週刊朝日が橋下徹大阪市長に謝罪したことで、それで本当に一件落着したのだろうか。「ハシシタ奴の本性」ということで、徹底的にこきおろされたのに対して、橋下市長が怒るのはわかる。しかし、橋下市長の親族に関しては、すでにそれ以外の雑誌などでも報道されている。ことさら騒ぎたてることではない。見出しの付け方や表現の仕方に問題があったのだろう。竹内好訳の『魯迅評論集』に「暴君の臣民」という文章がある。「暴君の治下の臣民は、大抵は暴君よりもさらに暴である」と書いてあった。暴政を憎むよりも、それが他人の頭上で暴れるのを望むのが「暴君の治下の臣民」であり、そして眺めて面白がるのである。そればかりか、他人の苦痛を見せ物とし、それを慰安とするのである。自分が運よく逃れられれば、それで満足してしまうのだ。橋下市長が差別される側に与みせずに、勝ち組のような顔しているのは、自らの出自に背を向けたいからだろう。その点では「暴君の治下の臣民」と一緒である。どん底を経験したのであれば、その出自を売りにすべきだろう。テレビがつくりあげた虚像ではなく、橋下市長は地を出せばいいのだ。国民の大半は負け組であり、そこを支持基盤にすればいい。期待されているのは、勝ち組のチャンピオンではなく、負け組の代弁者なのである。今回の場合も、エリート然とした朝日新聞相手にケンカしたから、拍手喝さいだったのである。それを肝に銘じるべきだろう。
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