♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■ユダヤ人への愛のビザ発給 杉原千畝② / 岩井基雄

2019年11月11日 | Weblog
2019/9/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 最終月曜日の今日も、ユダヤ人たちに懸命にビザ発給した杉原千畝(ちうね)について学んでみましょう。

 クリスチャン夫妻の外交官としてリトアニア共和国に赴任した杉原千畝と幸子夫妻でした。1940年7月、千畝がカナウスの領事館に勤めていた時に、ナチスに追われポーランドから逃れてきたユダヤ人たちが日本通過ビザを得るため殺到したのです。その大多数はビザ発給の要件を満たしていませんでした。千畝はどうしても助けたいと日本政府に確認をしますが許可は出ません。ユダヤ人たちの悲痛な叫びを聞くに耐えかねた千畝は、私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない、でなければ私は神に背く、と外交官としてではなくクリスチャンとして神の前に判断を下します。それは外務省の命令に背き、同盟国ドイツが敵視するユダヤ人のためにビザを発給することでした。千畝は要件を満たしていないユダヤ人たちに対しても大量の日本通過ビザを発給しました。ソビエトに併合されたリトアニアを去るその瞬間まで千畝は手書きのビザを書き続けたのです。そして六千人ものユダヤ人を助けることができたのです。千畝の心にとまっていたのは次の聖書の言葉でした。
 「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。
          新約聖書 ヨハネの手紙第一 4章 20節、21節

 人類史上、類を見ない暗黒の時代に神の愛に生きた杉原千畝でしたが、帰国した彼を待っていたのは辞職勧告でした。しかし20数年後の1968年8月、杉原に一人のユダヤ人から連絡があったのです。イスラエル大使館のニシュリ参事官はボロボロになった当時のビザを手にし、涙をこぼして杉原に感謝したのです。その後、1974年にイスラエル建国の恩人として、1985年にはイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を受賞。2000年にはついに日本国政府による公式な杉原の名誉回復が行われたのです。神の愛に生きた人生を神は豊かに祝福してくださったのです。

 (PBA制作「世の光」 2019.9.30放送でのお話より )
 
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