国のことで手一杯なのである。海外にまで出かけて戦争をするようなエネルギーが、底をついてしまったのだ。イラクに対しては、無人爆撃機を使って反政府軍を攻撃することは考えていても、地上部隊の投入は難しいのではないだろうか。弱腰になったアメリカを見透かして、中共が日本に侵略してくるのは時間の問題である。それも偶発的な軍事衝突を狙っているに違いない。どちらが手を出したかがわからないようにして、自衛隊機を撃墜したり、自衛艦を沈めたりするのだ。そうした現実があるにもかかわらず、お花畑から抜け出せない朝日新聞やテレビ朝日、毎日新聞やTBSは相も変わらず、安倍政権の悪口であり、集団的自衛権行使についてのいちゃもんである。アメリカが頼りにならないにしても、同盟国としての絆を強化するのは、最低クリアしなくてはならない課題である。それと同時に、日本人も国を護るという覚悟を徹底させなくてはならない。自由な社会を防衛するためには、国民が結束しなくてはならないからだ。ありえないはずの事態が今起きようとしている。それを傍観していれば、取り返しがつかないことになる。戦争はどんどん露出してきているのである。

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