♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して67年の
「世の光」を文字で 

■無駄を厭わない愛 / 関根弘興

2019年11月29日 | Weblog
2019/10/18放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストがベタニヤのシモンという人の家に行った時のことでした。この村に住むマリヤが大変高価なナルドの香油の壷を割り、イエス様に注ぎ始めました。するとその香りは家中に広がり、麗しい光景となっていきました。しかしそれを見た弟子たちは、何という無駄なことをするのか、とマリヤを一斉に批判したんですねえ。しかしイエス様はこのマリアの行為を、世界中のどこででも福音が宣べ伝えられる所ならこの人のしたことも語られて、この人の記念となるでしょう、とお褒めになったんです。弟子たちは、あれは無駄だ、これも無駄だ、と損得の計算ばかりしていたようですねえ。本当の愛によって行動するということは損得勘定を抜きにしたものです。といってもそれはどんな浪費をしても構わないという意味ではありません。

 でも考えてみてください。イエス・キリストの姿の中には一見無駄と思えることが沢山あるように思いますよね。イエス様はすぐにご自分から離れていってしまうような人々のために癒やしを行い、恵みのことばを語り続けられました。また五千人の人たちにパンと魚を分け与えられた時には十二のかごにいっぱいなるほどパンが余りました。そんな余らせて何と無駄なことか、と思うかもしれませんねえ。またイエス様は、たった一人のサマリヤの女性と話をするために、わざわざユダヤ人が嫌っていたサマリヤ地方に行かれました。ユダヤ人にとってはそれは全く時間の浪費で馬鹿げたこととしか思えませんでした。エリコの町では、わざわざ嫌われ者の取税人ザアカイの家に行かれましたね。町の人たちから見たら、何と無駄なことをしているのか、と思われたでしょう。そしてイエス様は何と私たちのために何をしてくださったのでしょう。それは神様に背を向けている私たち一人一人の身代わりとなって十字架についてくださった、と聖書は教えます。ご自分に逆らい、罵倒する人々のために十字架で血を流すなんて何と無駄なことか、と思いますよね。

 でもイエス様のこの無駄死にと思われたこの十字架の死が、人々の罪を赦し、神様の豊かな愛を示し、救いの道を開くものとなっていったのです。無駄を厭わない愛、それこそがイエス様のあなたへの愛そのものなのです。

     (PBA制作「世の光」2019.10.18放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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