憲法9条にノーベル平和賞というのは、ブラックユーモアにもほどがある。日本は軍備を放棄したのはほんのわずかな期間であり、現在では陸海空の自衛隊を要している。共産独裁国家の中共に侵略されないのは、憲法9条のおかげではなく、自衛隊が身体をはって防衛しているからだ。それをまったく無視してノーベル平和賞というのは、日本が国家として身構えることを阻止したいからだろう。会津地方でも道路の目立つ所に「憲法9条を守れ」とかの看板が立っている。美観を損ねるにもほどがあるが、平和ボケした日本人が戦争を誘発するのであり、それを知らないのは戦後の誤った教育のせいだ。しかし、平成の世の日本人は変わりつつある。日本の国柄を理解し始めているからだ。高村光太郎に「真珠湾の日」という詩がある。「この容易ならぬ瞬間に/私の頭脳はランビキにかけられ、/昨日は遠い昔となり、/遠い昔が今となった。/天皇あやうし。/ただこの一語が/私の一切を決定した。/子供のときのおじいさんが、/父や母がそこに居た」。迫り来る日本の危機においては、日本人の忘れられた過去がよみがえってくるのである。これを反動と決めつけるのは間違いだ。占領軍に押しつけられた憲法9条に真正面から反対したのは、当時の日本共産党であった。その過去を消し去り、平和勢力であるかのようなキャンペーンをはっているのだから、片腹痛い。日本人は深刻であればあるほど、天皇を中心とした国柄を思い起こし、そこに連なる肉親の顔を思い浮かべるのである。「天皇あやうし」の言葉で代表される日本の伝統と文化を維持するためには、自らの命も惜しまないのが日本人なのである。
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