草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

今こそパチンコの違法化を目指す国民運動を!

2011年03月10日 | パチンコ

 パチンコは明らかに賭博である。それを禁止するのはあたりまえだ。わずかな小遣いしか持たない連中が、悲しいかな、あのまぶしい照明に翻弄されてしまうのである。昔であったならば、富士通があったせいか、会津地方では深夜勤務の社員が目立った。しかし、今はそうではない。職にあふれた者たちが、イライラしながら、なけなしの金をつぎ込んでいる。5、6万円がなくなるのは、あっと言う間だ。喜多方市においても、会津若松方面から市街地に入ったあたりの国道121号線は、かつてパチンコ街道と評されて、読売新聞の県内版で大きく取り上げられたこともあった。4店舗が密集していたためだ。パチンコに明け暮れるというのは、まさしく異常である。日本のパチンコ産業は21兆円もの巨大なマーケットとなっており、しかも、その経営者のほとんどは在日の朝鮮、韓国系で占められているという。「パチンコの違法化・大幅課税を 求める議員と国民の会」の設立大会が、来る3月17日に東京で開かれるそうだが、会津でもそれに呼応した運動を開始したいと思っている。政治家がそこから献金をもらい、警察OBの天下り先になっていることが、解決を難しくしているのではなかろうか。まずはその利権の巣を潰すためにも、パチンコの違法化こそが急務なのである。

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会津にとって伊藤博文は憎むべき敵であった

2011年03月10日 | 歴史

 伊藤博文の子孫である松本剛明が新しい外相になったことで、早速、韓国からクレームがきた。会津にとっても、伊藤博文は憎むべき敵であった。品川御殿山のイギリス公使館の焼き討ち事件に連座した、テロリストであったからだ。国学者塙次郎を暗殺した下手人ともみなされている。それでいて、イギリスに密航して転向し、今度は一転して開国を唱えるにいたったのである。その無節操さは、糾弾されてあまりある。さらに、会津を朝敵扱いにした、薩長藩閥政府の中枢を担ったのである。もう一つ忘れてはならないのは、明治23年に金子賢太郎らによって、維新の資料蒐集の動きがあったが、それをストップさせたのも伊藤であったことだ。テロリストの過去が暴かれるのを恐れたのである。それだけに、明治42年10月26日、伊藤がハルピン駅前で、安重根によって暗殺されても、会津では同情の声が上がらなかったという。伊藤は日本の韓国併合に反対であったといわれているが、変節漢で、歴史を捏造した政治家を、会津の人たちは許せなかったのである。好色漢であったことも、会津っぽとは合わなかったのだろう。松本新外相の就任をめぐっての韓国の反応を知るに及んで、伊藤に対する会津人の恨みつらみを、ついつい思い出してしまった。

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