♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし124 欲しがってはならない / 大嶋重徳

2019年11月14日 | Weblog
2019/9/26放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒をはじめとした聖書の言葉は人間を縛り付けるものではなく自由へと導くための言葉なのです。
 第十戒は「 欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節、申命記5章21節 新改訳2017)です。
 第十戒は欲しがる思いから私たちを解放してどのような生き方へと連れて行こうとしているのでしょうか。第十戒の「欲しがる」を意味するヘブルはハーマドということばです。このハーマドということばは旧約聖書の詩篇で使われ、「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。」(詩篇19篇9、10節 新改訳第三版)の「好ましい」ということばがハーマドです。

 詩篇で私たちが本当に欲しがるべきものは主への恐れ・主のさばきなのだと語ります。私たちはいろんなものを欲しがり続けるのではなく、神様を恐れることを欲するのだ、というのです。私たちの人生の終わりには神様の前に立つ日が来る、と聖書は語ります。その時、私たちは自分のなしてきた人生の刈り取りが求められ、神様の前の裁きの座に立つのです。死を迎える時、私たちは地上で手に入れたものを何一つ守っていくことなどできません。地上で手に入れた名声も財産も人間関係も持っていくことなどできないのです。私たちは一人で神様の前に立つこととなるのです。その人生の究極において最も欲しがるべきことは、神様への恐れをもって神と共に歩むことです。

 また同じ十戒のことばが記されている申命記(5章21節)では「欲しがる」ということばは [※ アヴァーというヘブル語で、そのアヴァーは、イザヤ書 26章9節では]、「私のたましいは、夜あなたを慕います。」と使用されて、神を慕い求めることを欲するように、と語られます。

 つまり今日あなたが本当の意味で欲しがるべきものは神ご自身の交わりなのだと第十の戒めは語っているのです。神様との交わりを欲するとは、神様の愛で満ち足りて生きることです。私たち人間の余計なものを欲しがってしまう根源的な理由は、私たちの魂が神の前で満たされることに渇きを覚えているためです。

 パスカルという人は言いました。「人間には神にしか埋めることのできない空洞がある。」と。私たちはその空洞を埋めようと、いろんなものを手に入れようとします。しかしそれらが本当の意味で私たちの心を満たしてくれたりはしません。

 しかし十戒第十の戒めは、あなたが本当に欲しがるべきもの、この神様と共に生きることなのだ、と語りかけてくれるのです。ここにあなたの欲しがっている全てのものがあるのだ、と。

    ( PBA制作「世の光」2019.10.3放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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