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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■何か耳新しいこと / 板倉邦雄

2020年07月21日 | Weblog

2020/5/26放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「何か耳新しいこと」という題でお話ししましょう。
 新製品の発売に長蛇の列が出来ます。私たちは古いものよりも新しいものに魅力があるようですね。今から2000年前のギリシャのアテネの上流階級の人々は、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに時を過ごしていたようです。使徒の働き17章の続きです。

 さて、パウロはベレヤでの騒動があったので伝道チームのシラスとテモテをベレヤに残して一人だけでギリシャの都アテネにやってきました。アテネで二人を待っている間に市内を散歩していました。所が、アテネの市内のいたるところに偶像の神々が祀られているのをパウロは目撃者するのです。人の手で作った偶像の神々がアテネの市内に帯正しく安置されていたのです。パウロの心は憤りを感じました。素晴らしい理性と感性そして自由意志を持っているギリシャ人の人々が的外れな宗教心に富むことへの残念さ、無念さ、悲しさもパウロの憤りの中に含まれていたのではないでしょうか。

 そこでパウロは安息日ごとにユダヤ人の会堂へ行き、ユダヤ人の信仰者や信心深いギリシャ人と論じ合いました。さらに週日には広場に毎日出かけ、広場で出会う人々を捕まえてはイエスの十字架と復活のことを宣べ伝え論じていました。その中にはエピクロス派の哲学者、ストア派の哲学者たちもパウロと議論を戦わせていたのです。エピクロス派とは快楽こそ人生の目標だと主張し、ストア派といえば理性こそ一番の人生の目的だと説く一派でしたね。

 彼らはパウロをアレオパゴスの評議場に連れて行って、「君の語っている新しい教えがどういうものか知らせてもらいたいものだ。君が何だか珍しいことを私たちに聞かせているので、それが何のことなのか知りたいと思っているのだ。」と言ったのです。アテネ人もそこに滞在する外国人も、みな何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに時を過ごしていたのです。
 続く

  (PBA制作「世の光」2020.5.26放送でのお話より ) 

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